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第72話 “孤高の悪魔”の恐ろしさと──大人げなさを!

「──待ってください!」


 ドルマンの目的を聞いた瞬間、セシリアがフィオナの背後から飛び出した。


「セシリア様!」


 フィオナが止めるより早く、セシリアは二人の男を真っ直ぐに見据える。


「フィオナさんは関係ありません! これは王宮と、ハイネル殿を巡る政治的な問題でしょう? 何の関係もない彼女を巻き込むなど──」


「ああ……」


 スラズールが、そこで初めて思い出したようにセシリアへ目を向けた。


「そういえば、貴女もいらっしゃいましたね」


「…………」


 あまりにもぞんざいな物言いに、セシリアの表情が強張る。


「少々面倒ではありますが、殿下にもお付き合いいただきますよ」


「付き合う……」


「ええ。事のついでとはいえ、王族を攫うとなればさすがに重罪ですからね。実に厄介」


 そこでスラズールは薄く笑い、わざとらしく肩をすくめた。


「まあ──貴女で良かったですよ、〝第五王女〟」


「……どういう意味ですか」


「そのままの意味です」


 冷たい視線がセシリアを射抜く。


「〝孤高の悪魔〟という厄災を前にすれば、第五王女一人の行方など些細な問題に過ぎない。まして、王宮内で大した後ろ盾も持たぬ貴女ならなおさらだ」


「…………」


「多少騒ぎにはなるでしょうが、いずれ誰も気に留めなくなる。違いますか──第五王女殿下?」


 侮蔑を隠そうともしない声だった。


 セシリアの唇が、僅かに震える。


 先ほどまでなら、俯いてしまっていたかもしれない。


 けれど今は違った。


「……あなたたちは」


 顔を上げたまま、静かに告げる。


「どこまで腐っているのですか」


「腐っている?」


 ドルマンが鼻で笑った。


「違いますな。我々は──現実を見ているだけですよ」


 ゆっくりと歩きながら、両手を背後へ回す。


「セシリア殿下。貴女は今のレガーレイ王国を、本当にこのままで良いとお考えなのですか?」


「……何を」


「帝国との長い停戦に胡座をかき、平和が永遠に続くと錯覚している。王家では次代を見据えた争いばかりが続き、その中心にいるのは──失礼ながら、政治も戦争も満足に知らぬ王女たちだ」


 セシリアの眉が寄る。


「それと、このようなことに何の関係があるのです」


「大ありですよ!」


 今度はスラズールが声を荒らげた。


「このままでは、いずれ帝国は再び攻めてくる! そのとき、今の王国に何ができる!? 議会で平民登用だの奴隷解放だのと綺麗事を並べ、軍も国力も削っている場合ではない!」


「それは──」


「だが!」


 スラズールの目に、異様な光が宿った。


「ヴァルト侯がいれば話は別だ」


「…………」


 フィオナの表情が強張る。


「あの男の力は、一個人が持ってよいものではない。軍どころか国家すら凌駕する、まさに歩く災厄だ」


 恐怖を語っているはずなのに。

 その声音には、隠しきれない興奮が混じっていた。


「ならば、その力を国のために使わせればいい。帝国など恐れる必要はなくなる。それどころか──」


 唇の端が吊り上がる。


「我々がその力を正しく使えば、この大陸そのものを平定することすらできる」


「……正気ですか」


 セシリアが呆然と呟いた。


「正気だからこそ言っているのですよ!」


 スラズールは両手を広げる。


「いかに優れた馬とて、騎手がいなければただの野獣に過ぎない! ヴァルト侯も同じだ。あれほどの力を持ちながら、辺境に引き籠もり何一つ成そうとしない!」


「…………」


「ならば我々が手綱を握り、その力を正しい方向へ導く。それこそが王国のためなのです!」


(……手綱?)


 フィオナは一瞬、耳を疑った。


 ジークの手綱を、この人たちが握る。


(…………)


