第二十二話:【海底】―泥濘の海原と、蒼き水神―
潮の匂いと重油の混ざり合う湿った風が、頼斗と葵の頬を撫でた。
ウォーターフロント区。旧港湾のコンテナターミナルと水上コテージが複雑に絡み合うこの一帯は、街中とは打って変わって静まり返っていた。足元の海水が怪しく青く発光し、微細なプロンプトの波形が漣のように空間を揺らしている。
「頼斗、気をつけて。この辺りの空気……全部水を含んだみたいに重いよ」
葵がパーカーのポケットの中で『ファントム(H.A.D.E.S.)』を構え、頼斗の半歩前へ出る。
その時――錆びついたクレーンの影から、ゆっくりと一人の少年が歩み出てきた。
着古したスカジャンを羽織り、首からは透き通るような蒼いクリスタル型のデバイスを下げた少年――1年・海動航だ。
「へえ……噂通りのお出ましだな。聖プロンプト学園の『Fランクの化け物』と、その飼い犬の『Aランク』さんよ」
海動はだるそうに首を鳴らすと、頼斗の手にあるバキバキのスマホに視線を注いだ。
「お前の『Z.E.U.S.』の思考直結(Zero-delay)……噂には聞いてるぜ。だがな、陸のデュエルがこの海で通用すると思うなよ?」
海動が胸元のデバイスを指で弾いた瞬間、周囲の空間が一変した。
[ SYSTEM: P.O.S.E.I.D.O.N. FULL OPEN ]
[ DOMAIN: OCEANIC MATRIX ]
バシャァンッ!!
視界全体が蒼い水中へと沈み込んだかのような錯覚。
息が詰まるほどの重圧とともに、足元の海水が浮遊し、頼斗と葵の身体を「泥のような高密度プロンプトの海」がまとわりつく。
「ぐっ……!? 身体が……思考の伝達速度まで……重い……!?」
頼斗が『Z.E.U.S.』を起動しようとするが、脳からの思考信号が粘度の高い水の中を渡るように泥濘化し、伝達がコンマ何秒も遅延する。
(未来を予測しても……思考の信号が水に捉えられて……出力できない……!)
「ハハッ! 【ポセイドン】の領域内じゃ、お前たちのどんな鋭い思考も『海原の底』に沈む! 速度を奪われたお前らは、ただの餌だ!」
海動が手を掲げると、高密度の水流プロンプトが巨大な槍の形を成し、頼斗に向けて一斉に放たれた。
《プロンプト認識――【三叉の激流】!!》
絶体絶命の着弾コンマ1秒前。頼斗の前に、すっと漆黒の影が滑り込んだ。
「頼斗の思考を邪魔するゴミは……沈んで」
[ H.A.D.E.S. DEFENSIVE DOMAIN: STYGIAN WALL ]
ドガァァァンッ!!
葵が展開した黒い精神防壁が、押し寄せる激流の槍を真っ向から受け止めた。
激しい水しぶきと衝撃波が吹き荒れる。
「なっ……!? 【ポセイドン】の減速領域を、精神波の膜で遮断しただと!?」
海動が驚愕の声をあげる。
葵は冷徹な眼差しで海動を睨みつけ、手の中の『ファントム』から紫黒の波形を放射させた。
頼斗の身体を覆っていた水流プロンプトだけをピンポイントで打ち消し、彼の思考回路を水蒸気のように解放していく。
「頼斗……ボクがこの『水』を全部堰き止める。頼斗は……その奥の本体(海動)を撃ち抜いて!」
「……葵ちゃん、ありがとう!」
頼斗の脳波が、一気に限界値へと跳ね上がった。
水流の足枷を奪われた頼斗の視界に、再び黄金の未来軌道が鮮明に浮かび上がる。
[ SYSTEM: Z.E.U.S. APOLLON ]
[ DELAY: 0.000s - TARGET LOCKED ]
(思考の遅延は……葵ちゃんが消してくれた! 未来の着弾点……そこだ!)
「な……なに……!?」
海動が次のプロンプトを唱えようとしたそのコンマ01秒前、頼斗の『Z.E.U.S.』から放たれた無言の概念衝撃が、水流の領域を真っ二つに切り裂いた。
ドォォォンッ!!
海動の足元の水面がピンポイントで爆散し、海動の身体が大きく宙へ弾き飛ばされる。
「クソッ……! 互いの欠点を補い合ってやがるのか……!?」
海動は空中からコンテナの上に着地し、忌々しそうに頼斗と葵の二人を見下ろした。
「気に入ったぜ、小鳥遊頼斗、白波葵! 今日のところは挨拶代わりだ。本気のデュエルは、アガルタの『公式選抜戦』のリングでつけてやる!」
海動は胸元の『ポセイドン』を光らせると、水煙とともに夜の港へと姿を消した。
残されたウォーターフロントの静寂の中、頼斗と葵は背中合わせに立ち、固く息を整えた。
「勝てたね、頼斗」
「うん。葵ちゃんのおかげだよ。……これが、ボクたちの新しい戦い方だ!」
『ポセイドン』の脅威を退けた二人は、自分たちの絆が【十二神将】の領域すら突破できることを確信し、次なる戦いへと目を光らせるのだった。




