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最強魔王、奴隷姉妹を拾うがどう接していいか分からない  作者: アーミー
第二章 夜、部屋に呼ばれるという事
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第16話 ねぇ、ジークさま。つづき……

 部屋に取り残されたフィオナは、しばらくぼう然と立ち尽くしていた。


 胸の鼓動が、耳の奥でうるさいほど鳴っている。


 熱い。

 自分でも驚くほど、顔が熱かった。


 違う。

 今は、そんなことを考えている場合ではない。


 ミオのことを心配しなければならない。

 ミオの代わりに自分がジーク様のお相手を……。


 そうわかっているのに、胸の奥は少しも落ち着いてくれなかった。


 ふらふらと鏡台の前に腰を下ろす。

 薄明かりの中、鏡に映る自分の顔を見た。


 ロッテに教わった通りに梳かした髪。汚れのない頬。きちんと整えられた寝間着。耳も尻尾も、昔のように泥にまみれてはいない。


 奴隷だった頃、自分の容姿など気にしたことは一度もなかった。


 綺麗でいることに意味はなかった。

 目を引くことは、良いことではなかった。


 誰かの機嫌ひとつで、明日がどうなるかわからない場所では、目立たず、逆らわず、息を潜めていることだけが身を守る術だった。


 それなのに。


 今は、ジークに言われた一言だけで、鏡の中の自分から目を逸らせなくなっている。


「な、なに考えてるの、私……」


 フィオナは小さく首を振る。

 頬の熱を追い払うように、両手で顔を覆った。


 疲れている場合じゃない。


 ジーク様に失礼があってはいけない。

 ミオの前で取り乱してもいけない。

 何があっても、自分がしっかりしなければならない。


 そう言い聞かせ、フィオナは立ち上がった。


 服の皺を直し、髪をもう一度梳かす。

 耳の毛並みを整え、尻尾も丁寧に撫でつける。


 指先は震えていた。


 それでも、できる限り落ち着いて見えるように、何度も深呼吸をする。


 そうしてようやく、フィオナは部屋を出た。


 ……夜の屋敷は、昼間とは違う顔をしている。


 廊下に灯る燭台の火が、壁に長い影を落としていた。歩くたびに床板がかすかに軋み、その音さえ妙に大きく聞こえる。


 ジークの部屋が近づく。


 近づくほどに、胸の鼓動が速くなる。


 扉の前で立ち止まると、中からくぐもった声が聞こえた。


 ジークの低い声。

 そして、時折それに混じるミオの小さな声。


「……っ」


 フィオナは息を止めた。


 扉一枚隔てただけなのに、ひどく遠い場所の出来事のように思えた。


 大丈夫。

 大丈夫なはずだ。


 ミオの声は……少なくとも、泣いている声ではない。


 それなのに、フィオナの手は冷たくなっていた。


 覚悟を決めなければ。

 ここで逃げるわけにはいかない。


 フィオナはぎゅっと拳を握り、そっと扉を叩いた。


「入れ」


 ジークの声が返る。


 フィオナは恐る恐る扉を開けた。


 室内は薄暗かった。


 暖炉の火が、赤く静かに揺れている。昼間は書物や魔法の道具で満ちているジークの部屋も、夜にはどこか別の場所のように見えた。


 そして、寝台の上。


 そこに、ジークとミオが並んでいた。


「っ……」


 フィオナの体が強張る。思わず顔を背けてしまいそうになる。

 見てはいけない、と本能が告げている。


 そんなフィオナの気配に気づき、ミオがこちらを見た。


「お姉ちゃんも、いっしょ……はやく……」


 とろんとした、甘い声。

 誘うようなその言葉に、フィオナの顔が赤く染まる。


「ミ、ミオ……」


 だが、次の瞬間。

 ミオは小さな手で口元を押さえた。


「ふぁぁ……」


 可愛らしい欠伸が、ぽろりとこぼれる。


「ミ、ミオっ!? ジークさまの前で、そんな……!」


 こんな場面で欠伸など、本来ならば無礼にもほどがある。奴隷の身であれば、その場で鞭を打たれても仕方がないほどの──。


「うるさい」


 ジークの低い声が飛んできた。

 彼は眉間に皺を寄せ、フィオナを見ている。


