第53話 国ごと消そうとするな
──スパァンッ!!
世界が紅に染まりきる、その寸前。
あまりにも場違いな乾いた音が、廃教会に響き渡った。
「止めんか!」
「──っ!?」
ミオの頭が、がくんと前へ揺れる。
「いたいーっ!」
つい先ほどまで終焉の王を従えていた少女は、威厳も何もなく両手で頭を押さえ、その場にしゃがみ込んだ。
いつの間に現れたのか。
その背後には、ジークが立っていた。
振り抜いた右手を軽く振りながら、呆れ果てた顔でミオを見下ろしている。その気軽な仕草は、まるで少女の頭に止まった虫でも叩き落としたかのようだった。
そして──。
『ォォォオオオオオオ──ッ!!』
夜空を覆っていた巨人の骸が、天を揺るがす咆哮を上げた。
『ォォォ……オ?』
しかし、何かがおかしい。
地上へ向けて集束していた赫い光がふっと消え、真紅の眼光に困惑らしき色が浮かぶ。
『……ォォオオ!? ォオオオオオオオ!?』
「……はぁ。帰っていいぞ」
ジークが告げたその直後。
巨人の身体が、ずるっ、と後ろへ引っ張られた。
裂け目の向こうへ。
ずるずるずるずるっ、と。
城すら掴めるほどの巨体が、何か巨大な力に引き戻されるように、啜られた麺よろしく凄まじい勢いで空の亀裂へ吸い込まれていく。
『ォォォォォォォォ──!?』
最後に伸ばされた巨大な手が、名残惜しそうに夜空を掻いた。
だが、それすらも亀裂の向こうへ消え去る。
──パチン。
まるで何事もなかったかのように、空が閉じた。
「…………」
赤黒く染まっていた夜空は、瞬く間に元の静けさを取り戻していく。
星が一つ。
また一つ。
先ほどまで終末の光に呑まれていた闇の中で、何事もなかったように瞬き始めた。
「…………」
ソアラは口を開けたまま、空を見上げていた。
男たちも同じだった。
誰ひとりとして、今見たものを頭の中で処理できていない。
そんな中。
「おい。国が滅ぶやつは駄目だと言っただろ!」
ジークの叱責だけが、妙に生活感のある響きで廃墟に飛んだ。
「だって……!」
ミオは狐耳をぺたりと伏せ、頭を押さえながら頬を膨らませる。
「こいつら、ソアラいじめた」
「だからといって国ごと消そうとするな」
「べつに、してない」
「あれの威力なら帝都ごと消える」
「…………」
「いや、帝国そのものがなくなるな」
「…………」
ミオの耳が、さらに垂れた。
「……ミオ、魔法……あれしかちゃんと使えないもん」
ジークは深々とため息を吐き、頭を掻いた。
「まったく……。火種すらまともに起こせないのに、どうして初めに覚えたまともな魔法が、終末級召喚術になるんだ」
「ジークさまが、おしえた」
「まさか本当に使いこなすと思わなかったからだ」
「ほら、ジークさまのせい」
「…………」
ジークはしばらく黙り込んだ。
「……帰ったら、また基礎から教える」
「うん」
どうやら、ジークも少しだけ悪いと思っているらしい。
「……あ」
そこでミオは何かを思い出したように顔を上げた。
「ジーク──」
一瞬、男たちを見る。
「……ジスさま」
「今さら遅い気もするが、なんだ」
「来ないって、いった」
腰に両手を当て、むっとした顔でジークを見上げる。
「めんどくさいから、お家いるって」
「ああ。そのつもりだった」
「じゃあ、なんでいるの?」
「家の周りの“ゴミ”を片付けていたら、突然あれだ」
ジークは何でもないこのように空を指差した。
「さすがに来るしかないだろう」
「…………」
あまりにも平然と交わされる会話を聞きながら、ソアラはようやく現実へ引き戻されていった。
(……家の周りの、ゴミ?)
