第39話 その子……まさか、獣人なのか?
「これを被っておけ」
帝都の城門を目前にして、ジークがミオへ何かを差し出した。
薄灰色の子供用マントだった。
柔らかな生地で作られたフードには、ふわふわとした飾り。裾には、花柄が刺繍されている。
どこからどう見ても、可愛らしさを追求した一着である。
「……これ?」
ミオは両手で受け取ると、まじまじと見つめた。
「耳と尻尾を隠せる。不本意かもしれんが、我慢しろ」
「……だいじょうぶ」
特に嫌がる様子もなく、ミオは素直にマントを羽織った。
ふさふさとした尻尾を裾の内側へくるりと巻き込み、狐耳も押し込むようにして、頭から深くフードを被る。
すると、どう見ても狐の獣人だった少女は──マントを被った、ただの可愛らしい子供へと変わった。
少なくとも、遠目には。
「どう?」
「……問題ない」
「ちがう。かわいい?」
「それは重要じゃない」
「かわいい?」
「…………」
無言で歩き出したジークを見て、ミオは満足そうにそのあとを追った。
ラガーレイ王国においても、獣人への偏見がなくなったわけではない。それでも、他国と比べればまだ扱いはましな方だった。
しかし、ここは帝国。
古くから人間至上主義の思想が根付き、獣人を人として扱わぬ者も珍しくない土地である。
耳と尻尾を晒したまま歩けば、余計な騒ぎを招くことは目に見えていた。
二人は衛兵たちの厳しい視線を受けながら城門をくぐり、帝都ルクセンシュタインへ足を踏み入れた。
──
門の先には、白い石造りの建物が立ち並ぶ大通りが伸びていた。
商人の呼び声が飛び交い、道沿いには色鮮やかな布や果物、香辛料が並べられている。荷馬車が石畳を軋ませ、着飾った貴族らしき一団が従者を連れて歩いていく。
一見すれば、活気に満ちた豊かな都である。
だが、その空気はラガーレイ王国の王都とはどこか違っていた。
人々の表情には、薄い緊張が張り付いている。
大通りの至るところに甲冑姿の兵士が立ち、行き交う者たちへ鋭い視線を向けていた。時折響く鎧の音に、旅人らしき者は小さく肩を震わせる。
しかし帝都に暮らす市民たちは、もはやそれを気に留める様子すらなかった。
監視されることも。
兵士がすぐ傍にいることも。
彼らにとっては、変わり映えのしない日常の一部なのだろう。
「ジークさま、これからどうするの?」
ミオがフードの端を押さえながら尋ねる。
「引き受ける仕事によっては、数日かかるかもしれん」
ジークは周囲へ目を配りながら答えた。
「まずは宿を取るぞ。ギルドへ行くのはそのあとだ」
「おとまり?」
「ああ」
「いっしょのへや?」
「空いていればな」
その返事を聞き、ミオの足取りがわずかに弾んだ。
二人は大通りを進み、やがて一軒の宿へ辿り着いた。
建物そのものは年季を感じさせるものの、玄関に掲げられた看板には細やかな金属装飾が施され、窓枠や扉も丁寧に磨かれている。
安宿というほど粗末ではない。
かといって、貴族向けの高級宿ほど敷居が高いわけでもない。
帝都を訪れた商人や、腕の立つ冒険者が利用する程度の宿なのだろう。
「いらっしゃいませ」
二人が扉を開けると、カウンターに立っていた中年の男が柔和な笑みを浮かべた。
恰幅のよい体に、丁寧に撫でつけられた髪。身なりも清潔で、一見すると人当たりのよさそうな宿の主人だ。
「部屋は空いているか?」
「ええ、もちろんでございます」
主人は帳簿を確認しながら答える。
「小さな寝台が二つ置かれたお部屋と、大きな寝台が一つのお部屋が空いておりますが……」
そこで主人は、ちらりとミオへ目を向けた。
親子だと思ったのか、あるいは兄妹と見たのか。
すぐに愛想のよい笑顔をジークへ戻す。
「では、小さな寝台が二つの──」
「大きなベッドのへやがいい!」
ジークの言葉を遮り、ミオが身を乗り出す。
「おい」
「かしこまりました!」
主人は満面の笑みを浮かべると、ジークが訂正する暇も与えず、カウンターの奥へ引っ込んでしまった。
ほどなくして、鍵を一つ手に戻ってくる。
「お部屋は二階の一番奥でございます。どうぞ、ごゆっくりお過ごしください」
「……ああ」
ジークは小さくため息をつきながら鍵を受け取った。
その隣では、ミオが上機嫌に体を揺らしている。
「ジークさまと同じベッド」
「狭くても知らんぞ」
「ジークさまといっしょなら、なんでもいい」
「……そうか」
宿泊の手続きが済み、ミオはくるりと振り返った。
