↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
PR
19/70

第19話 足枷か、手枷を着けた方が

 その日の午後。

 屋敷の前には、一台の馬車が用意されていた。木枠の荷車に布の幌をかけただけの、質素ながらしっかりとした造りだ。


 その馬車を引くのは、一頭の立派な黒毛の馬。

 ミオが毎朝「お手伝い」と称して餌をやりに通っている、屋敷の飼い馬だった。


 御者席に腰かけたルスが、手綱を握ったままふと振り返る。


「それでは、行ってまいります」


「ふたりとも、気をつけてね〜」


 玄関先ではロッテが明るく手を振り、その隣では、ミオがぷくっと頬を膨らませていた。


「……わたしも行きたかった」


 小さな手が、ジークの上着の裾を引く。


「だめだ。二人とも仕事で行くんだ。ルスも、お前の面倒まで見てられない」


「けちー」


 ミオは唇を尖らせて、ぎゅっと裾を掴んだままふてくされる。

 フィオナが慌てて諌めようとしたが、ジークはいつものごとく無表情のまま、軽くミオの手を払った。


 ──この二人、どこか似た者同士なのかもしれない。

 最近では悪友のようにじゃれ合い、時折そろってロッテに叱られている。

 あの気難しいジーク様に、小さな友人ができた──屋敷の皆は、そんな微笑ましい変化をひそかに喜んでいた。


 ルスが手綱を引くと、馬が鼻を鳴らして歩き出した。


 ◇ ◇ ◇


 馬車は丘を下り、緑が広がる山道へと入っていく。春の風が柔らかく吹き抜け、草木の香りをふわりと運んできた。


 町は屋敷から遠望できる位置にあり、徒歩で行くには遠いが、馬車なら半刻もあれば着く距離だ。


 しばらく進むと、前方に広がる畑で農作業をする人影が見えてきた。


 その景色を目にした瞬間、フィオナは思わず身をすくませる。

 肩をぎゅっと縮め、膝の上で手を強く握りしめた。


「……どうかなさいましたか?」


 隣で手綱を握るルスが、ちらりと視線を向ける。


 フィオナは少しだけ躊躇し、やがて絞り出すように言葉を紡いだ。


「あの……やっぱり、私……足枷か、手枷を着けた方が。それに、この服も……」


 自分の胸元に視線を落とす。

 今着ているのは、屋敷から支給された清潔なメイド服。柔らかな生成りに、品のいいレースが施された、おそらく上等品だ。


「獣人の私が、こんな立派なお洋服なんて……。こんな姿で町に入ったら、ルスさんまで変な目で見られてしまいます……。私のせいで、ご迷惑を……」


 言葉が尻すぼみになる。

 ルスはその横顔に目を細めたが、返事をするより先に、馬車は町の入口へと差し掛かっていた。


「──あっ、ルスさん! こんにちは!」


「おお、ルスさん! 先日はありがとうございました!」


 馬車に気づいた人々が笑顔で駆け寄ってくる。

 市場の女将、畑仕事帰りの親子、年配の職人風の男まで──みな、声を揃えてルスに挨拶を送った。


「どうも、皆様ごきげんよう。お変わりありませんか?」


 ルスは悠然と馬車から降り、一人ひとりに丁寧に応じていく。

 礼を述べる声、暮らしの相談、体調を気遣う言葉、世間話……。

 まるで町全体が、旧友に再会したかのようにあたたかかった。


(……あっという間に人だかりが。ルスさん、町でも頼りにされてるんだ……)


 フィオナもそっと馬車を降り、隅に立ってその光景を見守る。

 けれど──


「ねぇ! あの人、だーれ?」


 少女の明るい声が、広場に響いた。


 声の方を見ると、楽しげな少女がルスの手を引きながら、まっすぐにフィオナを指差していた。


 次の瞬間、周囲の視線が一斉にフィオナへと注がれた。


 恐怖が、背中を冷たく撫でる。


「も、申し訳ございません……!」


 フィオナは思わず、地面に頭を擦り付けていた。

 奴隷として叩き込まれた“街での立ち振る舞い”が、反射のように身体を支配する。


 街中で奴隷が堂々と立つなど、許されない。

 人様と目を合わせるなど、もってのほか──

 そんなことをすれば、鞭が鳴り、怒声が飛ぶ。鉄の檻が、待っている。


 広場を、静寂が包んだ。

 まるで時間が止まったかのような、張り詰めた空気。


 ──その中で、ルスの静かな声が落ちた。


「……フィオナさん。いけませんよ」


 びくん、と肩が跳ねる。


(ごめんなさい。ごめんなさい……!)


 けれど、次の瞬間。

 彼女に触れたのは、鞭などではなかった。

 そっと肩に添えられた、温かな手。


「立ってください。服が汚れてしまいます。それに──落ち着いて周りを見てください」


 思いがけない優しい声に、フィオナは戸惑いながら顔を上げる。


「うわぁ、綺麗なメイドさん!」


 少女がぱっと笑顔を咲かせた。


 その頭には、柔らかそうな獣耳がぴょこんと立ち、尻尾が服の後ろで元気よく揺れていた。


 その子も──獣人だった。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。