第74話 少しは楽しんでも罰は当たりませんよ
誰もが言葉を失っていた、そのときだった。
ガンッ──!
倉庫の扉が激しい音を立てて開かれた。
「何事だ!」
「悲鳴が聞こえたぞ!」
金属鎧を鳴らしながら、王宮の警備兵たちが次々となだれ込んでくる。その後ろには騒ぎを聞きつけたらしい使用人たちの姿もあり、静まり返っていた倉庫は一転して騒然となった。
「これは……!」
先頭の兵士が、床へ散乱した武器と鎧を見て息を呑む。
その視線が奥へ向かい──白金の髪の少女を捉えた瞬間、顔色が変わった。
「第五王女殿下!?」
「殿下、ご無事ですか!」
「大丈夫です」
駆け寄ろうとする兵たちを、セシリアは片手を上げて制した。
つい先ほどまでフィオナの剣技を前に呆然としていた少女の面影はない。背筋を伸ばし、王族としての落ち着きを取り戻していた。
「私は無事です。皆さん、落ち着いてください」
「しかし、これはいったい……」
床には武器を失った兵士たちが座り込み、その向こうではドルマン伯爵とスラズール侯爵が完全に腰を抜かしている。
どう見ても、ただ事ではない。
セシリアは一度フィオナへ目を向けると、静かに事情を説明し始めた。
ドルマン伯爵とスラズール侯爵が裏で結託していたこと。
自分への献上品をすり替え、失脚を企てていたこと。
さらにフィオナを利用してヴァルト侯を操ろうとし、自分たちをここへ誘い込んだこと。
そして──。
「私たちを守ってくださったのが、こちらのフィオナさんです」
「えっ」
突然名前を出され、フィオナが肩を跳ねさせた。
兵士たちの視線が一斉に集まる。
「この方が……?」
「一人で?」
「……この人数を?」
「え、ええと……」
フィオナは困ったように笑った。
「皆さんが……思っているより、お強くないというか……」
「…………」
「…………」
兵士たちの視線が床へ向く。
真っ二つになった剣。
切り裂かれた胸当て。
砕けた籠手。
それでいて、倒れている者には目立った外傷すらない。
「…………」
何とも言えない沈黙が流れた。
「と、とにかく!」
隊長らしき男が我に返ったように声を張る。
「ドルマン伯爵、スラズール侯爵! 両名を拘束しろ! 加担した者も全員だ!」
「はっ!」
今度こそ兵士たちが動く。
「ま、待て! これは何かの間違いだ!」
「そうだ! 我々は王国のために──」
「言い訳は後で聞く!」
「離せ! 儂を誰だと思っている!」
騒ぎ立てる二人の腕へ容赦なく縄が掛けられ、買収されていた警備兵たちも次々と拘束されていく。
ドルマンたちは最後まで何かを叫んでいたが、やがて倉庫の外へと引き立てられていった。
使用人たちも壊れた物品の確認や後始末へ動き始め、先ほどまでの殺伐とした空気が少しずつ薄れていく。
ようやく。
「……終わったんですね」
フィオナが、ほっと息を吐いた。
「はい」
隣に立つセシリアも胸へ手を添える。
「ありがとう……ございます」
二人は顔を見合わせた。
そして、どちらからともなく小さく笑った。
ほどなくして──。
「フィオナ!」
聞き慣れた声が飛んできた。
「スカーレット様?」
振り返った直後、赤い髪が視界へ飛び込んでくる。
スカーレットは普段の落ち着きなどどこへやら、早足でフィオナの前まで来ると、その両肩を掴んだ。
「無事か!? 怪我はないか!」
「は、はい!」
「本当だな?」
「大丈夫です。少し怖かったですけど……どこも怪我してません」
「…………そうか」
スカーレットの肩から、目に見えて力が抜けた。
「よかった……」
その一言には、心からの安堵が滲んでいた。
「申し訳ありませんでした。勝手に尾行なんかしてしまって」
「まったくだ」
スカーレットは額へ手を当てる。
「護衛を任せたと思ったら、その護衛対象と二人揃って敵の罠へ飛び込むとはな。話を聞いて肝が冷えたぞ」
「うっ……」
「ご、ごめんなさい」
何故か横でセシリアまで小さくなる。
スカーレットはそんな二人を交互に見て、呆れたようにため息をついた。
「似た者同士だったか……」
「え?」
「いや、何でもない」
「がっはっはっは!」
その背後から、豪快な笑い声が響いた。
「無事なら何よりではないか!」
「ハイネル様……!」
ハイネルも遅れて倉庫へ入ってくる。
床一面に散らばった武器と鎧へ目をやり、感心したように口笛を吹いた。
「これはまた……派手にやったものだ」
「これは、フィオナが?」
スカーレットも改めて周囲を見る。
「……全部か?」
「ええと……はい」
「一人で?」
「はい……」
「…………」
スカーレットが黙った。
代わりに、ハイネルが嬉しそうに髭を撫でる。
「がっはっは! さすがは〝白獅子〟の弟子よ!」
「そ、そんな大したことはしてません!」
「この惨状でそれを言うか!」
「本当に必死だっただけで……」
フィオナは恥ずかしそうに俯いた。
「それに、皆さんが思っているより──」
「そこから先は言わんほうがよいぞ」
ハイネルが即座に止めた。
「え?」
「王国騎士の名誉のためにもな」
「……?」
意味が分からず首を傾げるフィオナ。
そんな彼女の隣で、セシリアが小さく息を吐いた。
「……フィオナさん」
「はい?」
「本当に、ごめんなさい」
「え?」
先ほどまで王女として毅然としていた顔が、今はすっかり年相応の少女へ戻っている。
「私が、あの方たちを追いかけようなんて言ったから……あなたを危険な目に遭わせてしまいました」
