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第76話 時計の針

 フィオナの周囲を取り囲んだ男たちの質問攻めは、まさに嵐のようだった。


「フィオナ嬢は、どちらのご出身で?」


「お好きな料理はありますか?」


「ご趣味などは?」


「差し支えなければ、ご婚約者はおいでで……?」


「えっ、あ、その……」


 右から左から飛んでくる質問に、フィオナは目を白黒させるばかりだった。


 一つ答えようとすれば、その前に別の質問が飛んでくる。

 どうにか笑顔だけは保とうとするものの、頬が引きつっているのが自分でも分かる。


(む、無理です……!)


 剣を持った兵士に囲まれたときよりも、よほど逃げ出したい。


 そんなフィオナを見かねたのだろう。


「皆さま」


 柔らかな声が、騒がしい輪の中へすっと入り込んだ。


 セシリアがフィオナを庇うように、一歩前へ出る。


「そんなに一度に尋ねてしまっては、フィオナさんも何からお答えすればよいのか分かりませんよ」


「あ……」


「これは失礼を」


「つい、私としたことが……」


 声を荒らげたわけでもない。

 威圧したわけでもない。


 それなのに、男たちは自然と口を閉ざした。


(す、すごい……)


 フィオナは思わずセシリアの横顔を見つめた。


 小柄で、柔らかな雰囲気を纏った少女。


 けれど今は、その佇まいに確かな王族としての品格がある。


 人を押さえつけるのではなく、誰にも恥をかかせず、それでもきちんと場を収めてしまう。


(私には絶対できない……)


