第48話 契約通りだから
ダンジョンからの帰り道。
夕暮れに染まった街道を、三人は帝都へ向かって歩いていた。
西へ傾いた陽が長い影を落とし、草原を吹き抜ける風が昼間の熱気を少しずつ攫っていく。
ソアラの背には、大きな袋。
遺跡で見つけた金塊や宝石、魔導具が詰め込まれ、今にもはち切れそうなほど膨らんでいる。歩くたび、中からじゃらり、じゃらりと重たい金属音が鳴った。
腰の鞄には、古代文字をびっしりと書き写したノート。
隠し通路。
その先の未踏領域の構造。
そして、古代マーナ遺跡文明に関する石板の記録。
財宝だけではない。
ギルドへ持ち帰る成果としては、文句のつけようがない大収穫だった。
──だというのに。
「…………」
ソアラの表情は、どこか浮かなかった。
時折、背負った袋を気にするように振り返り。また前を向いては、唇を噛む。
何かを考え込んでいるようなその横顔に──。
「ソアラ!」
「……えっ?」
不意に袖を引かれ、ソアラが我に返る。
「ぼうけん、せいこう?」
ミオが真っ赤な夕陽を背に、期待に満ちた瞳で見上げていた。
「お祝い、しよ!」
「…………」
ソアラは一瞬、言葉に詰まる。
だがすぐに。
「う、うん!」
ぱっと笑顔を作った。
「もちろん大成功! こんなにお宝も見つかったんだから!」
「やった!」
「換金が終わったら、盛大にお祝いしよっか!」
「うん!」
ミオの顔がぱっと輝いた。
「ジスさまと、ソアラといっしょに、ごはん!」
嬉しそうに両手を広げ、くるくると回る。
「おにく!」
「いいね」
「あまいのも!」
「いいよいいよ。今日は豪勢にいっちゃおう!」
「おおー!」
両手を上げたミオは、そのまま上機嫌に街道を駆けていく。
「転ぶぞ」
少し前を歩いていたジークが淡々と声をかける。
「だいじょーぶ!」
そう答えた直後に石へ躓きかけ、慌てて両手を広げて踏ん張った。
「…………」
「転ぶぞ」
「だいじょーぶ」
「そうか」
何事もなかったように歩き出す二人。
その後ろで。
「…………」
ソアラは足を止めていた。
嬉しそうに並んで歩く二人を、しばらく見つめる。
背中の袋が、急に、ひどく重くなったような気がした。
「……ごめん」
誰にも聞こえない声で、ソアラは小さく呟いた。
◇ ◇ ◇
帝都へ戻った頃には、陽もほとんど沈みかけていた。
通りにはぽつぽつと街灯が灯り始め、昼とは違う橙色の光が石畳を照らしている。
三人はそのまま、冒険者ギルドへ向かった。
「よーし。じゃあ、私、成果の報告と換金してくるね」
入口の前で、ソアラが背負っていた大袋を担ぎ直す。
「時間は掛かるのか?」
「うーん。これだけあるから、ちょっとはかかるかも」
そう答えてから、
「あっ、そうだ」
何かを思い出したように懐へ手を入れた。
取り出したのは、一枚の書類だった。
「その前に、これ」
「なんだ?」
「依頼の報告書」
ソアラはギルド前のベンチへ紙を広げる。
「今回の依頼、私のライセンスで受けたでしょ? だから報告自体は私が代表でするんだけど、同行者がいる場合はその人にも署名してもらう決まりなの」
「ほう」
「ここ。名前だけでいいから」
ソアラが書類の下部を指差す。
そこには確かに、共同探索者の署名欄らしきものがあった。
ジークが紙を取る。
「…………」
目を細め、一通り内容へ目を通そうとした──その時。
「あっ!」
ソアラがギルドの入口へ目を向けた。
「まずい! もう受付閉まる時間じゃん!」
「?」
「ごめん、急いで! 今日中に報告できないと、換金も明日になっちゃう!」
焦った様子で、署名欄を指先でとんとん叩く。
「ここ! ほんと名前だけでいいから!」
「そうか」
ジークは特に気にすることもなく、羽根ペンを取った。
──ジス。
続いてミオも。
