第58話 私なんかが、こんな立派な服……
三者三様の声が重なった。
一斉に視線を向けられたフィオナは、耳も尻尾もぴんと立てたまま固まる。
「な、何故、私が……?」
「理由はいくつかあります」
対するルスは、名案を思いついたとばかりに穏やかな笑みを浮かべた。
「まず、フィオナさんは王都の社交界にまったく顔を知られておりません」
「そ、それはそうですけど……」
「年齢的にも不自然ではありませんし、立ち振る舞いさえ身につければ、貴族の集まりに紛れ込むことも十分可能でしょう」
そこでルスは、一度フィオナを上から下まで眺め──満足そうに頷いた。
「何より、見目も申し分ありません」
「み、見目……!?」
フィオナの頬が一気に赤くなる。
「確かにな」
「──っ!?」
さらりと同意したのはジークだった。
フィオナが勢いよく振り返る。
当の本人は何でもないことのように紅茶を揺らしていた。
「それに──護衛の面では、剣の腕もそこそこ使えるようだしな」
「…………え?」
今度こそ。
フィオナの耳と尻尾が、ぶわっと逆立った。
「な、なんでそれを……!」
「なんでって」
ジークは怪訝そうに眉を寄せる。
「毎朝、早く起きてルスと稽古してるだろ」
「…………!」
ぎくり。
フィオナの肩が跳ねる。
そして、ゆっくりとルスを見る。
「わ、私ではありませんよ」
疑いの眼差しを向けられ、ルスは苦笑しながら両手を上げた。
「では、どうして……」
「朝っぱらから庭でカンカンやってれば、嫌でも聞こえる」
「あ……」
考えてみれば当然だった。
フィオナの耳が、しゅんと垂れる。
「ご、ごめんなさい……。うるさかったですよね」
「別に怒ってない」
ジークはあっさりと言った。
「……ただ」
カップへ視線を落としたまま、続ける。
「急にどうしたのかとは思っていた」
「…………」
フィオナは、エプロンの裾をきゅっと握った。
「私……ミオみたいに、魔法の才能があるわけでもありませんから」
ぽつりと。
少し恥ずかしそうに言葉を落とす。
「この前の酒精祭でも……結局、私は何もできなくて」
森の中で、攫われかけた。
抵抗することも。
友達を守ることも。
何ひとつできなかった。
あのときの悔しさは、今も胸の奥に残っている。
「だから……せめて、何かできるようになりたくて」
「…………」
「ジーク様やルスさんみたいには無理でも……いつか、ミオくらいは自分で守れるようになれたらって」
俯きながら話すフィオナを、ジークは黙って見ていた。
やがて。
「そうか」
それだけ答える。
だが、否定する言葉はなかった。
代わりに、ルスへ視線を向ける。
「お前が毎朝付き合ってるってことは、見込みはあるんだろ?」
「もちろんです」
問われたルスは、待っていましたとばかりに髭を撫でた。
「私も最初は、護身程度に身につけば十分だと考えておりましたが……これがなかなか」
その声には、教える者としての嬉しさが滲んでいる。
「身体の使い方を覚えるのが非常に早い。獣人ゆえの身体能力もありますが、それ以上に──教えたことを、次の日にはきちんと自分のものにしている」
「そ、そんな……」
「それに、大変な努力家です」
「ル、ルスさん……!」
フィオナはますます顔を赤くする。
褒められるのに慣れていないせいか、居心地悪そうにもじもじとエプロンの裾を弄っていた。
その様子を眺めていたジークが、ふっと口元を緩める。
「だそうだ」
「おお」
スカーレットも感心したように身を乗り出した。
「〝白獅子〟直々のお墨付きか。それは頼もしいな」
「い、いえ! まだ基礎しか教えていただいていませんから!」
慌てて両手を振るフィオナ。
しかしジークは、そんな彼女へちらりと視線を向けた。
「フィオナ」
「は、はい」
「この国に、〝白獅子〟に毎朝剣を教えてもらえる奴が、どれだけいると思う?」
「…………え?」
フィオナが瞬きをする。
「しかも数か月も、一対一でだ」
「そう言われると……」
ルス自身も考えるように顎髭を撫でた。
「私にも、あまり覚えがありませんね」
「…………」
フィオナの顔から、さっと血の気が引いた。
(わ、私……もしかして、とんでもなく贅沢なことをしてるんじゃ……)
今さらながら気づいてしまったらしい。
そんな彼女を見て、スカーレットが豪快に笑った。
「ははは! ならば決まりだな!」
ぱん、と両手を打ち合わせる。
「フィオナ。頼む!」
「えっ」
「君の力を貸してほしい」
真っ直ぐに。
冗談でも、お世辞でもない眼差しを向けられる。
「…………」
フィオナは言葉に詰まった。
怖くないと言えば、嘘になる。
王女の生誕祭。
貴族たちの集う社交界。
その上、何者かの陰謀を探るなど──つい少し前まで奴隷だった自分には、あまりにも遠い世界だ。
けれど。
ルスは、自分ならできると言ってくれた。
スカーレットは、自分の力が必要だと言ってくれた。
そしてジークも──止めなかった。
胸の奥に、小さな火が灯る。
誰かの役に立てる。
守られるだけではなく。
今度は、自分が誰かを守るために。
フィオナは一度、小さく息を吸った。
そして。
「……はい」
胸元へ手を添える。
「私でお役に立てるのでしたら──やらせてください」
もう一度。
今度はしっかりと、大きく頷いた。
「おお!」
スカーレットが嬉しそうに顔をほころばせる。
「助かる!」
「では、その方向で公爵様にも──」
「──となると!」
パンッ!
