↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
PR
69/79

第69話 私の──〝騎士さま〟

 夜の王宮。


 星明かりが白い石床を淡く照らし、バルコニーに立つ四人の影を長く伸ばしていた。


 大広間から微かに届く楽団の旋律。


 それとは対照的に、四人の間にはしばし静かな時間が流れていた。


「…………」


 やがて。

 その沈黙を破ったのは、スカーレットだった。


「それにしても……」


 腕を組み、僅かに眉を寄せる。


「まさか、セシリア殿下が標的にされるとはな」


「ああ」


 ハイネルも先ほどまでの豪快な笑みを消し、太い指で顎髭を撫でた。


「儂には近づく隙がないと見て、狙いを変えおったのかもしれんな」


「……え?」


 フィオナが小さく声を漏らす。


 その隣では。

 セシリアもまた、不思議そうに二人を見ていた。


「あの……」


 おずおずと問いかける。


「どういうことでしょうか?」


「ああ……」


 ハイネルがセシリアを見る。


「そうか。殿下には何もお話ししておりませんでしたな」


「……?」


「実は──」


 ハイネルは声を落とし、今回の生誕祭、その裏側で起きていることを語り始めた。


 自分を失脚させようとする動きがあること。

 その相手が王都の貴族社会の中に潜んでいること。


 誰が味方で誰が敵かすら判然としないため、王都の外にいる信頼のおける者へ協力を求めたこと。


 そして。


 その協力者として選んだのが──


「スカーレット伯と、それから……ヴァルト侯?」


 セシリアの目が少し丸くなった。


「ええ」


「…………」


 その視線が、ちらりとフィオナへ向く。


「……なるほど」


「な、なんでしょう?」


「いいえ」


 セシリアは小さく笑った。


「何でもありません」


「……?」


 フィオナは首を傾げる。


 ハイネルはそんな二人を気にも留めず、話を続けた。


「儂自身に何かを仕掛けてくると踏んでおったのだが……結果はご覧の通りだ」


「つまり」


 セシリアの表情が、少しずつ真剣なものへ変わる。


「ハイネル殿を直接狙うのが難しかったため、私を……?」


「可能性は高いでしょう」


 答えたのはスカーレットだった。


「殿下とハイネル公が近しいことは、王都ではよく知られております」


「…………」


「殿下の政治的な影響力を削げば、それだけハイネル公も動きづらくなる。逆もまた然りです」


「……そういうことですか」


 セシリアは静かに息を吐いた。


「すまんな、殿下」


 ハイネルが申し訳なさそうに頭を掻く。


「儂のせいで、とんだ災難に巻き込んでしまった」


「いいえ」


 セシリアはすぐに首を横へ振った。


「お気になさらないでください。元より──」


 その声には、先ほどまでフィオナと笑い合っていた少女とは違う、王族としての芯があった。


「政治的な立場において、私はハイネル殿と一心同体に近いところがあります」


「…………」


「私が傷つけば、殿の立場も揺らぐ。反対に、ハイネル殿が失脚すれば──」


 ほんの一瞬、その表情に影が差す。


「おそらく、王宮の中で私を支えてくださる方は、ほとんどいなくなります」


「殿下……」


「だから」


 セシリアは真っ直ぐハイネルを見た。


「これはハイネル殿だけの問題ではありません」


 そして、穏やかに微笑む。


「どうか、ご自分を責めないでください」


「…………」


 ハイネルが黙る。


 その隣で、スカーレットも僅かに目を見開いていた。


「……やはり」


 やがてハイネルが、ふっと笑った。


「殿下はお強くなられた」


「そうでしょうか?」


「ああ」


 今度は豪快ではなく、どこか嬉しそうに笑う。


「昔は、儂の後ろへ隠れてばかりだったというのに」


「そ、それは随分昔のお話です!」


 セシリアの頬が、少し赤くなった。


「がっはっは! そうでしたな!」


「もう……」


「…………」


 フィオナは、その横顔を見つめる。


 小柄で。

 柔らかな物腰で。

 笑えばとても可愛らしい少女。


 けれど、その内側には確かな強さがある。


(……やっぱり、すごい方なんだ)