まだ覚えたての文字を、ゆっくりと紙へ書いていく。
──ミミ。
「できた」
「ありがと!」
ソアラは素早く書類を折り畳んだ。
そして。
「……じゃ、行ってくるね」
「ああ」
「まってる!」
「うん」
ソアラは笑った。
が、ほんの僅かに……その笑顔が、引きつって見えた。
「……すぐ戻るから」
大袋を背負い直し、そのまま足早に、ギルドの中へ消えていった。
◇ ◇ ◇
「……ソアラ、おそい」
それから、しばらく。
ギルド前のベンチに腰掛けたミオは、暇そうに両足をぶらぶらと揺らしていた。
既に辺りは暗くなり始めている。
通りの店には灯りがともり、どこからか肉を焼く香ばしい匂いまで漂ってきた。
「おなか、すいた……」
「もう少し待て」
隣では、ジークが腕を組んだまま夜空を眺めている。
「ジークさま、なに食べる?」
「何でもいい」
「おにく?」
「ああ」
「おさかな?」
「ああ」
「おさけ?」
「あぁ。……お前は駄目だぞ」
「なんで?」
「子供だからだ」
「ちょっとだけ」
「駄目だ」
「むぅ……」
ミオが頬を膨らませる。
「じゃあ──」
さらに続けようとした、その時。
ぎぃ、と。
ギルドの扉が開いた。
「あっ!」
ミオの顔が輝く。
「ソアラ!」
ベンチから飛び降り、そのまま駆けていった。
「おそい!」
口では文句を言いながらも、満面の笑みを浮かべてソアラの腕へ抱きつく。
「おなかすいた! ごはん、いこ!」
「…………」
ソアラは、答えなかった。
「ソアラ?」
そして。
ミオの手を──そっと振りほどいた。
「…………」
ミオの笑顔が止まる。
拒絶された意味が分からないように、自分の手を見つめる。
ジークもゆっくりと立ち上がった。
「……遅かったな」
「…………」
ソアラの視線が僅かに泳ぐ。
だが、すぐに。
「ちょっと……換金に手間取っちゃって」
笑った。
不自然なほど、明るく。
「ほら。これ」
懐から小さな巾着袋を取り出すと、ジークへ差し出す。
「あんたたちの取り分」
「…………」
ジークが受け取ったのは、掌に収まるほどの、小さな袋。
口を開いて中を覗けば──。
銅貨が、十枚。
それだけだった。
「…………」
ミオも横から覗き込む。
「おかね?」
「ああ」
「これだけ?」
その一言に、ソアラの肩がびくりと震えた。
「──契約通りだからっ!!」
突然。
叫ぶような声が、辺りに響く。
「…………」
ミオが驚いて一歩下がる。
ソアラは懐から紙を取り出し、ベンチの上へ叩きつけた。
先ほどの──依頼完了報告書だ。
「ちゃんと書いてあるでしょ!」
指差した先。
そこには、成果報酬の配分について書かれていた。
共同探索者──ジス、銅貨五枚。
共同探索者──ミミ、銅貨五枚。
残る全額を、依頼受注者であるソアラへ。
書類の下部には二人が書いた署名。
そして──ギルドの承認印。
「…………」
「二人とも自分で署名したよね!?」
ソアラは早口に捲し立てる。
「ギルドだって認めた! だから、これはちゃんとした契約なの!」
腰には、大きく膨らんだ革袋。
先ほどの財宝を換金したのだろう。
僅かに開いた口から、金貨がぎっしりと詰まっているのが見える。
ソアラはそれを手で隠すように押さえた。
「文句があるならギルドに言って!」
声が震えていた。
「私は悪くない! ちゃんと書類があって、二人だって署名して……だから……!」
「…………」
ジークは何も言わない。
「…………」
ただ。
静かに右腕を上げた。
「──っ!」
その瞬間、ソアラの顔から血の気が引いた。
「な、なに……!」
反射的に一歩後ろへ下がる。
「暴力を振るう気!? だったら騎士団を呼ぶから! こんな街中で何かしたら、絶対に──」
さらにジークの手が伸びる。
「っ……!」
ソアラはぎゅっと目を閉じた。