嫌な予感がして、言葉の意味を考える。
あの男は言っていた。
今頃、手下が自分の家へ着いているはずだと。
「…………っ」
ソアラが息を呑む。
(もしかして……)
ジークは助けに来てくれなかったのではない。
リーシャを──守ってくれていた。
「ソアラ!」
「……え?」
「だいじょーぶ?」
気づけば、ミオが目の前に立っていた。
さっきまで帝都を滅ぼそうとしていたのが嘘のような、いつもの顔で手を差し出している。
「ほら」
小さな手が、ソアラの指を掴む。
「かえろ」
「…………」
ソアラは立ち上がろうとした。
だが、膝に力が入らない。
「……ごめん」
力なく笑う。
「ちょっと……立てそうにないや」
「え?」
ミオが心配そうに覗き込む。
するとジークが、呆れたように息を吐いた。
「だらしないな」
「……え?」
「こんな小物どもに脅された程度で、腰を抜かすとは」
そう言いながら男たちへ一瞥を向ける。
「「「ひっ……!」」」
先ほどまで威勢よく振る舞っていた男たちは、その視線だけで肩を跳ねさせた。
(いや……腰が抜けた原因、そっちじゃなくて……)
世界の終わりみたいなものを目の前で見せられたせいなのだが。
けれど、それを説明する気力もなかった。
「ほら」
ジークがソアラの前へしゃがみ、肩を差し出す。
「掴まれ」
「…………」
「帰るんだろ」
その横ではミオが、
「かえろ、ソアラ」
と、満面の笑みを浮かべている。
「…………うん」
もう何も言うまい。
ソアラは小さく頷き、ジークの肩へ身体を預けた。
立ち上がる際、ふと背後を見ると、床にへたり込んだ男たちは、未だ誰ひとり立ち上がれていなかった。
大男に至っては、先ほどまで咥えていた葉巻すら落とし、青ざめた顔でこちらを見ている。
「……始末しておくか?」
ジークが、ごく普通の調子で尋ねた。
「え?」
「こいつらだ」
男たちへ顎をしゃくる。
「生かしておけば、またお前たちのところへ来るかもしれん。面倒だろ」
「ひっ……!」
「ま、待て! もうそいつには近づかねぇ! 誓う!!」
男たちが一斉に喚き始めた。
そんな彼らをしばらく見つめてから、ソアラは前を向いた。
「……いい」
「いいのか?」
「うん」
小さく首を振る。
「ミミちゃんが……もう十分すぎるくらいやってくれたから」
「?」
当の本人は不思議そうに首を傾げている。
ソアラはそんなミオへ、ほんの少しだけ笑った。
「それに……私のせいで、二人に手を汚してほしくない」
「…………」
ジークは一瞬だけソアラを見る。
そして。
「そうか」
僅かに口元を緩めた。
「なら、帰るぞ」
「うん!」
ミオの尻尾が、嬉しそうに左右へ揺れる。
三人はそのまま廃教会を後にした。
◇ ◇ ◇
やがて足音が遠ざかり。
廃教会には、再び静寂が戻ってきた。
あれほどの恐怖に息を潜めていた森も、しばらくすると少しずつ元の姿を取り戻していく。どこかで梟が鳴き、草むらでは虫たちが恐る恐る声を響かせ始めた。
「…………」
だが。
教会の中に残された男たちだけは、未だ動けずにいた。
「お、お頭……」
ようやく手下の一人が、震える声を出した。
「今の……何だったんですか……?」
「…………」
大男は答えない。
顔から血の気を失ったまま、三人が消えていった入口を見つめている。
「お頭?」
「……ヴァルト」
「え?」
「さっき、あのガキ……名乗ったよな」
掠れた声だった。
「ミオ・ヴァルトって……」
それを聞いた男たちの表情が、少しずつ変わっていく。
「それに……」
大男は震える唇を動かした。
「途中で言いかけただろ。あいつのことを……“ジークさま”って」
「…………」
「そういや、宿で会ったときもおかしな気配があった」
一つ。
また一つ。
これまで気にも留めなかった情報が繋がっていく。
そして。
ある噂へ辿り着いた。
「──ジーク・ヴァルト・セロ。……魔王」
誰かが、震える声で呟いた。
「嘘だろ……?」
「間違いねぇ」
大男の額から、冷や汗が流れ落ちる。
「先の戦争を……ほとんど一人で終わらせたっていう……」
国境の兵たちの間で、まことしやかに囁かれている怪談。
国を滅ぼせる男。
王すらその名を恐れ。
怒らせれば、一夜にして国土そのものが地図から消えるとまで言われる存在。
噂など、大袈裟に決まっていると思っていた。
戦場帰りの兵士が酒の席で話を盛っているだけだと。
だが。
たった今。
