第70話 私たちで、追ってみませんか
「──とはいったものの」
煌びやかな照明から少し外れた大広間の端で、フィオナとセシリアは並んで立っていた。
ホールの中央では楽団が優雅な旋律を奏で、貴族たちは笑い合いながら酒杯を傾け、あるいは男女で手を取り合って踊っている。
色鮮やかなドレスと宝石の煌めきが波のように揺れ、その合間では穏やかな笑顔に紛れて、ときおり誰かを値踏みするような視線や小さな嘲笑も飛び交っていた。
つい先ほどまでなら、フィオナもただ華やかな光景に目を奪われていただろう。
けれど今なら分かる。
ここはスカーレットの言った通り、〝会話と情報の戦場〟なのだ。
──もっとも。
「……特に、やることがありませんね」
「…………そうですね」
二人の周囲だけは、その戦場から取り残されたようにぽっかりと空いていた。
セシリアが気まずそうに頬へ指を添え、フィオナも困ったように笑い返す。
護衛を任されたときは胸が高鳴った。
自分が今度は誰かを守るのだと意気込みもした。
しかし実際に護衛となってみれば、やることはセシリアの隣に立ち、周囲へ注意を向けるくらいしかない。
(護衛って……もっと、こう……)
何かあると思っていた。
敵が襲ってきてほしいわけではもちろんないが、あれほど覚悟を決めた直後だけに、少し拍子抜けしてしまう。
何とはなしに会場を見渡してみれば。
カトリーナの周囲には相変わらず大勢の貴族が集まっていた。他の王族や名のある貴族のもとへも、次から次へと人々が挨拶に訪れ、笑顔を浮かべながら新たな縁を結ぼうとしている。
けれど──セシリアのもとには、誰も来ない。
「…………」
フィオナが何とも言えない気持ちでいると、セシリアがその視線に気づいたのか、少し申し訳なさそうに笑った。
「すみません。退屈ですよね」
「え?」
「私……他の王族のように、挨拶へ来てくださる方もいませんから」
その言葉には、ほんの少し自嘲が混じっているようだ。
「皆さん、私と親しくしているところを見られても、あまり得にはならないのでしょうね」
「そんな……」
「仕方のないことです。もう慣れていますから」
セシリアは何でもないことのように笑っている。
けれどフィオナには、その笑顔がどこか寂しく見えた。
民からは慕われている。困っている者がいれば自ら手を差し伸べ、そのために王宮の外へだって足を運ぶ。
そんな彼女が、その行いを理由に貴族たちから疎まれている。
先ほどスカーレットから事情を聞いてはいたが、実際にこうして目の当たりにすると、どうにも納得できなかった。
「……そんなことありません」
「え?」
「セシリア様は、とてもお優しいです。困っている人を助けて、それなのに偉そうになんて全然しなくて……」
「フィオナさん?」
少し勢い込んでしまったことに気づき、それでもフィオナは言葉を続けた。
「少なくとも……私みたいな普通の人間からすれば、セシリア様みたいな方が王女様でいてくださるほうが、ずっと嬉しいと思います」
「…………!」
セシリアが目を見開く。
言い切ってしまってから、フィオナは急に恥ずかしくなった。
「あっ……す、すみません。私なんかが偉そうなことを」
「いいえ」
セシリアは首を横に振ると、少しだけ頬を染めて微笑んだ。
「ありがとうございます。……とても嬉しいです」
「…………」
フィオナも照れくさそうに笑い返す。
再び二人の間に沈黙が流れたものの、今度のそれは先ほどまでの気まずいものではなかった。
フィオナは護衛として周囲へ目を配り、セシリアは行き交う人々をぼんやりと眺める。
そんな時間がしばらく続いたところで──
「あ」
不意に、セシリアが小さく声を上げた。
「フィオナさん。あちらを」
「はい?」
その視線を追い、フィオナも大広間の一角へ目を向ける。
長い料理卓の右端。人の流れから少し外れた場所に、二人の男が立っていた。
一人は腹の出た恰幅のいい中年の男。
もう一人は対照的に細身で、神経質そうな顔つきをしている。
二人は周囲に溶け込むような笑みを浮かべながら話していたが、フィオナはすぐに違和感を覚えた。
「…………」
時折、こちらを見ている。
ほんの一瞬だけ視線を寄越し、フィオナと目が合いそうになると、何事もなかったように顔を逸らす。
「……あの方々が?」
「はい。ドルマン伯爵と、スラズール侯爵です」
セシリアも周囲を気にするように、声を少し落とした。
「先ほどハイネル様たちがおっしゃっていた、お二人ですね」
「…………」
フィオナは改めて二人を見た。
セシリアを陥れた者として、現時点で最も疑わしい人物たち。
もちろん、あの二人が犯人だと決まったわけではない。自分が聞いた声の主だという証拠もまだない。
それでも──。
二人は酒を楽しむでもなく、他の貴族へ挨拶するでもなく、互いに短い言葉を交わしている。