両腕で頭を覆い、肩を丸め、身体を小さく縮こませる。
まるで、これから何が起こるのかを──知っているかのように。
「…………」
だが。
痛みは、来なかった。
代わりに。
ぱしっ。
手元から、何かが抜き取られる。
「……え?」
恐る恐る目を開けると、ジークが手にしていたのは──。
先ほどの報告書だった。
「おお」
紙を広げ、ギルドの印を確認する。
「これだ」
「…………は?」
「完了報告書」
ジークは満足そうに頷いた。
「ちゃんとギルドの承認印もある」
「……え?」
「これなら文句あるまい」
その横から、ミオが嬉しそうに紙を覗き込む。
「これで、かえれる?」
「ああ」
ジークは口元を僅かに緩める。
「れっきとした、仕事を完遂した証明だ。これを見せればルスも文句は言わんだろ」
「やった!」
ミオが両手を上げた。
「ぼんさいも買う!」
「そうだったな」
「うん!」
「…………」
ソアラは呆然としていた。
目の前の二人が、何を言っているのか理解できない。
「……ちょ」
ようやく声が出た。
「ちょっと、待って」
「なんだ」
「報酬…………」
震える指で、ジークが持っている小さな巾着を指差す。
「あんた達の分、それだけだからね」
「あぁ」
ソアラの声が掠れる。
「こっちは、私の分だから」
腰の袋に手を当てる。
「ああ、分かった」
「分かった、って!? 本当に分かってる!? あれだけの成果で、銅貨十枚なんて……」
そこで言葉が止まった。
言ってしまえば、自分が何をしたのかを、認めることになる。
「…………」
ジークはそんなソアラを見つめていた。
しばらくして。
「ああ、そうだったな」
何かを思い出したように呟く。
「ほら」
「え?」
ぽん。
巾着袋が宙を舞った。
「わっ!」
ソアラは咄嗟に両手で受け止める。
銅貨の入った、小さな袋。
「な、なに……?」
「祝賀会の会費だ。こっちが言い出したんだからな」
「…………」
「店は任せる」
ジークはいつもと変わらない顔で言った。
「三人分、足りるか?」
「おいわいー!」
ミオが歓声を上げる。
そして先ほど振りほどかれたことなど、もう忘れてしまったかのように。もう一度、ソアラの手を掴んだ。
「ソアラ! はやく、ごはん!」
「…………」
「おにく!」
「…………」
「あまいのも!」
「…………」
「ソアラ?」
返事がないことを不思議に思い、ミオが顔を覗き込む。
ソアラは、その場に立ち尽くしていた。
自分の手の中にある、銅貨の袋。
腰に下げた、金貨の袋。
そして。
何の疑いもなく自分の手を握っている、小さな手。
「…………」
何かを言おうとして唇が僅かに動く。
けれど。
結局、声にはならなかった。
「行くぞ」
ジークが先に歩き出した。
「うん!」
ミオが元気よくその後を追う。
「ソアラも!」
数歩進んだところで振り返り、大きく手を振る。
「はやく!」
「…………」
帝都の通りには、次々と街灯が灯り始めていた。
橙色の光の中。
ジークとミオは、仕事を終えたことだけを喜びながら、楽しげに商店街へ向かって歩いていく。
その後ろ姿をソアラは、ただ呆然と見つめていた。
怒鳴られると思っていた。
殴られると思っていた。
少なくとも。
もう二度と、自分の顔など見たくないと言われると思っていた。
なのに──。
「…………なんなのよ」
小さく呟き、手の中の巾着をぎゅっと握り締めた。
「……ほんとに」
その表情を、二人から隠すように俯く。
「なんなのよ……あんたたち……」
「ソアラー!」
遠くから、ミオの声が飛んでくる。
「おいてくよー!」
「…………」
ソアラは顔を上げた。
そして。
「……今、行く!」
絞り出すように返事をすると。
金貨の詰まった重い袋を腰に下げたまま──二人の後を追って走り出した。