「セシリア様……」
「もしフィオナさんに何かあったらと思うと……」
白い指が、ぎゅっとドレスの裾を握る。
フィオナは慌てて、その手を両手で包み込んだ。
「大丈夫です!」
「でも……」
「本当に、何ともありませんから」
それから少し照れながら、胸を張る。
「それに私、セシリア様の〝騎士〟ですから!」
「……!」
「お護りできたなら、それで十分です」
「フィオナさん……」
セシリアの表情が、ゆっくりと綻んだ。
「ありがとうございます」
「はい!」
二人が笑い合う。
その様子を眺めながら、スカーレットもどこか満足そうに目を細めた。
「何にせよ──」
スカーレットは、改めて周囲を見渡した。
「これで、ひとまず一件落着というところか」
「ああ」
ハイネルも腕を組み、大きく頷く。
「ドルマンとスラズールだけではあるまい。あやつらがどこまで根を張っていたのか、これからじっくり調べる必要はあるがな」
「そうですね」
「だが、今夜の目的としては十分すぎる成果だ」
そう言ってハイネルはフィオナへ向き直ると、にやりと笑った。
「フィオナ嬢。大手柄だぞ」
「そ、そんな……」
「謙遜するでない。儂の命どころか、セシリア殿下まで救ってもらったのだ。この礼は日を改めて、きちんとさせてもらう」
「い、いえ! 本当にそんな……!」
「がっはっは! 遠慮は無用だ!」
豪快に笑うハイネル。
けれどフィオナは、ふと不安そうに倉庫の外へ目を向けた。
「あの……」
「なんじゃ?」
「このあとのことは……大丈夫なのでしょうか」
「このあと?」
「はい。ドルマン伯爵様たちは捕まって、それに王宮の兵士まで関わっていて……セシリア様も狙われました」
そこまで言って、少し声を落とす。
「こんな大事件が起きたのなら、パーティーどころではないんじゃ……」
「ああ。そのことか」
ハイネルとスカーレットが顔を見合わせた。
「さて、どうしたものかな」
スカーレットが腕を組む。
「王族への誘拐未遂となれば、本来なら宴を中断してもおかしくない。まして、主犯が貴族ともなればな」
「…………」
フィオナの表情が曇る。
「やっぱり……」
「まあ待て」
ハイネルが口を挟んだ。
「この件をどう扱うかは、儂らが勝手に決めることでもあるまい」
「え?」
「今夜の主役は第二王女殿下だ。この生誕祭の最中に起きた事件でもある」
ハイネルは顎髭を撫でながら、少しだけ意味ありげに笑う。
「まずはカトリーナ殿下へ報告し、その後の扱いは殿下にお任せするのが筋だろう」
「カトリーナ殿下に……」
「ああ」
フィオナは先ほどの第二王女を思い浮かべた。
怒れば恐ろしく、酒のこととなると驚くほど機嫌が変わり。
何より、自分の立場や王家の威厳を強く意識している人物。
ハイネルが、ふっと鼻を鳴らした。
「まあ──」
口元に、どこか呆れたよつな笑みを浮かべる。
「あの殿下のことじゃ。宴は……まあ、大丈夫だろう」
「……?」
フィオナが首を傾げる。
その横で、セシリアも何か思い当たるところがあるのか、少し困ったように笑っていた。
「お姉様ですからね……」
「…………?」
「……あぁ。確かにな」
スカーレットも何かを察したように頷いた。
「ともかく、その辺りはこちらで話をつけよう。君が気にする必要はない」
「……はい」
「それよりも」
スカーレットの表情が、少しだけ悪戯っぽいものへ変わる。
「せっかく任務も終わったんだ。あとは少しくらい、宴を楽しんでもいいだろう」
「楽しむ……ですか?」
「ああ。ダンスも、あれだけ練習したのだからな。一曲くらい踊らなければ、ルス殿も残念がるだろう」
「えっ」
フィオナの顔が固まった。
「ダ、ダンス……」
「ほう!」
ハイネルが即座に食いつく。
「剣だけではなく、ダンスまで白獅子仕込みか!」
「い、いえ! そこまで言われると、ものすごく上手みたいに聞こえるんですけど!」
「ならば、なおさら見てみたいものだ!」
「えぇっ!?」
「さあさあ! 後のことはこちらに任せろ!」
ハイネルが豪快に笑いながら、半ば強引に皆を倉庫の外へ追い立てる。
「ま、待ってください!」
フィオナは戸惑いながらも、回廊の向こうに見える時計へ目をやった。
(零時までは……あと一時間半くらい)
深夜零時になれば、耳と尻尾を隠している魔法が解けてしまう。
それまでには、絶対に王宮を出なければならない。
けれど。
(少しくらいなら……大丈夫、かな)
「行きましょう、フィオナさん」
横から、セシリアが嬉しそうに声を掛ける。
「せっかく無事にお役目を果たしたのです。少しくらい楽しんでも、罰は当たりませんよ」
「セシリア様……」
「それに」
ふふ、と笑う。
「私も、フィオナさんが踊るところを見てみたいです」
「セシリア様まで!?」
「がっはっはっは!」
「逃げ道がなくなったな」
「スカーレット様ぁ……!」
三人の笑い声に囲まれ、フィオナは少しだけ頬を膨らませた。
それでも最後には──
「……はい!」
諦めたように。
けれど、とても嬉しそうに笑った。
そうして四人は、再びシャンデリアの輝く大広間へと歩き出した。
後に残された倉庫には、砕けた武器と鎧の破片。
そして、小窓から差し込む静かな月明かり。
ほんの少し前まで張り詰めていたその場所を、銀色の光が何事もなかったかのように、柔らかく照らしていた。




