第75話 勇敢な娘だ。褒めてやれ
フィオナたちが大広間へ戻ると、先ほどと変わらぬ華やかな音楽と笑い声が迎えた。
巨大なシャンデリアの下では、着飾った貴族たちがグラスを片手に談笑し、広間の中央では何組もの男女が優雅に踊っている。
ほんの少し前。
この王宮の片隅で、王族の誘拐未遂と反逆まがいの事件が起きていたとは、とても思えない光景だった。
「…………」
フィオナは思わず周囲を見回す。
(本当に……何も変わってない)
ハイネルたちは、事件の扱いをカトリーナへ任せると言っていた。
そして。
『あの殿下のことじゃ。宴は……まあ、大丈夫だろう』
そう意味ありげに笑っていた。
(こういうことだったのかな……)
少なくとも、宴を中止するつもりはないらしい。
フィオナは少しだけ安堵し、隣を歩くセシリアへ目を向けた。
セシリアもまた、何事もなかったように背筋を伸ばしている。
その表情からは、先ほどの倉庫で見せた緊張も、恐怖もほとんど窺えなかった。
(王女様って……大変なんだなぁ)
そう思いながら歩いていると。
「…………?」
ふと。
妙なことに気づいた。
(なんだか……見られてる?)
先ほどから、やけに視線を感じる。
フィオナが耳を澄ませると、そこかしこから囁き声が飛び込んできた。
『戻ってきたぞ』
『ほら、あの娘だ』
『第五王女殿下と一緒に……』
『先ほどのワインを出した娘だろう?』
『〝孤高の悪魔〟を持っていたという……』
『結局、何者なんだ?』
「…………」
(……あ)
事件のことではない。
先ほどのワイン騒ぎだ。
考えてみれば当然だった。
第二王女が長年探していたという幻の酒を、何の前触れもなく持ち出してきた正体不明の少女。
しかも今は、第五王女と親しげに並んで戻ってきた。
目立たない方が難しい。
「フィオナさん……」
「はい?」
セシリアも視線に気づいたのか、少し申し訳なさそうに笑う。
「やはり、先ほどの件で少し注目を集めてしまっているようですね」
「そ、そうみたいです……」
「ごめんなさい」
「えっ?」
「私のことで、フィオナさんまで目立ってしまって」
「そんな! セシリア様のせいではありません!」
慌てて否定した、そのときだった。
「──おい、そこの娘」
「……!」
広間を通す、よく響く声。
フィオナの身体がぴたりと固まった。
恐る恐る振り返る。
上座に設けられた豪奢な椅子。
そこに座る第二王女カトリーナが、こちらを見ていた。
その手には、当然のようにワイングラス。
「こっちへ来なさい」
「わ、私……ですか?」
「他に誰がいるの」
「は、はい!」
フィオナは慌てて背筋を伸ばした。
(な、何だろう……)
また何かしてしまっただろうか。
それとも。
先ほどの事件について?
フィオナはちらりと後ろを見る。
少し離れた場所で、スカーレットとハイネルも足を止めていた。
ハイネルと目が合う。
「…………」
すると彼は。
何故か意味ありげに、小さく頷いた。
(え?)
ますます分からない。
けれど、王女本人から呼ばれた以上、行くしかなかった。
フィオナはカトリーナの前まで進み出ると、ドレスの裾を摘まみ、教えられた通りに深く頭を下げた。
「お呼びでしょうか、殿下」
「ええ」
カトリーナはワイングラスを卓上へ置いた。
ほんのりと頬が赤い。
どうやら〝孤高の悪魔〟は、相当気に入ったらしい。
「あなたとは、今日は妙に縁があるわね」
「……はい?」
「突然、私がずっと探していた酒を持って現れたかと思えば」
一度。
言葉を切る。
「今度は王宮の倉庫に入り込んだ賊を捕らえたそうじゃない」
「…………」
フィオナの思考が止まった。
「……賊?」
「そうよ」
カトリーナは平然と答える。
「宴の隙を狙って、王宮の倉庫へ忍び込んだ下賤な盗人がいたそうね」
「…………」
「それを、偶然近くにいたあなたが見つけた」
「…………」
「警備兵と協力して捕らえた、と」
そこで。
カトリーナの目が僅かに細くなった。
「──私は、そう聞いているけれど?」
「…………!」
その一言で、フィオナにもようやく理解できた。
(そういうこと……!)