年端のいかない少女が空を引き裂く怪物を呼び出し、一人の男が張り手一発でそれを引っ込めさせたのだ。
目の前で見てしまった以上、疑う余地はない。
「…………」
誰も笑えなかった。
むしろ──噂の方が控えめだった可能性すらある。
「荷物をまとめろ」
「……え?」
「今すぐだ!」
大男が怒鳴るように立ち上がった。
まだ脚は震えている。
それでも、這ってでも逃げなければならない。
「国を出るぞ! 今夜中だ!」
「で、でも……」
「黙れ!」
男の顔には、もう先ほどまでの傲慢さなど欠片も残っていなかった。
「奴らの気が変わる前に逃げるんだよ!」
扉を指差し、叫ぶ。
「出来るだけ遠くへ! 帝国の外まで──いや、それでも足りねぇ!」
その言葉を合図に。
男たちは転がるように廃教会を飛び出していった。
◇ ◇ ◇
夜風の吹き抜ける荒野を、三人はゆっくりと歩いていた。
ソアラはどうにか自分で歩ける程度には回復していたものの、まだ足元が少し覚束ない。
一方でミオはすっかり上機嫌だった。
「ジークさま」
「なんだ」
「ミオ、ちゃんとソアラ助けた」
「ああ。そうだな」
「えらい?」
「国を滅ぼしかけた分を差し引けばな」
「むぅ……」
不満そうに頬を膨らませながらも、ミオはジークの腕へぴたりとくっついて歩いている。
そのやり取りを見ながら、ソアラは小さく笑った。
やがて暗がりの向こうに、自分たちの家が見えてくる。
「…………あれ?」
家の裏手へ回ったところで、ソアラは足を止めた。
何かが転がっている。
一人。
二人。
……十人ほどの人間だった。
複数の男たちが地面へ乱雑に積み重なり、ぴくりとも動いていない。
「ちょっ……!」
ソアラの顔が青ざめる。
「し、死んでるの……?」
「物騒なことを言うな」
ジークが眉をひそめた。
「殺してはいない」
「じゃあ、これは……?」
「死んだ方がましだと思う程の恐怖を味わって、気絶してるだけだ」
「…………」
「そのうち起きる。目を覚ませば勝手に逃げ帰るだろう」
「十分に物騒じゃない」
「そうか? 死んで無いんだぞ」
もう基準がおかしい。
今さら指摘するのも疲れた。
「でも……」
ソアラは改めて倒れている男たちを見る。
「ありがとう」
「ああ」
ジークの返事は、それだけだった。
三人は玄関へ回り、音を立てないよう静かに扉を開ける。
家の中は暗く、しんと静まり返っていた。
「…………」
ソアラは息を殺して寝室を覗く。
そこには。
「すぅ……すぅ……」
リーシャが眠っていた。
何も知らず、穏やかな寝息を立てている。
「…………っ」
ソアラはようやく、胸の奥に詰め込まれていた息を吐き出した。
(何も、気づいてない……)
つまり、あれだけの人数を、争った物音すら聞かせず、リーシャを起こしもしないまま、全員を片付けたのだ。
ソアラは思わず背筋に冷たいものを感じながら、隣に立つジークを見上げた。
「……なんだ」
「ううん」
苦笑する。
「何でもない」
──この二人。
やっぱり絶対に敵に回してはいけない。
今さらながら、心の底からそう思った。
ジークはそんなソアラの内心など気にした様子もなく、眠るリーシャへ一度だけ目を向ける。
「……それで」
「ん?」
「お前たちは、これからどうするんだ?」
ソアラが顔を上げる。
「あいつらのことなら、もう気にしなくていい。少なくとも、二度とここへ来ることはないだろう」
「ソアラ、また、お宝さがし行くの!?」
ミオがぱっと振り返った。
「つぎ、もっとすごいダンジョンいこ!」
「お前は少し大人しくしていろ」
「むぅ」
ソアラはそんな二人を見ながら、少しだけ考えた。
「……どうかな」
小さな家を見回す。
古びた壁。
自分で直した窓枠。
リーシャが育てている、玄関先の花。
決して立派ではない。
それでも、ずっと守ろうとしてきた場所だった。
「……あいつらのことは、もういい」
静かに言う。
「でも、私が今までしてきたことまで、なくなるわけじゃないから」
「…………」
「騙した人もいる。傷つけた人もいる。たぶん……私のことを恨んでる人だって、たくさんいる」
ソアラは少し寂しそうに笑った。
「もともと、そろそろここには居られないと思ってたの」
そして、眠る妹を見る。
「だから……この際、街を出ようと思う」
「……そうか」
ジークの返事は、いつも通り一言だけだった。
引き止めるでもなく。
背中を押すでもなく。
ただ、その選択を受け入れるように。
短い言葉が、静かな夜の中へ溶けていった。