 セシリアはそんなフィオナの視線には気づかず、先ほど質問した貴族の一人へ微笑みかけた。


「確か、ご趣味についてお聞きでしたね?」


「は、はい!」


「でしたら私も興味があります」


 くるりとフィオナへ向き直る。


「フィオナさんは、普段どのように過ごされているのですか?」


「私、ですか?」


「はい」


 セシリアがいつもの柔らかな笑顔を向けてくれる。

 それだけで、フィオナの肩から少し力が抜けた。


「ええと……家事をしたり、お菓子を作ったり……」


「お菓子を?」


「はい。まだそれほど上手にはできないんですけど」


 そこまで答えてから。


「あとは……最近、ダンスを教えていただいています」


「まあ」


 セシリアの顔が明るくなる。


「フィオナさんの運動神経でしたら、きっと舞踏もお上手なのでしょうね」


「い、いえ! 全然そんなことは……!」


『おお……』


 周囲から何故か感嘆の声が上がる。


「では、ぜひ後ほど一曲──」


「抜け駆けは感心しませんな!」


 また騒がしくなりかける。


「ふふっ」


 セシリアは楽しそうに笑いながら、今度は別の男へ話を振った。


「先ほど、領地のお話をされていましたね?」


「あ、はい! 私はトストール地方を治めております」


「フィオナさん、トストールではヤギの乳から作るチーズが有名なのだそうですよ」


「ヤギの……?」


 フィオナが興味を示すと、男の顔がぱっと輝いた。


「ええ! 牛乳のものより少々香りが強いのですが、それがまた酒によく合うのです!」


「へぇ……!」


「熟成の若いものなら癖も少なく、焼いたパンへ乗せると絶品でして」


「それは、美味しそうですね」


 フィオナの瞳が輝く。


 そこへ、負けじと別の貴族が割り込んだ。


「食べ物でしたら、我が領も負けておりませんぞ! 麦の収穫時期には一面が黄金色になります。祭りも盛大でしてな」


「お祭りですか?」


「ええ!」


「私も、お祭りは好きです」


 そう答えたところで。

 ふと、酒精祭を思い出した。


「以前参加したお祭りでは、皆さんでお酒を飲んで、焚き火を囲んで踊ったんです。屋台もたくさん出ていて……」


「ほう!」


「ずいぶん楽しそうなお祭りですな」


「はい!」


 そのときの光景を思い出し、フィオナは自然と笑顔になった。


「本当に楽しかったです。皆さん優しくて、ご飯も美味しくて……」


 話しているうちに、先ほどまでの緊張が少しずつ消えていく。


 気づけば。

 質問されることそのものも、それほど怖くなくなっていた。


 もちろん。


「ご好意を寄せている男性などは!?」


 という質問だけは。


「そ、それは……!」


 どう答えればよいのか分からず真っ赤になってしまったが。


 セシリアがすぐに。


「そのようなことを、初対面の女性へいきなり尋ねるものではありませんよ」


 と笑顔で止めてくれた。


「も、申し訳ありません!」


 男が深々と頭を下げる。


「…………」


 フィオナは、そっと胸を撫で下ろした。


(助かった……)


 何故あの質問だけ、あんなにも心臓が跳ねたのか。

 それについては、あまり深く考えないことにした。


 そうして。


 南部の果実酒。

 北方で行われる雪祭り。

 海沿いの町で獲れる大きな魚。


 話題は次々と移り変わっていった。


 屋敷と町くらいしか知らなかったフィオナにとって、遠い土地の話はどれも新鮮だった。


「それは……一度見てみたいです」


「ぜひ我が領へ!」


「いやいや、まずはうちへお越しを!」


「なに!? 我が領と争うつもりか?」


「はぁ……。君たちは何でも競争にするな」


 どっと笑いが起きる。


 先ほどまで自分を取り囲んでいた恐ろしい集団が。


 今では。

 少し見栄っ張りではあるけれど、知らない土地のことを教えてくれる人たちに見えていた。


(社交界って……怖いだけじゃないんだ)


 スカーレットの言った、〝会話と情報の戦場〟。


 確かにそうなのだろう。


 けれど。

 それだけでもないらしい。


 知らない人と話して。

 知らない場所の話を聞いて。

 自分の知らなかった世界を知る。


 そんな楽しさも、ここにはあるのだ。


「ふふっ」


 セシリアが嬉しそうに笑っている。


「だいぶ慣れてきましたね、フィオナさん」


「え?」


「先ほどより、ずっと楽しそうです」


「あ……」


 言われて初めて気づいた。


 確かに。いつの間にか笑っていた。


「……はい」


 フィオナも少し照れながら頷いた。


「ちょっとだけ……楽しいです」


「それは良かったです」


 ──そんな時間は。


 思った以上に早く過ぎていった。


 カチッ。

 広間の大時計が、小さな音を立てる。


「…………?」


 何気なく、フィオナが時計へ目をやる。


 そして。


「…………っ!」


 一瞬で顔色が変わった。


(いけない!)


 短針が、天辺へと近づいている。


(あと……十分!?)


 零時まで。

 もう、それしかない。


 胸の奥が一気に冷たくなる。

 楽しく話していたせいで、完全に時間を忘れていた。


(ど、どうしよう!)


 深夜零時。


 その瞬間になれば。

 ジークが掛けてくれた魔法は解ける。


 今はどこから見ても普通の人間に見えているフィオナの頭に、本来の獣耳が戻る。

 そして、ドレスの後ろから、尻尾まで。


(ここで戻ったら……!)


 想像しただけで血の気が引いた。


 何百人もの貴族がいる大広間。


 その中心で、突然。

 人間の少女に獣耳と尻尾が生える。


(絶対、駄目……!)


「フィオナさん?」


「ひゃいっ!」


 妙な声が出た。


 セシリアが不思議そうに首を傾げる。


「どうかなさいましたか?」


「い、いえ!」


 慌てて首を振る。


「あの……私、そろそろ失礼しようかと」


「もうですか?」


「はい。その……先ほどのこともありましたし、少し疲れてしまって」


「あ……」


 セシリアの表情がすぐに曇った。


「そうでしたね。ごめんなさい。私ったら、楽しくてすっかり……」


「い、いえ! セシリア様が謝ることじゃありません!」


「それでしたら、今日はもうお休みになった方がいいですね」


「はい!」


 即答した。


「私も出口までお送りします」


「えっ?」


「フィオナさんには助けていただいたのです。それくらいさせてください」


「でも、セシリア様はまだ……」


「宴は朝まで続きますから。少し席を外すくらい何でもありません」


「…………」


 ありがたい。

 とてもありがたい。


 けれど。


(セシリア様の前でも戻ったら駄目なんだった……!)