 フィオナがそう思った──


 そのとき。


「……あの」


「ん?」


 フィオナが、おずおずと手を上げた。


「私……一つ、気になることがあります」


 三人の視線が、一斉に集まる。


「なんだ?」


「先ほど……セシリア様のワインが偽物だと分かったときなんですけど」


「…………」


 フィオナは記憶を辿る。


「あの騒ぎの中で、聞こえたんです」


 スカーレットの表情が変わる。


「何が?」


「誰かが──」


 一度、息を吸う。


「〝上手くいったぞ〟って」


「──なに?」


 ハイネルの目が鋭くなる。


「それだけではありません」


 フィオナは続ける。


「〝本当はスタンロード公を狙いたかったけど、人が多すぎて無理だった〟って。それから……」


 セシリアを見る。


「〝第五王女なら十分だ〟とも言っていました」


「…………!」


 セシリアの顔が強張る。


 ハイネルとスカーレットの表情からも完全に笑みが消えた。


「間違いないのか?」


 ハイネルが問う。


「はい」


 フィオナは迷わず頷いた。


「聞き間違いではありません」


「どこからだ?」


 スカーレットが即座に問う。


「声のした場所は分かるか?」


「ええと……」


 フィオナは目を閉じる。


 先ほどの会場。


 壇上。

 音楽。

 人々のざわめき。


 その中からあの小さな囁きを思い出す。


「壇上から見て……左側の後ろのほうです」


「左後方……」


「はい。人が少なくなっている、大きな柱があった辺りです」


「…………」


 ハイネルが目を細めた。


「かなり離れていたぞ」


「え?」


「あの位置なら、ざっと数十歩はあったはずだ」


 ハイネルがフィオナを見る。


「しかも、あの騒ぎの中で囁き声を聞いたというのか?」


「え、ええ……」


「フィオナの耳なら可能です」


 横からスカーレットが何でもないことのように答えた。


「ほう?」


「彼女の〝耳〟は、我々とは少々出来が違いますので」


「…………」


 ハイネルの眉が動く。


 そして。

 フィオナを上から下まで、じっと眺め始めた。


「…………」


「…………」


(な、なんだろう……)


