第46話 家族というものが、俺にはよく分からん
夕食を終えた頃には、広間の中はすっかり静まり返っていた。遠く僅かに聞こえていた物音も今は聞こえない。遺跡全体が静寂の海に沈み込んだかのようだ。
ぱち、ぱち、と。
闇の中で、焚き火だけが小さな音を立てている。
その上では食後の湯を沸かす小鍋が、くつくつと白い湯気を上げていた。温かな香りが、冷たい遺跡の空気を僅かに和らげている。
「……おなか、いっぱい……」
満足そうにそう呟いたのを最後に、ミオはぱたりと眠ってしまった。
初めて訪れた異国。
初めての冒険者ギルド。
初めてのダンジョン探索。
先ほどソアラの背中で一度眠ったとはいえ、さすがに疲れが溜まっていたのだろう。
今はソアラの膝を枕にして、すぅ、すぅ、と小さな寝息を立てている。
「…………」
ソアラはそんなミオを見下ろし、そっと目を細めた。
起きている時は、妙に肝が据わっていて。
遺跡を半分吹き飛ばしかねない魔法陣まで作ってしまうという、とんでもない子供なのだが。
こうして眠っている姿だけを見れば──ただの幼い少女だった。
「……可愛い」
思わず、小さく笑みがこぼれる。
「珍しいな」
「……え?」
不意に声をかけられ、ソアラが顔を上げた。
広間の入口から、ジークが戻ってくるところだった。
先ほど、
『夜中に爆発したら煩い』
などと言って、ミオの仕掛けた魔法陣を修正しに行っていたのである。
どうやら遺跡半壊の危機は、無事に回避されたらしい。
ジークは焚き火の前まで来ると、眠るミオへ視線を落とした。
「俺か、姉以外の膝で寝るなんて滅多にないんだがな」
「へぇ……」
ソアラは少し嬉しそうにミオを見る。
「じゃあ、ちょっとは懐いてくれたってことかな」
「さあな」
「そこは素直にそうだって言ってよ」
「本人に聞け」
「はいはい」
苦笑しながら、ソアラはミオの頬へかかった銀髪をそっと払った。
ジークは焚き火の横へ腰を下ろし、湯の入ったマグカップを手に取る。
「ミミちゃん……お姉さんがいるの?」
「ああ」
立ち上る湯気越しに、ジークが軽く頷いた。
「血は繋がっていないそうだがな。フィオナという姉がいる」
「へぇ」
「こいつとは違って、しっかり者だ」
「ミミちゃんだって、しっかりしてるじゃない」
「どこがだ」
「……具体的には、難しいわね」
罠をわざと踏んで、ダンジョンで昼寝をして、遺跡を半分吹き飛ばす罠を自作した。
確かに、『しっかり者』という評価には少々無理がある。
ソアラは苦笑しながら、もう一度ミオの寝顔へ目を落とした。
「……ねぇ、ジスさん」
「なんだ」
「その……」
少し言い淀む。
「さっき、ミミちゃんに聞いたら、お父さんじゃないって言ってたでしょ?」
「ああ」
「もし、差し支えなければなんだけど……」
ソアラは焚き火へ視線を移した。
「二人って、どういう関係なのかなって」
返事はなかった。
「…………」
薪の爆ぜる音だけが、小さく広間へ響く。
ジークはマグカップを手にしたまま、揺れる炎をじっと見つめていた。
「あっ……」
その沈黙に、ソアラははっとする。
「ご、ごめん! まだ会って一日も経ってないのに、踏み込みすぎたよね!」
慌てて空いた手をぶんぶんと振った。
「忘れて! 今のなし!」
その声に反応したのか、
「ん……」
ミオが小さく身じろぎした。
「あ、ごめんごめん」
ソアラは慌てて声を落とす。
膝の上でずれた毛布を、そっと肩まで掛け直した。
すると。
「……いや」
ジークが口を開いた。
「別に隠しているわけではない」
「……そう?」
「ああ。ただ──」
一度、言葉を切る。
「俺自身も、よく分かっていなくてな」
焚き火の炎が揺れ、ジークの横顔を赤く照らした。
「元々、俺は他の二人と暮らしていた」
「二人?」
「友人……と呼べば、謙遜するだろう男が一人」
ジークは淡々と続ける。