突然、ひときわ大きな音が響いた。
「ひゃっ!?」
フィオナの尻尾が跳ねる。
音の主はロッテだった。
目を輝かせ、何やら妙に張り切っている。
「これから大忙しね!」
「……え?」
「パーティーまで、あと一か月でしょう?」
「は、はい」
「だったら、まず礼儀作法!」
指を一本。
「挨拶の仕方!」
二本。
「食事の作法に、貴族の呼び方! 歩き方、座り方、話し方!」
「え」
「それから──」
ロッテは満面の笑みを浮かべた。
「ダンス!」
「…………」
フィオナの顔が固まる。
「だ……だ? ダンスも、ですか……?」
「当然よ!」
「え、えぇぇっ!?」
先ほどまでの覚悟はどこへやら。
フィオナの悲鳴が、屋敷いっぱいに響き渡った。
スカーレットが吹き出し。
ルスも微笑み。
ジークは面白そうに鼻を鳴らす。
「が、頑張ります……!」
真っ赤になったフィオナは、それでも拳を握りしめるのだった。
◇ ◇ ◇
──それから、一か月。
「一、二、三──一、二、三」
屋敷の庭に、軽やかな拍子が響いていた。
「フィオナさん、もう少し顔を上げて」
「は、はい!」
「足元ばかり見ていてはいけません。相手の胸元あたりへ視線を」
「はいっ」
ルスの手を取り、フィオナがステップを踏む。
一歩。
二歩。
三歩。
裾を軽やかに揺らしながら、くるりと身体を回す。
ひと月前なら、自分の足につまずいて慌てていたところだ。
だが今は──
「そこだ。そのまま」
傍らで腕を組んでいたスカーレットが、ぱん、ぱん、と手拍子を打つ。
「一、二、三──そう!」
最後の一歩。
フィオナが足を止める。
「…………」
数秒の沈黙。
そして。
「うむ!」
スカーレットが満足そうに大きく頷いた。
「上出来だ!」
「ほ、本当ですか?」
「ああ。初めの頃とは見違えるようだぞ」
「よかったぁ……」
フィオナが、ほっと胸を撫で下ろす。
この一か月。
剣の稽古に加えて、礼儀作法。
食事の作法。
挨拶。
貴族の家名。
そしてダンス。
覚えることは、それこそ山のようにあった。
それでも彼女は一日たりとも投げ出さなかった。
「いやはや、それにしても見事なものだ」
スカーレットが感心したように笑う。
「剣もそうだが、身体の使い方を覚えるのが本当に早いな」
「ええ」
ルスも嬉しそうに頷いた。
「この一月で、剣の腕もまた一段上がりました。少なくとも、並の兵士が相手ならばそう簡単に遅れは取らないでしょう」
「そ、そんな……!」
フィオナは慌てて首を振る。
「まだルスさんには、一度もまともに触れられてすらいないのに」
「私を基準にしてはいけませんよ」
ルスが苦笑する。
「……そうなんですか?」
「そうです」
即答だった。
フィオナはどうにも納得しきれない顔で首を傾げる。
そんなとき。
がちゃり、と屋敷の扉が開いた。
「フィオナちゃーん!」
ロッテがひょいと顔を覗かせる。
「準備できたわよ! 一度、着てみましょう!」
「あっ、はい!」
慌てて答えると、フィオナは庭を駆けて屋敷の中へ消えていった。
◇ ◇ ◇
フィオナが姿を消したあと。
庭には、ルスとスカーレットだけが残った。
二人は用意されていた席へ腰掛け、茶を飲みながら今年の収穫や近隣領地の市政について言葉を交わしている。
そこへ。
「……ん」
屋敷から欠伸混じりに姿を見せたのは、ジークだった。
「なんだ。今日はもう終わりか?」
「ああ」
スカーレットが振り返る。
「どうにか本番には間に合いそうだ」
「そうか」
興味があるのかないのか分からない返事をしながら、ジークは空いている椅子へ腰を下ろす。
そして、当然のように用意されていたカップへ手を伸ばした。
「ジーク様」
「なんだ」
「それは私の紅茶です」
「細かいことを気にするな」
「淹れてまいりますから返してください」
ルスが取り返す。
「……けちだな」
「そういう問題ではありません」
スカーレットがくくっと笑った。
そんな、いつものやり取りをしていると──
屋敷の中から賑やかな声が聞こえてきた。
『ほらほら、皆さんにも見てもらいましょう!』
『えっ!? ま、待ってくださいロッテさん!』
『お姉ちゃん、はやく!』
『で、でも……本当に変じゃない? 私なんかがこんな格好……』
『へんじゃないよ! お姉ちゃん、すっごくきれい!』
「…………?」
ジークが屋敷へ目を向ける。
ばたばたばた、と。
小さな足音が近づいてくる。
そして──
ばんっ!
