第47話 ミミがやりたかったのに……
「いやぁぁぁあああっ!? 死ぬぅぅぅうううう!!」
ソアラの悲鳴が、静まり返っていた遺跡の天井をつんざいた。
直後──。
──ズガァンッ!
巨大な石塊が壁へ叩きつけられ、砕けた破片が雨のように降り注ぐ。
「ちょっ、ちょっと! 低層になんでこんなのがいるのよぉっ!」
悲鳴を上げながら、ソアラは必死に柱の陰へ飛び込んだ。
広いフロアの中央。
そこには、異様な姿をした巨大な魔物が蠢いていた。
半透明の粘液に覆われた、歪な巨体。
その内部には石材や鉄片、錆びついた剣、折れた槍、果ては遺跡の瓦礫までが無秩序に取り込まれている。
──スライムゴーレム。
ただのスライムとは似ても似つかない。
長い年月をかけて遺跡内部の魔力を吸収し、周囲の物質を取り込みながら成長した特殊個体だった。
粘液の肉体は物理攻撃の威力を受け流し、魔法に対しても極めて高い耐性を持つ。
さらには、多少身体を破壊されたところで周囲の瓦礫を取り込み、瞬く間に欠損部分を補ってしまう。
並の冒険者にとっては、遭遇した時点で撤退を考える類の怪物である。
「グォォォォ……!」
低い唸り声とともに、巨体が揺れる。
粘液の中から数本の石槍が押し出され──勢いよく射出された。
「ひぃっ!」
ソアラが慌てて身を翻す。
──ズガッ!
背後の床へ石槍が突き刺さった。
「むりむりむりむり! 聞いてないってばぁ!」
続けざまに飛んできた瓦礫を避ける。
一つ。
二つ。
三つ。
どうにか回避した──その時だった。
「あっ」
足が滑る。
砕けた石片を踏み、ソアラの身体が大きく傾いた。
「わっ……!」
体勢を立て直せない。
スライムゴーレムはここぞとばかりに、取り込んでいた巨大な煉瓦の塊を吐き出してきた。
避けられない。
「──っ!」
ソアラが咄嗟に腕で顔を庇った、その瞬間。
「重磁結界──乱空」
低い声が響いた。
──ヴン。
ソアラの周囲の空間が歪む。
「え……?」
目には見えない膜のようなものが、彼女を包み込んだ。
直後。
飛来した煉瓦が真正面からその膜へ激突し──
ぎゅんっ!
あり得ない軌道を描いて上空へ弾き飛ばされた。
遙か後方へ落下し、派手な音を立てて砕け散る。
「…………」
何が起きたのか理解できず、ソアラはその場に座り込んだまま目を瞬かせる。
そんな彼女の前へ。
ジークが、ゆっくりと歩み出た。
「まったく。遺跡が崩れたらどうする」
いつもと変わらない無表情。
目前には、上級冒険者ですら苦戦する怪物がいるというのに。
面倒そうに目を細めただけだった。
「一撃で終わらせてやるから、そう暴れるな」
「グォォォォォォッ!」
返事の代わりとばかりに、スライムゴーレムが巨腕を振り上げる。
だが。
その腕が振り下ろされるより早く。
ジークの足元から──影が広がった。
ずるり、と。
まるで黒い液体のように床を這い、スライムゴーレムの周囲を取り囲んでいく。
「……なに、それ」
ソアラが呆然と呟く。
影は床だけではない。
四方から立ち上がり。
天井へ伸び。
やがて──巨大な立方体を形作った。
漆黒の檻。
スライムゴーレムの巨体が、完全にその中へ閉じ込められる。
ジークが片手を掲げた。
「──黒檻」
指を握る。
瞬間。
黒い立方体が、内側へ崩壊した。
──ギギギギギギ……ッ!
歪な音を立て、檻の内部が四方八方から強引に押し潰されていく。
「グォ──」
スライムゴーレムの巨体が歪む。
半透明の身体が圧縮される。
内部に取り込まれていた石も、瓦礫も、武器の残骸も。
何もかもが一緒くたになって、中心へ中心へと押し込められていく。
巨大だった身体が、人ひとりほどに。
人の頭ほどに。
拳ほどに。
そして──。
最後に残ったのは、サイコロほどの大きさしかない漆黒の立方体だった。
──ズンッ!
