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第43話 本当に……冒険初心者!?

 神殿の内部は、外から受けた印象以上に広大だった。


 長い年月を経て風化しかけた壁には、神々や獣を象ったレリーフが延々と連なり、その隙間には古代語と思しき文字がびっしりと刻み込まれている。


 ほとんどは魔力を失っているものの、いくつかの刻印からは、今なお微かな力の残滓が感じられた。


 天井は高く、見上げても薄闇に溶けて先が見えない。石造りの梁には苔や蔓草が絡みつき、それが闇の奥まで続いている。


 確かに、形だけを見れば神殿だった。


 だが、そこに神聖さはない。


 あるのは──静謐な恐怖。


 空気そのものは乾いているというのに、なぜか背筋を冷たいものが伝っていく。


 まるでこの遺跡そのものが眠りから目を覚まし、侵入者である三人をじっと見下ろしているかのようだった。


「うわぁ……」


 ミオが小さく声を漏らし、薄暗い通路の奥を覗き込む。


「くらいね」


「ダンジョンだからね」


 ソアラは荷物を床へ下ろすと、中を探り始めた。


「えーっと、ちょっと待ってね。まずは現在地を確認して……地図を確認しながら進まないと」


 丸めてあった羊皮紙と鉛筆を取り出そうとする。


 その途中で。


「必要ない」


「え?」


 ジークが静かに片手を上げた。


 そして、ただ一言。


「──行け」


 命令が落ちる。


 次の瞬間。

 ジークの足元に伸びていた影が、ゆらりと揺れた。


「……?」


 黒い煙のようなものが、そこから音もなく溢れ出す。


 床へ落ちたそれは、まるで意思を持つ生き物のようだった。


 するすると石床を這い、壁を伝い、通路の奥へ消えていく。


 一つ目の分岐で二つに。


 さらに先では四つに。


 無数に枝分かれしながら、神殿の内部へと広がっていった。


「な、なに今の!?」


 ソアラが目を丸くする。


「もしかして、魔法!?」


「…………」


 ジークは答えない。


 やがて数十秒ほどすると、各通路へ消えていた黒い影が次々と戻ってきた。


 床を流れるようにジークの足元へ集まり、そのままするりと元の影へ溶け込んでいく。


 ジークは一度だけ目を閉じた。


「よし」


 そして何事もなかったように歩き出す。


「行くぞ」


「ちょっ、待って待って待って!」


 ソアラが慌ててその前へ回り込んだ。


「今、何したの!? 説明くらいしてくれてもよくない!?」


「マッピングだ」


「……はい?」


「この階層の構造は細部まで把握した」


「…………」


 ソアラはゆっくりと、自分の手元へ視線を落とした。


 そこには。


 少ない稼ぎから奮発して買った、このダンジョンの踏破済みエリアの地図が書き込まれた羊皮紙。


「じゃ、じゃあ……これは?」


 ぷるぷると震える手で掲げる。


「不要だ」


「えぇーっ!?」


 悲痛な叫びが神殿中へ響き渡った。


「これ、結構高かったんだよ!? 私みたいな貧乏冒険者には痛い出費だったんだからね!」


「知らん。勝手に買ったんだろ」


「これがダンジョン探索の普通なの!」


「そうか。非効率的だな」


「それ以外に方法が無いのよ、普通は!」


「ソアラ」


「なに、ミミちゃん……」


 打ちひしがれるソアラの横で、ミオが背伸びをする。


 そして届くぎりぎりの高さから、その肩をぽんぽんと叩いた。


「げんきだして」


「……ありがと」


 慰められているはずなのに、なぜだろう。


 ちょっとだけ腹が立つ。


 ◇ ◇ ◇


 三人はそのまま、神殿の奥へと進んでいった。


「装飾の様式からすると、アイゼンドール時代後期の建築だな」


 先頭を歩くジークが、壁のレリーフを一瞥しながら何気なく口にする。


「基本的には下層へ潜っていく構造だ。恐らく地下三層から五層程度」


「え?」


「こういう時代の遺跡なら、主な魔物はアンデッド系。罠は接触起動型が中心だな。魔力感知式や連鎖作動型が一般化する前のものだ」


「…………」


 後ろを歩いていたソアラが、ぽかんと口を開ける。


「……たしか、ギルドの資料にも似たようなこと書いてあったけど」


「ああ」


「どうして見ただけで分かるの?」


「どうしてと言われてもな」


 ジークは面倒そうに壁へ手を触れた。


「ダンジョンなんて、表面が違うだけで中身は大体同じだ」


「……もしかして、ジスさん」


 ソアラの目が細くなる。


「ダンジョン探索、結構慣れてたりする?」


「さあな」


 ジークは歩みを止めない。


「昔、暇つぶしに何十──」


 そこで言葉を切った。


「おい。そこ踏むな」


「え?」


 ソアラの足が、ぴたりと止まる。


 あと数センチ。


 まさに踏み出そうとしていた場所に、一枚だけ僅かに盛り上がった石床があった。


「…………」


 恐る恐る足を引っ込める。


「こ、これ……罠?」


「ああ」


「……ありがと」


「ダンジョン内で気を抜くな。怪我するぞ」


「初心者に、注意された……」


「お前も初心者だろ」


「私、一応冒険者歴だけはそこそこあるんだけど!」


「なるほど。無いのは実力だけか」


「ジスさん、いい性格してるって、よく言われない……?」


 ぶつぶつ言いながら、ソアラは罠を避けて先へ進んでいく。


 ジークもそれに続いた。


 その後ろで。


「…………」


 ミオだけが立ち止まり、しゃがみ込んで問題の石床をじっと見つめていた。


 目が、きらきらと輝いている。


「ねぇ、ジスさま」


「なんだ」


「これ、踏んだらどうなるの?」


「さあな」


 ジークは振り返りもせず答える。


「気になるなら、踏んでみたらどうだ」


「うん」


「ちょ、ちょっと待って!?」


 ソアラが勢いよく振り返った。


「なんでそうなるの!? 罠って分かってるんだから、踏んじゃ駄目でしょ!」


 だが。


 駄目と言われれば、なおさら気になる。


 そういう年頃である。


「えいっ」


 ミオが迷いなく踏み込んだ。


 ──ガタン。


「え」


 続いて。


 ──ガシャッ。


「…………」


 三人の足元、その遥か下で。


 何か巨大な機構が動き出す音が響く。


「ミミちゃん?」


「うん?」


 ……カタ。


「…………」


 カタ……カタ……。


「……なんか聞こえない?」


 カタカタカタカタカタカタ──!