 セシリアは、フィオナがヴァルト領に住んでいることは知っている。


 けれど。

 獣人であることまでは知らない。


 ここで魔法が解ければ、今度はセシリアに説明しなければならなくなる。


(と、とにかく急がないと……!)


「では、失礼します」


 フィオナは周囲へ丁寧に頭を下げた。


「今日は皆さま、ありがとうございました」


 そのまま、セシリアと一緒に輪を抜けようとする。


 だが。


「お待ちください、フィオナ嬢!」


「……え?」


 一人が前へ出た。


「もしよろしければ、後日ぜひ我が屋敷へ!」


「いや、それよりも手紙を差し上げてもよろしいでしょうか!」


「そうだ、連絡先だけでも!」


「次の舞踏会にもいらっしゃいますか!?」


「えっ、あの……!」


 一人。


 二人。


 三人。


 瞬く間に、再び男たちが行く手へ集まった。


(う、嘘ぉ……!)


 フィオナが青ざめる。


 大時計の針が。


 カチリ。


 また一つ進む。


(時間がないのに……!)


「お気持ちはありがたいのですが、今日はもう──」


「でしたらお名前とお住まいだけでも!」


「お手紙を!」


「ぜひ一曲のお約束を!」


「え、ええと……!」


「そこまでだ」


 すっと。

 赤い影が人垣へ割って入った。


「スカーレット様!」


 フィオナの顔が一気に明るくなる。


 スカーレットは男たちを見渡すと、落ち着いた口調で告げた。


「彼女は私の連れだ。用件があるなら、後日私を通してくれ」


「しかし、ローゼンベルク伯!」


「せめて一言だけでも──」


「彼女は疲れている」


 今度は少しだけ声が低くなった。


「今夜は、もう休ませてやってほしい」


「…………」


 さすがに何人かは引いた。


 けれど。


「ならば、次にお会いできる日は?」


「せめて手紙の宛先だけでも!」


 まだ諦めない者もいる。


「…………」


 フィオナの頬が引きつる。


(な、なんでそんなに必死なんですかぁ……!)


 思わずスカーレットの袖を、ぎゅっと掴む。


 そして。


 ちらり。


 時計を見る。


 残り──五分。


「…………っ!」


(駄目……!)


 このままでは本当に間に合わない。


 王宮を出るまで。


 まだ距離がある。


(どうしよう……!)


 胸が早鐘を打つ。


 そのとき。


「──皆さま」


 再び柔らかな声が響いた。


 セシリアだった。


 にこやかな表情のまま、男たちの前へ出る。


「それほどフィオナさんをお気に召したのでしたら」


「……?」


「なおさら、今は退いて差し上げるべきではありませんか?」


「…………」


 セシリアは少しだけ首を傾げる。


「疲れている女性を引き止め続ける殿方を、女性はどのように思うでしょう?」


「うっ……」


 一人の顔が強張った。


「本当にフィオナさんのお心を射止めたいのでしたら、まずは彼女のお気持ちを尊重して差し上げてください」


 穏やかに。


 けれど。


 逃げ道のない正論だった。


「……仰る通りです」


「これは……失礼を」


「少々、舞い上がってしまいました」


 一人。


 また一人。


 男たちが道を空けていく。


「…………!」


 フィオナの目に、希望の光が戻った。


「セシリア様……!」


「ふふっ」


 セシリアは何でもないことのように微笑む。


「さあ、行きましょう」


「はい!」


 今度こそ。

 フィオナは大きく頷いた。


 そして。


 開いた道を、ほとんど早足で進み始める。


 その背後で。


 大時計の針が。


 また一つ──零時へ近づいた。

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