ドルマン伯爵とスラズール侯爵による陰謀。
第五王女の誘拐未遂。
王宮警備兵の買収。
そして。
倉庫の中で起きた戦闘。
そんなものが第二王女の生誕祭の最中に起きたと知れ渡れば、王宮の警備体制だけでなく、王家そのものの威信にも傷がつく。
だから。
すべてを──ただの盗賊騒ぎにする。
(ハイネル様が言ってたのって……これだったんだ)
あの殿下なら宴は大丈夫。
その意味が、今になってようやく分かった。
「……はい」
フィオナは深く頭を下げる。
「殿下のおっしゃる通りでございます」
「そう」
「たまたま倉庫の近くを通りかかったところ、不審な者たちに気づきまして……」
一瞬、言葉に詰まる。
「その……警備の方々のお手伝いを、少しばかり」
「…………」
カトリーナの口元が僅かに動いた。
席から立ち上がり、そして。
「皆の者」
広間へ向け、よく通る声を張る。
音楽は続いている。
けれど周囲の会話が少しずつ止まり、やがて大広間中の視線がこちらへ集まってきた。
「少々、不届きな輩が王宮の倉庫へ忍び込んだようだけれど」
ざわり、と。
小さなどよめきが起こる。
「すでに始末はついているわ」
何でもないことのように、淡々と言い切る。
「宴を止めるほどのことではない。気にせず続けなさい」
『賊……?』
『王宮にか?』
『もう捕まったのなら……』
『第二王女殿下がそう仰るなら』
ざわめきは広がったものの。
それ以上、事件について問いただそうとする者はいない。
何が起きたのか。
誰が関わったのか。
王女本人が〝大した事件ではない〟と断じた以上、この場で余計な詮索をする方が危険なのだ。
そして。
「それから」
カトリーナがフィオナへ目を向ける。
「この娘が、賊の捕縛に手を貸してくれたそうよ」
「えっ」
フィオナの顔が引きつった。
「で、殿下?」
カトリーナは悪びれもせず続ける。
「勇敢な娘だ、褒めてやろう」
一瞬、場内か静まり返る。
そして──。
『あの娘が!?』
『賊を捕らえたのか?』
『先ほどのワインの娘だぞ!』
『あの細腕で……?』
『何者なんだ、あの娘は!』
どっと。
会場の空気が熱を帯びた。
(えっ)
フィオナは青ざめる。
(ええっ! これ、私、凄く目立ってしまっているのでは……!)
第二王女の関心を引く幻の酒を持ち。
第五王女と親しげに話し。
さらに、王宮へ入り込んだ賊を捕らえた。
しかも、それを第二王女本人が公の場で認めた。
会場からさ拍手が湧き上がり、ざわめきはどんどんと広がっていく。
『いや、それより……改めて見ると随分と美しい娘だな』
『ああ。先ほどから目立ってはいたが……』
『ローゼンベルク伯爵の親族か?』
『聞いたことがないぞ』
『婚約者はいるのか?』
「…………」
嫌な流れになってきた。
『おい、誰か素性を知らないのか』
『〝孤高の悪魔〟を持ち、第五王女殿下と親しく、第二王女殿下から直々にお褒めの言葉まで……』
『ただの娘ではないぞ』
『うちの息子に──』
『待て、先に声を掛けるのは私だ』
(えっ、えええ……!?)
フィオナが一歩後ずさる。
だが、遅かった。
「失礼、お嬢様!」
一人の若い貴族が真っ先に歩み寄ってくる。
「ご活躍のほど、感服いたしました。差し支えなければ、お名前をお伺いしても?」
「あ、えっと……」
「お飲み物はいかがです? ぜひ私が」
「いやいや、その前にご挨拶を!」
「君たち、女性を取り囲むものではないぞ!」
そう言いながら、その本人も輪へ加わる。
「えっ、あの……!」
見る見るうちに、フィオナの周囲へ人垣ができていく。
「わ、私は、その……!」
「どちらのご出身で?」
「ローゼンベルク伯爵とはどういったご関係です?」
「ぜひ一曲、お相手を!」
「あの、ちょっと……!」
完全に押されている。
武装した兵士を相手にしたときより、明らかに狼狽えていた。
「ス、スカーレット様……!」
必死に人の肩越しへ視線を送る。
少し離れた場所にいるスカーレットと目が合った。
「…………」
助けてください。
全力で訴える。
スカーレットはフィオナを見て、その周囲を取り囲む貴族たちを見て。
申し訳なさそうに首を横へ振った。
(そ、そんな……!)
これだけの人数へ無理に割って入れば、余計に注目を集めるだけだと判断したのだろう。
次に。
「ハイネル様……!」
縋るような視線を送る。
「がっはっはっは!」
笑っていた。
ものすごく楽しそうに。
(助ける気がない……!)
「お嬢様! ぜひ一曲!」
「いや、私と!」
「ではせめてお名前だけでも!」
「えっ、あの、ちょっと待ってくださいぃ!」
次々と浴びせられる言葉に、フィオナの頭が追いつかない。
その少し外側では。
「…………」
セシリアが口元へ手を添えていた。
肩が小さく震えている。
「セ、セシリア様……?」
「…………っ」
「もしかして……笑ってます?」
「ご、ごめんなさい、フィオナさん」
とうとう堪えきれず。
「ふふっ」
笑い声が漏れた。
「でも……」
セシリアは楽しそうに目を細める。
「すごい人気ですね。私の騎士さま」
「今はそれどころじゃないですぅ……!」
「ふふふっ」
「セシリア様ぁ!」
第二王女カトリーナの一言によって、事件の真相は綺麗に覆い隠され、人々の興味は、すっかり別の方向へ向けられていた。
まさに、カトリーナの思惑通り。
──ただ一人。
そのために社交界中の注目を押しつけられたフィオナだけは。
「だ、誰か助けてくださいぃ……!」
まったく納得していなかった。