その瞬間だった。
「おっと」
「きゃっ」
すぐ背後に立っていた大柄な男へ、正面からぶつかってしまう。
冒険者らしき男だった。
筋骨隆々とした体を傷だらけの革鎧で包み、背には身の丈ほどもある大剣を背負っている。頬には無精髭が伸び、吐く息からは昼間だというのに酒の臭いが漂っていた。
「ご、ごめんなさい……!」
ミオが慌てて頭を下げる。
その拍子にマントの裾が大きく揺れた。
内側に収めていた尻尾が緩み、薄灰色の布の隙間から、銀色の毛に覆われた先端がほんの一瞬だけ覗く。
その瞬間。
「……おい!」
先ほどまでの柔らかな声とは似ても似つかぬ、鋭い声が飛んだ。
振り返ると、宿の主人がカウンターの奥からミオを凝視していた。
その顔から、笑みは完全に消えている。
「その子……まさか、獣人なのか?」
宿の中へ、重い沈黙が落ちた。
ミオは慌ててマントの裾を押さえ、ジークの傍へ身を寄せる。
ジークは主人を真っ直ぐに見返すと、隠すことなく淡々と答えた。
「……そうだが」
「冗談じゃない!」
主人の怒声が、宿中に響き渡った。
「うちの宿に獣人を泊めようっていうのか!?」
主人はカウンター越しに身を乗り出すと、ジークの手から鍵を乱暴に奪い取った。
そして汚らわしい物にでも触れたかのように手を振り、鍵をカウンターの奥へ放り投げる。
「おいおい、こりゃ驚いたな」
ミオとぶつかった冒険者が、口元を歪めた。
「この宿も随分と趣向が変わったじゃねえか。いつから家畜まで泊めるようになったんだ?」
周囲の客たちから、低い笑い声が漏れる。
「とんでもございません!」
主人は先ほどまで怒鳴っていたのが嘘のように、男へ深々と頭を下げた。
「私もすっかり騙されるところでした。気付かせていただき、感謝いたします」
「ったく、それくらい分かるだろ。臭ぇ臭いでな」
「ははは、まったくです」
主人も媚びるような笑い声を上げる。
それからジークへ向き直ると、顔を露骨な嫌悪に歪めた。
「あんた、常識ってものがないのか?」
吐き捨てるように言う。
「人間様の泊まる部屋へ家畜を入れるなんて、店の評判に関わる。さっさと出ていってくれ!」
ジークは答えなかった。
ただ、主人の顔を静かに見つめている。
「聞こえなかったのか! この──」
主人がさらに声を荒らげようとした、その瞬間。
ジークの右手が、ゆらりと持ち上がった。
音が、消えた。
冒険者たちの笑い声も。
外を行き交う馬車の音も。
呼吸の音さえも、どこか遠くへ消え去ったように感じられる。
空気が重い。
目には見えぬ巨大な何かが、宿全体を鷲掴みにしたかのようだった。
主人の顔から血の気が引く。
冒険者の男も、本能的に異変を察したのか、背負った大剣へ手を伸ばしかけた。
何が起きようとしているのか、誰にも分からない。
そのときだった。
「……ジークさま!」
小さな声が、張り詰めた静寂を破った。
ミオがジークの袖を掴んでいる。
ほんの僅かに震える、小さな手で。
「行こう……」
俯いたまま、ミオは絞り出すように言った。
「ここ、めいわく、かけたから」
自分が侮辱されたことよりも。
宿へ迷惑をかけてしまったと、本気でそう思っているらしい。
ジークは動きを止めた。
しばらく何も言わず、俯くミオを見つめる。
やがて持ち上げていた手を下ろすと、周囲を締め上げていた圧力も嘘のように霧散した。
「……ああ」
ジークはそれだけ答え、踵を返した。
主人にも、冒険者にも、何ひとつ言葉を残さない。
ミオの手を引き、そのまま宿を出ていく。
扉が閉まった途端、背後から押し殺した笑い声が聞こえた。
先ほどの冒険者と主人が、何かを話しているらしい。
だがミオは振り返らなかった。
石畳の上を何歩か進んだところで、彼女は足を止める。
「……ごめんなさい」
ぽつりと呟いた。
フードの下で、狐耳が小さく垂れているのが分かる。
ジークは何も答えず、ミオの前へ立つ。
そして、猫耳の付いたフードの上から、そっと彼女の頭へ手を置いた。
ゆっくりと。
壊れ物に触れるような手つきで撫でる。
「お前が謝ることじゃない」
「でも……」
「気にするな」
短く告げるその声音は、先ほどまでとは違い、驚くほど穏やかだった。
ミオは俯いたまま、しばらく何も言わなかった。
やがて小さく頷き、ジークの外套の裾をそっと掴む。
二人は再び歩き始めた。
その後ろで、何事もなかったかのように帝都の喧騒が続いている。