「きこえる」


「聞こえるね!? すっごい近づいてきてるよね!?」


 次の瞬間。


 通路の奥。


 曲がり角の向こうから、白い何かが姿を現した。


 一体。


 五体。


 十体。


 いや──もっと、数えられないほどいる。


 古びた布切れを纏った大量の骸骨たちが、カタカタと身体を鳴らしながら押し寄せてきた。


 眼窩には暗い青色の光が灯り、手には錆びついた短剣や剣。

 武器そのものは古びていても、侵入者を殺そうとする意思だけは微塵も鈍っていない。


「いやぁぁぁぁっ!?」


 ソアラの絶叫が響いた。


「逃げるよ! 二人とも、早く!」


「ほう」


 ジークが興味深そうに骸骨の群れを見る。


「思ったより出てきたな」


「感心してる場合じゃないでしょ!」


「カタカタ、いっぱい」


 ミオも目を輝かせている。


「ミミちゃんも喜ばないの!」


 ソアラがミオを抱えて逃げようとした、その直前。


 ジークが軽く指を振った。


 それだけだった。


 空中に、蒼白い光が灯る。


 一つ。


 二つ。


 十。


 数十。


 瞬く間に無数の光槍が形成され、狭い通路を埋め尽くした。


「……え?」


 そして。


 放たれる。


 ──ズガッ!


 先頭のスケルトンの頭蓋が貫かれた。


 ──ズガガガガガッ!


 続く光槍が、後方の骸骨たちを次々と撃ち抜いていく。


 僅か数秒。


 先ほどまで通路を埋め尽くしていたスケルトンの大群は、跡形もなく崩れ落ちていた。


 カラン。

 カラカラ……。


 静まり返った神殿に、砕けた骨が床を転がる音だけが虚しく響く。


「…………」


 ソアラは固まっていた。


 やがて、震える人差し指をジークへ向ける。


「い、今のも……魔法?」


「ああ」


「詠唱……してた?」


「いや」


「なんで!? え、私、そんなに詳しくないけど、かなり高度な魔法よね!?」


 だがジークは、その疑問には答えなかった。


「ミオ」


「うん」


「今の罠だが」


 何事もなかったように、先ほどミオが踏んだ床の前へ戻っていく。


「古い遺跡でよく見られる『スケルトン・パレード』という大量起動式の罠だ」


「すけるとん・ぱれーど」


「ああ。見分け方は簡単だ。ここの継ぎ目を見てみろ」


 ジークがしゃがみ込み、石床の端を指差す。


 ミオもその横へしゃがみ込んだ。


「ここ?」


「そうだ。この部分だけ周囲より僅かに摩耗が少ない。押し板式の典型だな」


「ほうほう」


「内部の機構が生きている場合、踏み込むと待機状態のアンデッドを一斉に──」


「…………」


 ソアラは遠い目で二人を眺めていた。


 さっき自分は、死を覚悟した。

 間違いなくした。


 なのに。


 この二人は今、何事もなかったかのように罠の実演授業を始めている。


(なんなの……?)


 しかもミミに至っては、真面目そうに頷いているだけで、絶対に覚える気がない。


(この二人、本当になんなの……?)


 そのとき。


 ──ドタドタドタドタッ!


「……ん?」


 今度は反対側の通路から、荒々しい足音が聞こえてきた。


 振り返る。


 青黒い肌。

 歪んだ顔。


 棍棒や粗末な剣を振り上げながら、十数体のゴブリンがこちらへ向かって突進してきていた。


「わ、わっ! ちょっと!」


 ソアラが短剣へ手を伸ばす。


「来てる! 後ろから来てるってば!」


「ああ」


 ジークが振り返る。


 そして。

 ひょい、と指を掲げた。


 ──ズドンッ!


 神殿の石壁から、一斉に黒い槍が突き出した。


「ギャッ──」


 先頭のゴブリンが串刺しになる。


 その後ろも。

 さらにその後ろも。


 一瞬にして全てのゴブリンが黒槍に貫かれ、そのまま通路の壁へ縫い付けられた。


 静寂。


「…………」


 ソアラは、剣の柄に添えた手をそっと下ろした。

 


「……ねぇ」


「なんだ」


 さすがに耐えきれなくなり、口を開く。


「ジスさん」


「なんだ」


「本当に……冒険初心者?」


「ああ」


 ジークは当然のように頷く。


「冒険者ライセンスすら持った事がない」


「なんかライセンスの問題じゃない気がしてきた!」


 ソアラの声が裏返った。


「さっきから魔物たちが可哀想になってくるくらい一瞬で死んでるんだけど!? 地図はいらない! 罠はやダンジョンにも詳しい! 魔物は指一本で全滅! 何なのよ、あんた!」


「なんだと言われてもな。冒険初心者の、ジスだ」


「こんな初心者が、いてたまるかぁー!」


 ソアラの絶叫が。


 古の神殿の奥深くまで、虚しく反響していった。

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