勢いよく扉が開いた。
「じゃーん!」
真っ先に飛び出してきたのはミオだった。
何故か自分のことのように胸を張り、両腕をいっぱいに広げている。
「みてー!」
その後ろから。
「ミ、ミオ……そんなに大きな声を出さなくても……」
おずおずと。
一人の少女が姿を現した。
「…………」
庭から、音が消えた。
フィオナだった。
いつものエプロンドレスではない。
身に纏っているのは、淡い若草色のドレス。
陽を受けた柔らかな布地が、歩くたびに小さな光を散らしている。
栗色の髪はいつもより丁寧に整えられ、耳元から流れる髪が白い頬を優しく縁取っていた。
秋の気配を帯び始めた庭の中。
その姿はまるで──
黄金色に染まり始める草原へ、まだ夏の緑がひとひら残っているかのようだった。
「…………」
フィオナは居心地悪そうに身を縮める。
肩を出しすぎない上品な仕立て。
細く絞られた腰から、柔らかく広がるスカート。
普段はエプロンの下に隠れている華奢な身体の線が、ごく自然に引き立てられている。
いつもの愛らしさとは違う。
清楚で。
どこか儚く。
それでいて、目を離せなくなるような気品があった。
「……や、やっぱり変でしょうか?」
誰も何も言わないものだから。
不安になったのだろう。
フィオナが頬を赤らめ、ドレスの裾をきゅっと摘まむ。
「私なんかが、こんな立派な服……」
「何を言っている!」
真っ先に我に返ったのはスカーレットだった。
「見事じゃないか!」
「ほ、本当ですか?」
「ああ。私が保証する。王都のご令嬢たちと並んでも、まったく見劣りしないさ」
「そ、そんな……」
さらに顔が赤くなる。
ルスもまた、しばらく目を細めてその姿を眺めていた。
「……よくお似合いですよ、フィオナさん」
「ルスさん……」
「最初にこちらへ来られた頃を思うと……」
そこで言葉を止める。
感慨深そうに微笑むその顔を見て、フィオナも照れくさそうに笑った。
「ほらね!」
後ろからロッテが現れ、得意げに胸を張る。
「だから言ったでしょう? 絶対に似合うって!」
その目は笑っていたが──ほんの少しだけ、潤んでいた。
「お姉ちゃん、かわいい!」
ミオがフィオナの周りをぐるぐる回る。
「おひめさまみたい!」
「も、もう。ミオったら……」
困りながらも、フィオナは嬉しそうに笑った。
そして。
ふと。
まだ一人だけ、何も言っていないことに気づく。
「…………」
ジークだった。
カップを持ち上げた姿勢のまま。
完全に、動きを止めている。
「……ジーク様?」
フィオナが、おそるおそる名前を呼ぶ。
「…………」
返事がない。
「あ、あの……」
途端に不安になったのか。
フィオナの耳が、少しだけ垂れた。
「やっぱり……変、でしょうか?」
「…………いや」
ようやく。
ジークが口を開いた。
カップを静かに置く。
そしてもう一度、フィオナを見た。
「変じゃない」
「……!」
「その……」
珍しく、言葉が続かない。
スカーレットが眉を上げ。
ルスが僅かに口元を緩め。
ロッテはすべてを察したような顔になる。
そんな周囲の視線など気づかぬまま、ジークはしばし黙り込み──
「……似合っている」
ぼそり、と。
それだけ言った。
「…………っ」
フィオナの耳が、ぴんっと立つ。
次の瞬間。
頬から耳の先まで、見る見るうちに真っ赤に染まっていった。




