第57話 フィオナさんに行っていただく
「──で、本題はなんだ?」
ポットの湯も少し冷め、ひと通り王都の土産話が尽きた頃。
ジークが欠伸を噛み殺しながら、面倒そうに切り出した。
「まさか、本当に世間話をしに来ただけじゃないだろう?」
「ああ。土産話もしたかったのだが……本題はこちらだな」
スカーレットの表情が、ほんの少しだけ改まる。
懐へ手を入れ、取り出したのは一通の封筒だった。
厚手の上質な紙。
赤い蝋には、見慣れぬ紋章が刻まれている。
もっとも封はすでに切られており、一度開かれた跡があった。
「ハイネル殿からの招待状だ」
「ハイネル?」
ジークが封筒を手に取る。
表には達筆な文字で、
──ハイネル・スタンロード・アウグスト公爵。
そう記されていた。
スカーレットが、読めと促すように封筒へ指先を向ける。
だがジークは開くでもなく、眉をひそめた。
「なんだ。葬式か? あの声のでかい爺さん、ついに死んだか」
「──ジーク様」
間髪入れず、ルスの低い声が飛んだ。
「さすがに失礼ですよ」
「……まだ生きてたか」
ジークは肩をすくめると、何食わぬ顔で紅茶を啜った。
フィオナは二人のやり取りを眺めながら、そっと瞬きをする。
(……公爵様に、そんな言い方をしていいんでしょうか……)
普通なら首がいくつあっても足りない気がする。
しかしスカーレットは怒るどころか、呆れたように笑っていた。
「相変わらずだな。本人の前でも同じことを言うのだろう?」
「だろうな」
どうやら、三人は旧知の仲らしい。
「しかし、おかしいな」
スカーレットが首を傾げる。
「そちらにも同じ書状が届いているはずだぞ?」
「…………」
ジークの視線が、すっとルスへ動いた。
ルスもまた、静かに主人を見る。
「先日届いた封書でしたら、ジーク様が『自分で確認する』と仰って、自室へお持ちになりましたが」
「…………そうだったか?」
「ええ」
「覚えないな」
「でしょうね」
にこやかに答えるルスの額に、微かに青筋が浮かんでいる。
「申し訳ありません。すぐに取ってまいります」
「すまない、ルス殿。手間をかける」
「いえ。お気になさらず」
なぜかジークではなくスカーレットが謝り、ルスは小さく笑って部屋を出ていった。
その背中を見送りながら、ジークは悪びれもせず残りの茶を飲む。
「…………」
「…………」
しばし、妙な沈黙が落ちた。
フィオナは何か話したほうがいいのだろうかと口を開きかけ──やめた。
領主二人を相手に、一体何を話せばいいのか分からない。
結局、空になりかけたカップへそっと紅茶を注ぎ足すことしかできなかった。
ほどなくして。
「お待たせいたしました」
ルスが一通の封書を手に戻ってきた。
こちらも同じ紋章が刻まれている。
すでに封を切ったらしく、中から便箋を取り出しながらテーブルの傍らへ戻った。
「……で?」
ジークが顎をしゃくる。
「なにが書いてあった」
ルスは便箋へ目を落とした。
「……パーティーへの招待ですね」
「行かん」
即答だった。
あまりの速さに、フィオナが思わずジークを見る。
「まだ最後まで読んでおりませんが」
「どうせ同じだ」
ジークは心底うんざりしたように椅子へ身体を預けた。
「顔を出せば『そろそろ身を固めろ』だの、『いい娘を紹介してやる』だの。毎度毎度、余計なお世話なんだよ」
「…………」
その言葉に。
なぜかフィオナの胸が、またちくりとした。
(……身を、固める……)
先ほど感じたものと同じ、小さな棘。
けれど、それが何なのか考えるより先に──
「はは……」
スカーレットが苦笑を漏らした。
「否定はできんな。ハイネル殿は随分とジーク殿の縁談を気にしておられるから」
「ほら見ろ」
「ですが」
ルスが便箋を読み進める。
その声が、途中で止まった。
「…………」
先ほどまで穏やかだった表情が、わずかに引き締まる。
「どうした?」
ジークが片眉を上げる。
ルスはもう一度、文面を最初から確認した。
そして。
「……これは、なかなか厄介ですね」
小さく呟いた。
スカーレットも笑みを消す。
「ああ。私が今日ここへ来た理由も、それだ」
ジークは無言でカップを置いた。
カチリ、と。
小さな音がやけに大きく響く。
「何だ?」
「パーティーへの招待──だけではありません」
ルスは便箋をテーブルへ置く。
「協力依頼です」
「協力?」
「はい」
ルスは一拍置いてから続けた。
「近く行われる第二王女殿下の生誕祭。ハイネル公爵も当然出席される予定ですが……その場を利用し、公爵を失脚させようとする動きがあるようです」
「…………」
室内の空気が変わった。
フィオナにも、それが分かった。
先ほどまで椅子にだらしなく背を預けていたジークが、僅かに身体を起こす。
表情そのものは変わっていない。
しかし──目だけが、先ほどまでとは違った。
「どこまで分かっている?」
「首謀者は不明だ」
答えたのはスカーレットだった。
「計画の詳細も掴めていない。だが、ハイネル殿を排除したがっている者に心当たりが多すぎるのが問題でな」
腕を組み、険しい表情を浮かべる。
「公は聡明な方だ。知っての通り、血筋よりも実力を重んじる」
スカーレットの声音には、先ほどまでとは違う硬さがあった。
