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第73話 貴様……いったい、何者なんだ

 フィオナの必死の訴えも虚しく、兵たちはじりじりと間合いを詰めてくる。

 ここまで言っても、聞き入れてはもらえないらしい。


(……仕方ない)


 フィオナは小さく息を呑んだ。


 できることなら、誰も傷つけたくない。けれど、このまま自分が捕らえられれば、最悪の場合、この場にいる者だけでは済まなくなる。


 何千、何万という人々の命がかかっているのだ。


 そう自分に言い聞かせ、胸元のペンダントへ指先を滑らせる。


 途端に、淡い光が指の隙間から漏れ出した。


「……?」


 兵たちの足が止まる。


 次の瞬間──青白い輝きが弾け、フィオナの手の中に一振りの剣が現れた。


 透き通るような青い刀身。


 光を宿した氷をそのまま研ぎ澄ましたような、儚くも鋭い輝きを放っている。


「なっ……!?」


 ドルマンの目が大きく見開かれた。


「魔法武具……いや、召喚式の魔装具か!」


「ちっ……」


 スラズールも一瞬驚きを見せたものの、すぐさま冷笑を浮かべる。


「さすがはヴァルト侯の傍にいる娘、といったところですか。だが──」


 周囲を見渡し、鼻を鳴らした。


 倉庫の中には木箱や酒樽、棚が所狭しと並んでいる。長剣を自在に振り回すには、明らかに不向きな場所だ。


「こんな狭所で長剣を選ぶとはな。やはり実戦を知らぬ素人らしい」


「…………」


「紳士的とは言えませんが……望みとあらば、少々痛い目を見ていただきましょう」


 スラズールが顎をしゃくる。


 それを合図に、兵士の一人が床を蹴った。


「フィオナさん!」


 短剣が燭光を裂き、フィオナへ迫る。


 しかし──。


 キィンッ!


 透き通るような金属音が響いた。


「……え?」


 兵士が目を瞬く。


 その手に握られていたはずの短剣が、くるくると宙を舞っていた。


 何をされたのか理解する暇もない。


 青い残光がもう一度走り、兵士の胸当てに一筋の線を刻む。


 ぱきん、と乾いた音。


「ひっ……!」


 男が青ざめて後ずさった。


 厚い金属製の胸当てが、まるで薄布のように斜めへ裂け、床へ落ちていく。


 けれど──その下の服には傷一つない。


 当然、血も出ていなかった。


「な、なんだ……今のは……」


 兵士の顔から血の気が引く。


 フィオナは剣を両手で構え直しながら、申し訳なさそうに説明した。


「この剣……〝斬りたいものだけを斬る〟ことができるそうです」


「……は?」


「ジーク様のお気に入りだと聞いています」


 淡い青光が刀身を流れ、波紋のように揺らめく。


「…………」


 兵士たちが、一斉に息を呑んだ。


 剣先から感じる異様な気配。


 つい今しがた目の前で起きた、理解不能な現象。

 剣が積まれた荷物をすり抜けたかと思ったら、分厚い鎧を雑作もなく切り裂いた。


 誰もが無意識に一歩ずつ距離を取る。


「ええい、何をしている!」


 そんな彼らを叱咤したのはドルマンだった。


「相手はたった一人の小娘だぞ! お前たち、金は要らんのか!」


「……っ」


 兵士たちは顔を見合わせ、再びフィオナを取り囲むように剣を構える。


 だが、先ほどまでの勢いはない。


 誰もが腰を引き、なかなか踏み込もうとしなかった。


 一方──。


(…………?)


 フィオナもまた、動けずにいた。


(これは……どういうこと?)


 目の前の兵士たちを注意深く観察する。


 剣先。

 足の運び。

 重心。

 肩の動き。


 その全てから相手の次の動き、狙いを必死に読み取ろうとする。


 だが。


(右の人……重心が前に寄りすぎてる)


 あれでは踏み込んだ瞬間、簡単に体勢を崩してしまう。


(左の人は……剣先がぶれてる。それじゃ、次にどこを斬るのか分かっちゃうし……)


 もう一人は、先ほどから何度も足を踏み替えている。

 どこから飛び込もうとしているのか、見ているだけで分かってしまう。


(…………)


 あまりにも。

 隙だらけだ。


 だからこそ──フィオナには恐ろしかった。


(こんなに分かりやすいなんて……おかしい)


 仮にも王宮を警備する兵士なのだ。

 そんな者たちが、揃いも揃ってこれほど不用意なはずがない。


(もしかして、わざと隙を……?)


 自分から攻め込ませるために?

 何か別の狙いがあるのでは?