やがてドルマン伯が手にしていたグラスを卓上へ置くと、スラズール侯爵が僅かに頷いた。
そのまま二人揃って人波の中へ入り、広間の出口へと向かっていく。
「……動きましたね」
「はい」
フィオナも小さく頷いた。
「スカーレット様にお伝えしたほうが──」
そう言いながら周囲を見回す。
だが、どれだけ探してもスカーレットの鮮やかな赤髪は見つからない。
ハイネルも先ほどまでいた場所から移動しており、何百人もの人間がひしめくこの大広間では、すぐに見つけるのは難しそうだった。
もう一度出口へ目を向けると、ドルマンとスラズールの姿は、今まさに扉の向こうへ消えようとしている。
(このままじゃ、見失っちゃう……)
とはいえ、自分の役目はセシリアの護衛である。
怪しい人物を追うために、守るべき相手を連れ回すなど本末転倒ではないか。
そう考えていた矢先。
「フィオナさん」
「はい?」
「……追ってみませんか?」
「…………え?」
思わずセシリアの顔を二度見した。
「今、なんと?」
「ですから、私たちで少し様子を見に行きましょう」
にこり。
あまりにも自然な笑顔で言うものだから、一瞬それが何かおかしな提案なのだと気づくのが遅れた。
「だ、駄目です!」
「えっ」
「危ないかもしれないじゃないですか! 私はセシリア様をお護りするように言われたばかりなんですよ!?」
「だからこそです」
「……え?」
セシリアは胸の前で両手を合わせると、先ほどまでとは打って変わって真剣な表情になった。
「もし、あの方々が本当に何かを企んでいるのなら、次は私ではなく、他の誰かが巻き込まれるかもしれません」
「それは……そうですけど」
「危険かもしれないからこそ、何をするつもりなのか知っておく必要があります。それに、今からスカーレット様たちを探していたら……」
セシリアがちらりと出口を見る。
「見失ってしまいます」
「うっ……」
痛いところを突かれた。
それは、まさにフィオナ自身も考えていたことだ。
「ですから、追いかけるだけです。そっと様子を見て、遠くから観察するだけです。もし見つかりそうになったら、すぐに戻りますから」
「…………」
「ね?」
小首を傾げ、にこりと笑う。
「…………」
(なんだろう、この感じ……)
妙に覚えがある。
『おねぇちゃん、ちょっとだけ』
『駄目よ』
『みるだけ』
『駄目』
『さわらないから』
『絶対に駄目よ』
脳裏に浮かんだのは、何か悪戯を思いついたときのミオだった。
年齢も身分も何もかも違うはずなのに、今のセシリアは驚くほどよく似た顔をしている。
(……ミオと同じ顔してる)
「ほら、フィオナさん。もう見えなくなってしまいます」
「で、でもですね……」
「フィオナさんが一緒なら、安心です」
「そういう問題では……」
「私の騎士さまなのでしょう?」
「うっ……」
ずるい。
その言い方は、とてもずるい。
フィオナは眉を寄せて悩んだ。
本来なら、ここで待つべきだ。
スカーレットへ報告して、判断を仰ぐ。それが一番正しい。
けれど、今から彼女を探して事情を話し、ここへ戻ってきた頃には、二人がどこへ行ったのか分からなくなっているだろう。
「……はぁ」
結局、大きなため息が漏れた。
「分かりました」
「本当ですか?」
セシリアの顔がぱっと明るくなる。
「ただし、本当に様子を見るだけですからね」
「もちろんです」
「絶対に近づかないでください。何かあれば、すぐに戻ります」
「はい」
「それから──」
フィオナはセシリアを真っ直ぐ見つめた。
「絶対に、私より前へ出ないでください」
「…………」
それまでより少しだけ強い口調だった。
王女に向かってこんな言い方をしていいものかとも思ったが、今は護衛を任されている。
「いいですね?」
セシリアは一瞬だけ驚いた顔をしたものの、やがて素直に頷いた。
「……はい。フィオナさんの後ろにいます」
「お願いします」
「ふふっ」
「……なんですか?」
「いいえ。ただ、本当に騎士さまみたいだと思って」
「…………っ」
またそれを言う。
「い、行きますよ!」
「はい!」
赤くなった顔を隠すように、フィオナは先に歩き出した。
その半歩後ろを、白金の髪を揺らしながらセシリアがついてくる。
慈悲深く、礼儀正しく、誰にでも優しい第五王女。
それが、フィオナが最初に抱いた印象だった。
けれど実際には、思っていた以上に行動力があり、一度こうと決めればなかなか引かない。さらに、ほんの少しだけ好奇心旺盛で、年相応に悪戯好きなところもあるらしい。
(……意外と大胆な方なのかも)
そう思うと、不思議と彼女がますます身近な存在に感じられた。
そして二人は、煌びやかな大広間を抜けると。
ドルマン伯とスラズール侯爵が消えていった廊下へ、静かに足を踏み入れた。