「家柄がどうであろうと、能力のある者は取り立てる。逆に名門の生まれであろうと、無能ならば容赦なく切り捨てる」
「まあ、あの爺さんらしいな」
「ああ」
スカーレットは頷く。
「結果さえ残せば、私のような辺境の伯爵にも惜しみなく支援してくださる。だからこそ、私も父の代から世話になってきた」
そこで、その瞳が鋭く細められた。
「だが──それを快く思わぬ者も多い」
静かな声だった。
だからこそ、その言葉には重みがあった。
「王都の社交界では、未だ古い家柄がものを言う。ろくに領地を治めもせず、遊興に明け暮れている者でさえ、一族の名だけで大きな発言力を持っている」
フィオナには、あまり馴染みのない世界だった。
けれど。
生まれによって人の価値が決められる。
その理不尽さだけは──嫌というほど知っている。
「そんな者たちから見れば、実力主義を掲げるハイネル公爵は面白くないでしょうね」
ルスが静かに続ける。
「自分たちが当然のものとして享受してきた権利を、根底から否定されかねない」
「そういうことだ」
スカーレットが頷いた。
「公は豪快な方だが、同時に抜け目もない。おそらく中央の貴族たちは、誰が敵で誰が味方か分からぬ。信頼できないと判断したのだろう」
「それで、中央から距離のある我々へ?」
「ああ。私は父の代から付き合いがある。そしてジーク殿も──」
ちらりと視線を送る。
「何だかんだで、あの方とは長い付き合いだからな」
そこまで黙って聞いていたジークが、ようやく口を開いた。
「……で」
指先でテーブルを軽く叩く。
「俺にどうしろと?」
そして、いかにも面倒そうな顔で言った。
「パーティーに出て、怪しい奴を片っ端から血祭りに上げてこいと?」
「いえ」
ルスが即座に首を振る。
「公爵も、そこまで物騒な依頼はなさっておりません」
「ちっ、それが一番楽なんだがな」
舌打ちするジークを無視して、ルスは便箋へ視線を落とした。
「依頼は二つです」
指を一本立てる。
「まず、公爵の身辺の安全確保」
そして、二本目。
「もう一つが──陰謀を企てている者の炙り出し」
「なるほどな」
ジークは顎へ手をやった。
「護衛しながら、誰が仕掛けてくるか見張れということか」
「簡単に申し上げれば」
「……ならば、至極面倒だが、顔だけ出すか。それで解決だろう」
ジークが当然のように言う。
「公爵一人の護衛など、容易い」
「……それが問題なのです」
ルスが苦い顔をした。
「何故だ?」
「ジーク様だからです」
「…………俺?」
「はい」
ルスはきっぱりと言った。
「普段、王都どころか社交の場にすら決して姿を現さないジーク様が、突然パーティーへ出席するのですよ?」
「それがどうした」
「それ自体が最大級の異常事態です」
「…………」
ジークが眉を寄せる。
ルスは淡々と続けた。
「しかも、ハイネル公爵を狙う陰謀が囁かれている時期に、です」
スカーレットも頷いた。
「私が企てる側なら、その時点で計画を中止するな」
「そうでしょうね」
「ジーク殿が近くにいると分かっていて、それでもハイネル殿に手を出そうとする者など、よほどの馬鹿だけだ」
「…………」
「つまり」
ルスが顎髭を撫でる。
「公爵を守るだけなら、ジーク様ほど適任な方はいません。ですが、犯人を誘き出すという目的に限れば──これほど不向きな方もいないということです」
「……面倒臭いな」
ジークが露骨に嫌そうな顔をする。
「ああ。それにもう一つある」
スカーレットが口元を緩めた。
どこか楽しそうな顔だった。
「何だ」
「社交界はな、ジーク殿」
スカーレットはわざとらしく姿勢を正す。
「剣や魔法で戦う場所ではない」
「知ってる」
「笑顔で腹を探り合い、言葉の裏を読み、相手に気づかれぬまま情報を引き出す──いわば会話の戦場だ」
「だから何だ」
スカーレットは一切迷わず言い切った。
「ジーク殿がそこで立ち回れるとは、到底思えん」
「…………」
数秒。
静寂が落ちた。
「……ふっ」
思わず。
フィオナの口から、小さな笑いが漏れた。
「…………」
ジークの視線が、すっとこちらを向く。
「──っ!」
フィオナは慌てて両手で口元を覆った。
「ご、ごめんなさい……!」
頬が一気に熱くなる。
そんな彼女を、ジークはじとりと睨む。
「ち、違うんです。その……想像したら、つい……」
「何を想像した」
「…………」
答えられない。
舞踏会の真ん中で、知らない貴族を相手に露骨に面倒そうな顔をしているジークの姿など──絶対に言えない。
フィオナがますます小さくなる。
ジークはしばらく睨んでいたものの、真っ赤になった彼女を見ると、
「……ふん」
それ以上追及することなく、顔を逸らした。
スカーレットが肩を震わせている。
「お前まで笑うな」
「いや、すまない」
そんな二人を眺めながら、ルスは顎髭に手を添えた。
「…………」
何かを考えるように目を細める。
そして。
「──おお」
ぽん、と手を打った。
「それでしたら」
全員の視線がルスへ集まる。
ルスは、さも妙案を思いついたとばかりに微笑んだ。
「フィオナさんに行っていただく、というのはいかがでしょうか」
「…………え?」
フィオナが瞬きをする。
ジークが固まり。
スカーレットも目を見開く。
そして数秒遅れて──
「私ですか!?」
「「……フィオナ?」」
三人の声が、見事に重なった。