その小ささからは想像もできないほどの重い音を立てて床へ落ち、石畳へ深々とめり込む。
「…………」
静寂。
先ほどまでの騒乱が嘘だったかのように、辺りから音が消えた。
僅かに残った魔力の残滓だけが、黒い靄となって空中へ溶けていく。
「…………」
ジークは床へめり込んだ立方体を見下ろす。
「終わりだ」
その背後から。
ぴょこ。
ファーの付いたフードが顔を出した。
「むぅ。ミミがやりたかったのに……」
少し頬を膨らませ、むすっとしながらミオがジークの外套の裾を引っ張る。
「お前にはまだ早い」
「魔法のれんしゅう、したかった」
「失敗して遺跡ごと吹き飛ばすだろ」
「……ふきとばささない」
不満そうなミオの頭を、ジークがぽんぽんと軽く叩いた。
「こんな雑魚くらい、いくらでもいる。また今度だ」
「むぅ……」
「…………」
その光景を、ソアラは床へ座り込んだまま呆然と眺めていた。
「……し、信じられない……」
「ん?」
ソアラの声に、ジークが振り返る。
「ス、スライムゴーレムよ……?」
「ああ」
「ベテランの冒険者だって、何人かで囲んでようやく倒せるような魔物なのよ……?」
「そうなのか」
「そうなのかって……」
ソアラの頬が引きつる。
「しかも、あれって魔法耐性がものすごく高いはずなんだけど……。ほとんど魔法が効かないって……」
「知らん」
ジークは興味なさそうに答えた。
「効かないなら」
床へ埋まった黒い立方体を一瞥する。
「より強力な魔法を使えばいいだけだろう」
「…………」
ソアラは黙った。
言っていることは、ものすごく単純だった。
単純なのだが。
それが出来ないから、皆苦労しているのである。
(……もういいや)
今日だけで何度、この男に常識を求めることを諦めただろう。
「ソアラ」
「……ん?」
「だいじょーぶ?」
いつの間にかミオが目の前まで来ていた。
小さく屈み込み、ソアラへ手を差し出している。
「たてる?」
「…………」
ソアラはその小さな手を見た。
そして、ふっと笑う。
「うん」
手を握る。
「ありがと、ミミちゃん」
「よいしょ」
一生懸命力を込めるが、どう考えてもミオの力でソアラを引き起こせるはずがない。
もう片方の手でそっと地面を押し、立ち上がった。
それにしても。あの魔物相手に二人揃ってこの落ち着き様。
どう考えてもただの素人ではない。
けれど。もはや、いちいち驚いていては身が持たない。
(…………どうせ、この冒険が終われば)
ソアラはそう自分に言い聞かせることにした。
◇ ◇ ◇
「……あれ?」
気を取り直して広間を調べていたソアラが、奥に設けられた祭壇の前で足を止めた。
「ちょっと、二人とも! これ見て!」
声に興奮が混じる。
中央の石造りの台座。
その上には、何枚もの石板が並べられていた。
表面にはびっしりと古代文字が刻まれ、その周囲を囲むように複雑な封印の紋様が幾重にも交差している。
「これ……」
ソアラは指先で文字を追い、目を見開いた。
「依頼書に書かれてたやつよ!」
「なに?」
ミオが隣から覗き込む。
「古代マーナ遺跡文明の記録!」
「まーな?」
「そう!」
ソアラは興奮気味に頷いた。
「この遺跡がいつ造られたのかとか、何のために使われてたのかとか……もしかしたら、そういうのが書いてあるかもしれない!」
「読めるのか?」
「全部は無理。でも文字そのものを持ち帰れば、ギルドの研究員が解析してくれるわ」
ソアラの顔がぱっと明るくなる。
「これ、すごい発見かもしれない! 報告すれば、絶対追加報酬が出るわよ!」
「おたから?」
「そう、おたから!」
「ぼんさい、買える?」
「盆栽……?」
「気にするな」
ジークが横から遮った。
「書き写すなら早くしろ」
「わ、わかった!」
ソアラは慌てて荷物を漁り、ノートと鉛筆を取り出した。
「ちょっと時間ちょうだい。出来るだけ正確に写しておきたいから」
「ああ」
「うん」
ソアラが石板へ向き直り、一心不乱に鉛筆を走らせ始める。
その横で。
「…………」
暇になったミオが、広間をきょろきょろと見回す。
そして。
「……ん?」
床の一角で足を止めた。
「ジスさま」
「なんだ」
「ここ、へん」
「ほう」
見ると、石床の一枚だけが僅かに浮き上がっている。
ジークはしゃがみ込むと、その縁へ指を引っかけた。
「……なるほどな」
「え、ちょっとジスさん、それ床板でしょ!? 何して──」
──ゴゴッ。
音を立てて石板が持ち上がった。
「…………」
ソアラの鉛筆が止まる。
ジークは自分の半身ほどもある分厚い床石を両手で持ち上げ、そのまま横へずらした。
そして。
その下を覗き込む。
「…………」
ぱぁっ、と。
ミオの顔が輝いた。
「おおおー!」
「な、なに!?」
ソアラも慌てて駆け寄る。
床下には、深い収納庫が隠されていた。
そして、その中には──。
「……うそ」
ソアラが息を呑む。
金塊。
大小様々な宝石。
装飾の施された杯や腕輪。
さらに、古びてはいるものの、明らかに高価そうな魔導具まで。
松明の光を受けた宝石が、暗い遺跡の中で煌めいていた。
「すごい……」
ソアラは、しばらくそれしか言えなかった。
「ほんとに残ってた……」
「おたから!」
ミオは大喜びで収納庫を覗き込んでいる。
「いっぱい!」
「いっぱいどころじゃないわよ、これ……」
ソアラは呆然とその場へしゃがみ込んだ。
一つひとつの価値など、今すぐには分からない。
それでも。
これだけの量があれば、相当な金になることだけは間違いない。
「これだけあれば……」
ぽつり。
ソアラが呟いた。
「…………」
その声だけが。
先ほどまでとは、僅かに違っていた。
驚きと興奮の奥に、一瞬だけ。
別の何かが浮かんだ。
安堵。
焦り。
あるいは──切実さ。
「…………」
ジークは、黙ってソアラの横顔を見ていた。
昨夜。
焚き火を挟んで交わした会話が、ふと脳裏を過ぎる。
「…………」
その視線に気づいたのか。
ソアラが、はっと顔を上げた。
「……え?」
いつもの調子を取り戻すように笑う。
「なに? どうかした?」
「…………」
ジークは数秒だけ彼女を見つめた。
そして。
「いや」
静かに視線を逸らす。
「……なんでもない」
その声は、いつになく低く。
そして僅かに、何かを考えているようだった。