 想像ができない。


 いや、正確には──想像したくもない。


「そして」


 ドルマンが、ゆっくりフィオナへ手を差し出した。


「その手綱になっていただくのが、貴女というわけだ。お嬢さん」


「…………」


「大人しく我々に従いなさい。抵抗などしなければ、こちらも必要以上に乱暴をするつもりはない」


 その言葉を合図に、周囲の兵たちが一斉に短剣を抜いた。


 しゃりん、と乾いた金属音が重なる。


 燭台の明かりを反射した刃が、薄暗い倉庫の壁へ不吉な光を散らした。


 セシリアは兵士たちを見回し、悲しげに眉を寄せた。


「あなたたち……王室警備兵なのでしょう?」


 兵たちの動きが、僅かに止まる。


「王家を守るための方々が……この人たちに買収されたのですか」


「…………」


 誰も答えない。


 けれど、その沈黙こそが答えだった。


 セシリアは辛そうに目を伏せる。


「……そうですか」


 怒りよりも、失望のほうが強い声だった。


 兵たちが短剣を構え、ゆっくりと距離を詰めてくる。


 さすがのセシリアも、その圧力に一歩だけ後ずさった。


「…………」


 その横で。


 フィオナは、ずっと黙ったまま俯いていた。


 肩が小さく震え、拳も固く握りしめられていた。


「フィオナさん……?」


 セシリアが不安げに名前を呼ぶ。


 やがてフィオナは顔を上げた。


 その表情には──はっきりと恐怖が浮かんでいる。


「……お願いです」


 掠れた声。


「こんなことは、やめてください」


「ほう?」


 ドルマンが面白そうに眉を上げる。


「フィオナさん……」


「今なら、まだ間に合います」


 震えながらも、フィオナは懸命に言葉を続けた。


「どうか……考え直してください。このままでは、本当に恐ろしいことになります」


 あまりにも真剣な声だったからだろう。


 迫っていた兵たちの足が、一瞬だけ止まった。


 だが。


「はっはっは!」


 ドルマンが愉快そうに笑った。


「そこまで怯えなくともよい」


「……え?」


「手段こそ少々乱暴ではあるが、我々は野盗ではない。信念があって行動しているのだ」


 諭すような口調で続ける。


「大人しく協力するなら、命まで奪うつもりはない。貴女はあくまで、ヴァルト侯との交渉材料なのだからな」


「い、いえ、違います!」


 フィオナの声が跳ねた。


「……何が違う?」


「心配しているのは、私のことではありません!」


「…………?」


 ドルマンが怪訝そうな顔になる。


 彼らは。


 何一つ分かっていない。


 自分たちが、これから何をしようとしているのか。


 いったい〝誰〟を相手にしようとしているのか。


(人質を取って……ジーク様を操る?)


 そんなことが。


 本当にできると思っているのだろうか。


 フィオナの脳裏に、屋敷でのジークの姿が浮かんだ。


 いつも眠たそうで。

 大抵のことには興味がなくて。

 何が起きても面倒そうにしている。


 けれど──。


 自分の大切なものに手を出されたときだけは──決して許さない。


(自惚れなのかもしれないけど……)


 少なくとも。

 もし自分が人質に取られたと知れば。

 彼はは、来る。助けに来てくれる。


 絶対に。


 牢獄に隠そうが。

 見張を何十人付けようが。

 どれほど周到な罠を仕掛けようが。


 きっとあの人なら、自分たちを何事もなかったかのように救い出す。


 (でも……)


 そこまではいい。

 問題は、そのあとだ。


 (…………)


 フィオナの顔から血の気が引いた。


 この人たちは。無事では済まないだろう。


 屋敷が消し飛ぶ。

 領地ごと消し飛ばす。


 場合によっては。


(く、国ごと……)


 やりかねない。


 というより。


 怒ったジークなら、本当に何処までやるのか分からない。


 彼らは分かっていないのだ。

 “孤高の悪魔”の恐ろしさと──大人げなさを!


(駄目……!)


 これはもう。

 自分一人が捕まるとか、そういう問題ではない。


 むしろ。


(私より、この国の人たちの命のほうが危ない……!)


 フィオナの身体がぶるりと震えた。


「お願いです!」


 たまらず一歩前へ出る。


「私ではなく、皆さんのために言っているんです!」


「…………」


「ジーク様と取引しようなんて考えないでください! 本当に、今のうちにやめたほうがいいです!」


「…………」


 ドルマンとスラズールが顔を見合わせる。


 そして。


「……ふっ」


 スラズールが鼻で笑った。


「人質の分際で、今度はこちらを脅すつもりですか?」


「ち、違います!」


「随分と必死ですね」


「だから本当に……!」


「もうよい」


 ドルマンが面倒そうに手を振った。


「怯えている人間の戯言に付き合っている暇はない。捕らえろ」


「はっ!」


 兵たちが一斉に踏み出した。


「……!」


 セシリアが、フィオナの袖をぎゅっと掴む。


「フィオナさん」


 小声で。


「ここは、一度従いましょう」


「え?」


「この方々には、もう何を言っても通じません。ここで抵抗すれば、あなたが怪我をしてしまいます」


「…………」


「捕まったとしても、きっとハイネル様やスカーレット様が気づいてくださいます。ですから今は──」


「いいえ」


 フィオナは小さく首を振った。


「フィオナさん?」


 迫ってくる兵士たちを見る。


 そして。


 何故か少し悲しそうな顔になった。


「私も……助けられる命を、見捨てるつもりはありません」


「……え?」


「はあ?」


 セシリアとドルマンが。

 ほぼ同時に声を上げた。


「誰が」


 ドルマンが苛立たしげに眉を寄せる。


「誰を助けるというのだ?」


「…………」


「馬鹿馬鹿しい!」


 吐き捨てる。


「大人しく、この国を導くための礎となれ!」


「…………」


 フィオナは困ったように眉を下げた。


 セシリアは、そんなフィオナを心配そうに見ている。


 ドルマンとスラズールは、人質が恐怖でおかしなことを言い始めたと思っている。


 そしてフィオナだけは。


 目の前にいる彼らを──この国を。

 本気で助けようとしている。


 三者三様。


 話は、恐ろしいほど噛み合っていなかった。

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