 落ち着かない。

 まるで品定めでもされているような気分だ。


「なるほど……」


 やがて、ハイネルが小さく呟いた。


「あの小僧、中々見る目があるわい」


「えっ」


「いや。今はそれよりも」


 咳払いをする。


「左後方の大柱か……」


 記憶を探るように目を細める。


「となると」


 一拍。


「あの時間、あそこにいたのは──ドルマン伯とスラズール侯爵だな」


「…………!」


 スカーレットの顔が険しくなる。


「その二人ですか」


「ああ」


 ハイネルが低く答える。


「少なくとも、儂が確認していた限りではな」


「どちらも……厄介ですね」


 スカーレットが腕を組む。


「古くからの保守派。それも、かなり強硬な部類だ」


「知っているのですか?」


 フィオナが尋ねる。


「ああ」


「〝血統こそが国を治める資格そのもの〟という考えを、今でも公然と掲げている連中だ」


「血統……」


「平民を重用するハイネル公とは、正反対だよ」


 スカーレットが苦笑する。


「当然、これまでも何度となく衝突している」


「……奴らめ」


 ハイネルが髭を撫でながら、低く唸った。


「まだ懲りておらんのか」


 すると。


「確かに」


 セシリアも、真剣な顔で頷いた。


「お二人とも、ハイネル殿の改革には以前から強く反対されています」


「殿下もご存じでしたか」


「はい」


「特にスラズール侯爵は、地方官への平民登用を決めた際、議会で最後まで反対していたはずです」


「……その通りですな」


「…………」


 フィオナは三人を交互に見る。


 そして。


「あの……」


「なんだ?」


「どうして、誰がどこにいたかまで分かるんですか?」


「…………」


 ハイネルが瞬きをする。


 スカーレットも一瞬きょとんとしてから。


「ふっ」


 小さく笑った。


「フィオナ」


「はい?」


「社交界とは、そういう場所なんだ」


「……?」


「誰が来ていたか」


 指を一本立てる。


「誰と話していたか」


 二本。


「いつ席を離れ、どこに立っていたか」


 三本。


「それらすべてが情報になる」


「…………」


「まして今日は、自分を狙っている者を探すための宴でもある」


 スカーレットがハイネルを見る。


「ハイネル殿なら、ざっと数十人の行動を把握していても、おかしくないだろう」


「ふん!」


 ハイネルが胸を張る。


「このジジイを見くびるでないぞ!」


「す、すごいです」


「がっはっはっは!」


 ほんの僅か、張り詰めていた空気が緩む。


 けれど。


「まあ」


 スカーレットの表情は、すぐに真剣なものへ戻った。


「これで、かなり絞れたな」


「ああ」


 ハイネルが頷く。


「ただし」


 低い声。


「声を聞いたというだけでは証拠にならん」


 フィオナが頷く。


「では……」


「ドルマン伯とスラズール侯爵」


 スカーレットが静かに告げる。


「現時点での最有力候補──というところだな」


「はい」


 バルコニーに再び緊張が戻る。


 敵の姿はようやく見え始めた。

 だが、捕まえるにはまだ足りない。


 そして。


「……フィオナ」


「はい?」


 不意に、スカーレットがこちらを向いた。


「君に、もう一つ頼みたい事ができた」


「……!」


 フィオナの背筋が自然と伸びる。


「はい!」


「今夜はハイネル公の周囲に、こちらも十分警戒を置いている」


 スカーレットは続ける。


「今回の件が失敗した以上、相手もこちらが警戒していることは理解するだろう。公爵本人へ今すぐ直接手を出すのは、かなり難しくなったはずだ」


「…………」


「だが」


 その視線がセシリアへ向く。


「一度標的にされた殿下は別だ」


「私……ですか?」


「ええ」


「相手がセシリア殿下を〝ハイネル公を崩すための弱点〟と見ているのなら、これで諦めるとは限りません」


「…………」


 セシリアの表情が曇る。


 そこでスカーレットは再びフィオナを見た。


「だから──フィオナ」


「はい」


「しばらく、セシリア殿下のお傍にいてくれないか?」


「…………え?」


 一拍。


「わ、私がですか!?」


「ああ」


 フィオナは慌てて自分を指差す。


「でも……私なんかが、王女様の護衛なんて……!」


「君だから頼むんだ」


「…………」


「顔を知られていない。剣も使える。そして何より」


 スカーレットが僅かに笑う。


「普通の人間では気づけないものに、君なら気づける」


「…………!」


 自分の耳。

 それが、今まさに役に立った。


「もちろん」


 スカーレットの声が、少しだけ柔らかくなる。


「危険だと判断したら、殿下より先に自分を守れ。これは最初に言った通りだ」


そして殿下を見る。


「殿下、申し訳ありません。彼女はジーク殿より預かった大切な身です。ご無礼をお許しください」


「ええ、それは勿論」


 セシリアは小さく頷く。


「その上で」


 真っ直ぐフィオナを見る。


「力を貸してほしい」


「…………」


 フィオナは隣のセシリアを見る。


 セシリアは少し驚いた顔をしていた。

 けれど、やがて嬉しそうに微笑む。


「フィオナさんが一緒なら、とても心強いです」


「セシリア様……」


「今日は姉の生誕祭ですから、私自身、大勢の護衛を連れて歩くわけにもいかなくて……」


 少し困ったように笑う。


「正直に申し上げると、先ほどのこともあって……少しだけ心細かったのです」


「…………」


「でも」


 セシリアが心配そうに眉を下げる。


「そのせいで、フィオナさんが危険な目に遭うのは、私も本意では……」


「大丈夫です!」


 言葉を遮るようにフィオナは答えた。


「…………!」


 一度、きゅっと拳を握る。

 そして真っ直ぐセシリアを見る。


「私にできることなら」


 少しだけ緊張しながら、それでもはっきりと告げる。


「精一杯、お護りします! いえ、お護りさせてください!」


「…………」


 セシリアの瞳が、僅かに大きくなる。


「ほう……」


 ハイネルが面白そうにフィオナを見る。


 すると。


「殿下」


 スカーレットが、にやりと笑った。


「ご安心を」


「?」


「彼女は──あの〝白獅子〟の一番弟子ですから」


「…………」


 数秒。


「ほおおっ!?」


 ハイネルが大声を上げた。


「ひゃっ!?」


 フィオナが肩を跳ねる。


「ルス殿の弟子だと!?」


「ええ」


「スカーレット様!?」


「毎朝、直々に稽古をつけてもらっているそうです」


「ほぉ、それは本当か!?」


「は、はい……でも!」


 フィオナが慌てて両手を振る。


「〝一番弟子〟なんて、そんな大層なものじゃありません!」


「いやいやいや!」


 ハイネルが一気に身を乗り出す。


「あの男が自ら剣を教えている時点で、大層なことなのだ!」


「そ、そうなんですか……?」


「白獅子の剣を継ぐ娘か……!」


「そ、そんな大袈裟なっ!」


 即座に否定した。


「私なんて、まだルスさんに一度も剣を当てられたことすらないんです!」


「それはそうさ」


 スカーレットが真顔で言った。


「えっ」


「あの男に剣を当てられる者など、そもそも世界に何人いると思っている」


「…………」


 フィオナは黙った。


 考えたこともなかった。


「ふふっ」


 その様子を見てセシリアが楽しそうに笑う。


「それなら」


 一歩、フィオナへ近づく。


 そして。

 そっと、その手を取った。


「……!」


 白く細い指がフィオナの手を包み込む。


「よろしくお願いしますね」


 月明かりの下。

 セシリアが柔らかく微笑んだ。


「私の──〝騎士さま〟」


「…………っ」


 胸の奥が、どくん、と大きく鳴った。


「き、騎士……」


 もちろん、本物の騎士ではない。

 そんな資格も、肩書きもない。


 それでも。


「…………」


 その言葉が、どうしようもなく嬉しかった。


 思い出す。


 雪の中、逃げることしかできなかった自分。


 ミオを守ることもできず、誰かに救ってもらうことしかできなかった自分。


 酒精祭でも。


 大切な人が危険に晒されたとき、何もできなかった。


 だから、剣を取った。


 今度こそ。

 自分の手で、誰かを守れるようになりたいと。


「…………」


 そして今。

 初めて、誰かから守ってほしいと頼まれた。


(私が……)


 胸の奥に熱いものが込み上げてくる。


(今度は、守る側に……)


 フィオナは、握られた手をそっと握り返した。


 顔を上げる。


 もう、先ほどまでの不安げな少女の顔ではなかった。


「──はい!」


 胸を張り、真っ直ぐに、力強く答える。


「お任せください、セシリア様!」


 その返事を聞いて、セシリアはとても嬉しそうに笑った。


 星空の下。

 守られることしか知らなかった少女は。


 ほんの少しだけ──


 誰かを守る者へと、歩き始めていた。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。