「それと、母親のようなもの……などと言えば、間違いなく怒るだろう女が一人」
「……なんだか、複雑そうね」
「まぁな」
そう言う割に。
その声音に、嫌悪はまるでなかった。
「そこへ、ある夜突然、この姉妹が転がり込んできた」
「転がり込んできた?」
「ああ。文字通りだ」
「何があったのよ……」
「色々とな」
ジークはそれ以上詳しく語ろうとはしなかった。
けれど。
焚き火を見つめるその横顔は、どこか穏やかだった。
ソアラはそれを見て、それ以上尋ねるのをやめる。
すると今度は、ジークの方から口を開いた。
「お前から見れば」
「ん?」
「俺とこいつは、親子に見えるのか?」
「…………」
予想していなかった問いに、ソアラは目を瞬かせた。
少しだけ考えてから、膝の上で眠るミオと、向かいに座るジークを交互に見る。
「うーん……」
そして、素直に頷いた。
「そう見える時もあるよ」
「そうか」
「でも……」
ソアラは少し笑った。
「気の合う悪友にも見えるかな」
「…………」
「二人で悪いことして、そのお母さんみたいな人に一緒になって怒られるような」
「フン」
ジークが鼻を鳴らした。
否定はしないらしい。
「……ごめんね」
ソアラは、膝の上のミオを優しく撫でる。
「自分から聞いておいて何だけど。今の質問、取り下げる」
「なぜだ」
「だって」
少しだけ考えてから、言葉を選ぶ。
「たぶん、わざわざ関係に名前をつけなくてもいいんじゃないかなって思ったから」
「…………」
「親子でも、兄妹でも、友達でもなくたっていい」
ソアラは微笑んだ。
「ジスさんがミミちゃんを大事にしてる。それは見てれば分かるもの」
その言葉に。
ジークは答えなかった。
ただ傍らに置かれていた薪を一本取ると、静かに焚き火へ放り込む。
ぱちっ、と。
小さな火花が夜の闇へ舞った。
「……家族というものが」
しばらくして、ジークがぽつりと呟く。
「そもそも、俺にはよく分からん」
ソアラは何も言わず、その続きを待った。
「お前にはいるのか?」
「え?」
「家族だ」
珍しくジークの方から尋ねられ、ソアラは僅かに目を見開いた。
「……うん」
答えるまでに、ほんの少しだけ間があった。
「妹が一人いる」
ソアラは小さく笑う。
「たった一人の、大事な家族」
「…………」
「まあ、色々あってね」
笑顔のまま。
それ以上のことは語らなかった。
ジークも尋ねない。
焚き火が、ぱちりと音を立てる。
「そうか」
そして。
ジークはマグカップの湯を一口啜ると、何でもないことのように言った。
「なら──大切にしてやれ」
「…………」
ソアラの瞳が僅かに揺れた。
ほんの一瞬。
何かを言いかけるように唇が動く。
けれど結局、
「……うん」
小さく、そう答えただけだった。
それからしばらくは、誰も口を開かなかった。
静まり返った遺跡の中。
薪の爆ぜる音だけが、穏やかに響いている。
やがてジークは空になったマグカップを脇へ置き、
「寝る」
それだけ言って、ごろりと敷布へ横になった。
「おやすみくらい言ったら?」
「…………」
返事はない。
ソアラは小さく笑った。
それから、自分の膝で眠り続けているミオへ視線を落とす。
「さて、と」
起こさないように身体を支えながら、ゆっくりと床へ寝かせる。
「ん……」
「大丈夫。寝てていいよ」
掛け布を肩までかけると、ミオは安心したように再び寝息を立て始めた。
「…………」
ソアラはその隣へ横になる。
そして。
毛布から出ていた小さな手を、そっと握った。
自分の妹に、いつもそうしているように。
「……おやすみ、ミミちゃん」
返事の代わりに。
ミオの小さな指が、眠ったままソアラの手を僅かに握り返した。
「…………」
ソアラは少しだけ目を細める。
やがて彼女も静かに瞼を閉じた。
深い地下。
誰にも知られていない遺跡の最奥で。
三人の夜は、静かに更けていった。