(誘ってる……。それは分かるけど、狙いが読めない)


 フィオナの額へ、冷たい汗が浮かぶ。


(やっぱり……実戦は稽古とは全然違う……!)


 彼女が真剣にそんなことを考えているとは、当然ながら誰も知らない。


 暫し、奇妙な睨み合いが続いた。


「う……うおおおっ!」


 やがて沈黙に耐えきれなくなったのか、一人の兵士が雄叫びを上げて踏み込んできた。


「……!」


 フィオナが身構える。


 男は剣を大きく振りかぶり、そのまま力任せに振り下ろした。


 その瞬間。


(……! なに、この剣筋は!?)


 フィオナ自身が驚くほど、はっきりと剣の軌道が見えた。


 ほんの少し身体を捻る。

 それだけで刃はドレスを掠めることすらなく、虚しく空を切った。


「なっ──」


(えっ……?)


 兵士も驚いている。


 だが、それ以上にフィオナが戸惑っていた。


(これだけ……?)


 次の攻撃が来る気配もない。


 罠らしい動きもない。


 ただ、大きく体勢を崩しているだけ。


(え、えっと……!)


 フィオナの剣が閃いた。


 キィィン──!


「うわっ!?」


 青い残光は周囲の荷物をすり抜け、兵士の短剣だけを正確に捉える。


 刀身が根元から切断され、床へ転がった。


 同時に胸当てと肩当てにも細い亀裂が走り、ばらばらと金属片が落ちていく。


 それでも本人には、傷一つない。


「…………」


 兵士は何が起きたのか理解できないまま、その場へ尻餅をついた。


「な……」


「今の、見えたか?」


「いや……」


「動きが……全然……」


 動揺が広がっていく。


 だが──フィオナの中にも、別種の動揺が広がっていた。


(……どういうこと?)


 今の男は、避けようとすらしなかった。


(私が斬らないって分かってたから……わざと攻撃を受けた?)


 だとすれば。


(何のために!?)


 分からない。


 何か。

 きっと自分にはまだ見えていない作戦がある!?


 だが──もちろん。


 そんなものは、ない。


 ただ単純に。


 実力が違いすぎるのである。


 フィオナが毎朝欠かさず剣を交えている相手。


 どうにかして一度だけでも切先を届かせようと、毎日のように食らいついている人物。


 それは──かつて〝白獅子〟の異名で戦場を震え上がらせたルスだ。

 かのジークをもって“剣なら王国最強”と言わしめる男だ。


 剣筋は読むどころか目で追う事すら叶わない。

 隙を見つけたと思えば、それ自体が罠。

 ほんの一瞬でも迷えば、次の瞬間には喉元へ剣が突きつけられている。


 フィオナにとって、斬り合いとはそういうものだった。


 強さの基準が。

 最初から致命的に狂っているのである。


 さらに。


 そのルスがフィオナを評した言葉は──〝筋は確かだ〟。


 獣人特有の優れた身体能力に、毎朝欠かさず積み上げた鍛錬。


 そして、本人が気づいていない剣の才。


 本人も知らぬ間にフィオナは、並の兵士が数人がかりでどうにかできるような領域を、とっくに越えていた。


「え、ええい!」


 ドルマンが苛立たしげに叫ぶ。


「一斉に行け! 囲めばどうということはない!」


「……っ!」


 兵士たちは顔を見合わせる。

 そして覚悟を決めたように、今度こそ一斉に床を蹴った。


「フィオナさん!」


 セシリアが息を呑む。


 右から二人。

 左から二人。

 正面から一人。


 フィオナは深く息を吐くと、すっと重心を落とした。


(今は、考えるな。セシリア様を──守る)


 それだけを考える。


 一人目の短剣が横薙ぎに迫る。


 身体を沈めてかわし、すれ違いざまに青い刃を滑らせる。


 キンッ!


