第5話:つながる糸~unevenly spun silk thread~
その日、湊は大学の中庭のベンチで、一人きりだった。
昼休みの喧騒から少し離れた場所。佐伯はサークルの用事で席を外していて、湊は珍しく一人で弁当を広げていた。頭の中では、まだ数日前の「使役型」のことが渦を巻いている。――迎えに行く。あの一言が、耳の奥にこびりついたまま離れなかった。
「隣、いいですか」
声をかけられて顔を上げると、コートの女が立っていた。あの夜、商店街の路地で一瞬だけ見た人物だと、湊はすぐに気づいた。すっと通った鼻筋と、涼やかな切れ長の瞳。長い黒髪を一つに束ね、隙のない仕立てのコートを纏った立ち姿は、綺麗というより、どこか近寄りがたい静けさを纏っていた。
「……あんた」
「はじめまして、というのも変ですね。もう一度会うことは想定していましたが、想定より早かった」
抑揚の薄い声だった。感情がないわけではなく、感情を出す順番を忘れてしまったような話し方。女は返事を待たずに、湊の隣に腰を下ろした。
「クダン」
湊が呼ぶと、鞄の中からクダンが顔を出した。女を見るなり、いつもの飄々とした空気が消える。
「……お前、アーク機関の人間か」
「知っているんですね。話が早くて助かります」
クダンは答えなかった。ただ、女から目を離さなかった。
「あんた、名前は」
「常盤湊さん、ですよね。あなたの名前はもう知っています。私の名前は――今はまだ、言わない方がいいかもしれません」
「なんだよ、それ」
「あなたが私たちの側につくと決まったわけじゃない。だったら、名前だけ先に渡すのは、フェアじゃない気がして」
妙に律儀な理屈だった。湊は毒気を抜かれたような気分になった。
「用件は」
「単刀直入に言います。数日前、あなたに接触した個体――使役型のスティグマですが、あれは偶然ではありません。何者かが、意図的にあなたを探していました」
「探してる……俺を? なんで」
「それは、まだ私にも分かりません。ただ、あなたのようなアニマフレンドを、良くない形で利用しようとする組織が存在します。あなたはもう、無関係ではいられない段階に入っています」
あまりに淡々とした口調に、湊はかえって現実感を失いそうになった。
「アーク機関ってのは、何なんだ」
「アニマフレンドとアニマを、保護する側の組織です。少なくとも、私はそう説明されて所属しています」
「少なくとも、って」
「世の中に、額面通りの組織なんて、そう多くないので」
冗談なのか本気なのか分からない言い方だった。
「力を貸します、というほど大げさな話でもありません。ただ、今のあなたは危険すぎる状態にある。シンクロの制御も、アーツの扱いも、我流のままでは長くもたない」
図星だった。湊は何も言い返せなかった。
「決めるのは、あなたです。今すぐでなくていい」
女は鞄から、名刺サイズの薄いカードを取り出し、ベンチの上に置いた。文字はなく、ただ幾何学的な紋様が刻まれているだけだった。
「気が向いたら、それに触れてください。連絡が取れるようになっています」
女は立ち上がり、コートの裾を払った。
「――クダンさん。あなたの名前は、資料で見たことがあります」
「買い被りだな。碌な内容じゃないだろう」
「さあ、それは読み方次第です」
クダンは何も答えなかった。女はそれ以上何も言わず、中庭を後にした。
「知り合いなのか、あんたら」
「いや。今日が初対面だ」
「初対面って感じじゃなかったけどな、今の」
「アーク機関がどういう連中かは、噂程度になら聞いてる。それだけだ」
「噂って、どんな」
「今はまだ、その話をするときじゃない」
いつもの調子で、クダンは話を打ち切った。だが、その口ぶりには、はぐらかすというより、まだ言葉にする準備ができていない、というような重さがあった。
残された湊は、ベンチの上のカードをしばらく見つめていた。触れる勇気も、無視する決心も、どちらも持てないまま。
「クダン。あの人、信用していいのか」
「さあな」
「またそれかよ」
「今度ばかりは、本当に分からん。あそこの連中は、俺にとっても付き合いの長い相手だ。だが、いい思い出ばかりでもない」
珍しく、はっきりとした答えだった。湊はカードを手に取らず、鞄の内ポケットにそっとしまい込んだ。決められない。今はまだ、それでいいはずだった。
(第五話・了)
◆用語ノート
・謎の女:正体不明のまま二度目の接触。アーク機関を名乗ったが、本名はまだ明かしていない。クダンとも、何やらありそう。
・アーク機関:アニマフレンドとアニマを保護する立場だという組織。クダンは名前と評判程度は耳にしていたようだが、詳しい事情はまだ語っていない。