 短剣が弾け飛んだ。


 背後から二人目。


 フィオナは振り向くより早く、一歩横へ流れる。


 返した刃が男の籠手を掠め、金属部分だけが真っ二つに割れた。


「なっ──!?」


 三人目の突きを半身でかわし、その脇を抜ける。


 栗色の髪と若草色のドレスが翻り、遅れて青い残光が円弧を描いた。


 胸当てが左右に割れ、床へ落ちる。


「ひっ!」


 誰一人。

 フィオナへ触れることすらできない。


 踏み込み、かわし、返す。


 剣を振るうたびに金属音と火花が散り、武器と鎧だけが次々と斬り落とされていく。


 しかも。

 血は、一滴も流れない。


 狭い倉庫であることなど、もはや何の障害にもなっていなかった。


 むしろ、大振りをせず最短の軌道で刃を走らせるルス仕込みの剣術には、これほど都合のいい場所もない。


「な、なんだこいつ……!」


「剣が見えない!」


「いつ斬られたんだ!?」


 兵士たちからすれば、悪夢そのものだった。


 目の前の少女が僅かに動いたと思った瞬間には、手元から武器が消えている。

 身を守っていたはずの鎧も、気づけば床に落ちている。


 そして何より恐ろしいのは。


 それほどの剣を浴びながら──誰一人として傷つけられていないことだった。


 もし、あの少女がその気なら。


 今床に転がっているのは、剣や鎧ではなく。


 自分たちの腕や、首だったのではないか。


「ひっ……」


 最後まで剣を握っていた兵士の顔が引きつった。


「ひいいいいっ!」


 がらんっ!


 自ら剣を投げ捨てる。


「ば、化け物だ……!」


「…………」


 その瞬間。

 フィオナの剣が止まった。


 倉庫に、静寂が戻る。


 床には折れた武器や鎧の破片が散乱し、兵士たちは皆、座り込むか倒れ込むかしている。


 誰一人。

 もう立ち向かってこようとはしなかった。


「…………」


 フィオナは剣を構えたまま、慎重に周囲を見回す。


(……お、終わり?)


 いや。


 本当に?


(まだ何か作戦があるんじゃ……)


 最後まで警戒を解けずにいるフィオナとは対照的に。


 ドルマンとスラズールは、完全に血の気を失っていた。


「な……なんだ……」


 ドルマンの口髭が震えている。


「あれだけの兵が……一瞬で……」


「に、人間の動きじゃない……」


 スラズールも壁際まで後退していた。


 そして。

 フィオナが二人へ視線を向ける。


「ひぃっ!」


 それだけで、ドルマンが肩を跳ねさせた。


「ま、待て!」


「い、命だけは……!」


 二人は互いに背を寄せ合い、目の前の少女を恐怖に引きつった顔で見つめている。


「…………?」


 フィオナは僅かに眉を寄せた。


 何故、こんなにも怯えているのだろう。

 この程度剣を合わせただけで。


「ですから」


 青い剣をゆっくりと下ろす。


「最初から、そうお願いしているんです」


「……え?」


「これ以上は無駄です。もう一度だけお願いします」


 真っ直ぐ二人を見て、フィオナは告げた。


「どうか、考え直してください」


 そして。

 心の底から心配そうな声で付け加える。


「──あなたたちの身の安全のために」


「…………」


「…………」


 ドルマンとスラズールの表情が凍りついた。


 身の安全。


 今。


 この娘は、そう言ったのか。


 王宮の兵をまとめて叩き伏せ。

 厚い鎧を薄紙のように斬り裂き。

 それでいて一滴の血も流さず。


 そのうえで。


 ──これはお前たちのためだ、と。


(な……)


 ドルマンの喉がひくつく。


(なんなのだ、この娘は……!?)


 これほど圧倒的な力を見せつけておいて、怒っている様子すらない。

 脅しているようにも見えない。


 本気で、本当に。

 こちらの身を案じているようにしか見えない。


 それが、何より恐ろしかった。


「な……」


 ドルマンの膝から力が抜ける。


「な、なんなんだ」


「はい?」


 何の話だろう、とフィオナが首を傾げる。


「ひっ!」


 その何気ない仕草にさえ怯え、ドルマンはがくりとその場へ膝をついた。


 スラズールも壁を背に、ずるずると腰を落とす。


「な、何者なんだ……」


 掠れた声。


「貴様……いったい、何者なんだ……!」


「え?」


 フィオナは目を瞬いた。


 何者。


 そう聞かれても。


「ええと……」


 少し考える。


 それから、手にしていた剣を光へと戻し、ペンダントへ収めた。


「私は……ジーク様にお仕えしているメイドです」


「…………」


「それと、今はセシリア様の護衛を任されていて……」


 そこで振り返る。


 セシリアは。


「…………」


 ぽかん、と口を開けたまま。

 フィオナを見つめていた。


「あ……」


 先ほど言われた言葉を思い出す。


「〝騎士さま〟……です」


「…………」


 そして。

 もう一度、ドルマンたちを見る。


 フィオナは困ったように微笑んだ。


「私は、本当にあなたたちを守りたかっただけなんです」


「…………」


 返事はなかった。


 倒れ伏した兵士たちも。

 腰を抜かしたドルマンも。

 青ざめたスラズールも。


 そして。


 守られていたセシリアでさえ。


 誰一人として。

 その言葉を、どう受け取ればいいのか分からない。


 静まり返った倉庫の中で。

 床へ落ちた鎧の破片だけが──からん、と小さな音を立てた。

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