「騒ぐな。せっかくミオが眠くなってきたところだ」


「……ね、眠く?」


「そうだ」


 ジークは面倒くさそうに言い、片手に持っていたものを軽く持ち上げた。


 絵本だ。


 大きな挿絵の描かれた、子供向けの分厚い絵本。


 開かれたページには、夜空を飛ぶ小さな竜と、星を抱えた少女の絵が描かれていた。


「……え?」


 フィオナは固まった。


 ジークの枕元には、ほかにも何冊もの絵本が積まれている。


 勇者とお姫様、ドラゴンと財宝、大きな船と荒れる海。

 表紙の絵を見るだけで、どれもミオが好きそうなものばかりだった。


「お姉ちゃん、こっち」


 毛布にくるまったミオが、眠たげな目でフィオナを手招きする。


「お姉ちゃんは、ジークさまのむこうがわ」


「え、えっと……」


 フィオナが戸惑っていると、ジークは深いため息をついた。


「来るなら早く来い。そこで立っていられると邪魔だ」


 そう言って、寝台の端へ体を寄せる。


「まったく、この寝台に二人同時はさすがにキツいぞ」


「……あ」


 フィオナは、ようやく理解した。


『二人同時はキツい』


 それは、そういう意味だったのか。

 ミオひとりならまだしも、フィオナまで一緒に絵本を聞くとなれば、寝台の上はさすがに狭い。ジークはただ、それを言っていただけだった。


 あまりにも当たり前の意味に、フィオナの頬が一気に熱くなる。


「す、すみません……」


「いいから、早くしろ」


「は、はい……」


 フィオナはおずおずと寝台へ近づいた。

 ミオがいるのとは反対側。ジークが空けてくれた場所へ、そっと身を横たえる。


 確かに狭かった。

 少し身じろぎするだけで肩が触れそうになる。布団の端も足りず、フィオナの尻尾は収まりきらずに外へ出てしまった。


 けれど、不思議と嫌ではない。


 すぐ隣にはジークの顔。

 暖炉の光を受けた漆黒の髪が、静かに揺れている。伏せられた睫毛は思いのほか長く、いつも険しく見える目元も、今は少しだけ柔らかく見えた。


 胸がまた、妙な音を立てる。


 慌てて視線を逸らすと、反対側でミオが嬉しそうに毛布を握った。


「ねぇ、ジークさま。つづき……」


「あぁ」


 ジークが改めて絵本を手に取る。


 けれど、フィオナにはまだ確認しなければならないことがあった。

 絵本を持つジークの手元を見つめ、恐る恐る口を開く。


「あの……ジークさま」


「何だ」


「私では、役に立たないとおっしゃっていたのは……」


 ジークの指が、ページの上で止まった。

 彼は一瞬だけ黙り、やがて呆れたように息を吐く。


「ああ。お前は──字が読めないだろう」


「……あ」


 その一言で、すべてがはっきりした。


 お前では無理。


 それは、フィオナに価値がないという意味ではなかった。ミオの代わりになれないという意味でもなかった。


 ただ、絵本を読めないから。


 本当に、それだけだったのだ。


 ジークは、眠れないミオのために絵本の読み聞かせをしてくれていた。

 悪い夢を見ないように。

 夜を、少しでも穏やかに越えられるように。


 ミオが楽しい気持ちのまま眠れるまで、毎晩こうして本を開いてくれていたのだ。


 フィオナの胸に、安堵と恥ずかしさが一度に押し寄せる。


「わ、私……」


 とんでもない勘違いをしていた。

 そう言おうとして、うまく声にならなかった。

 ジークはしばらく黙っていたが、やがて視線を本へ落としたまま、ぼそりと言った。


「……だが、言い方は悪かった」


「え?」


 その声は相変わらずぶっきらぼうだった。

 けれど、不思議と冷たくは聞こえない。


「代わりと言ってはなんだが」


 ジークは少しだけ顔を横へ向ける。


「今度から俺が読み書きを教えてやる」


 フィオナは目を見開いた。


「ジ、ジーク様がですか!?」


「あぁ。お前が嫌でなければ、だか」


「い、いえっ! 嫌だなんて、とんでもありません! その……ありがとうございます!」


 そう答えながら、フィオナは視界が少し滲むのを慌てて毛布の端で隠した。


 ルスさんは、ミオの悪夢をどうにかできないかと、医学書を何冊も調べてくれていた。

 ロッテさんは、眠る前に体が温まる飲み物を作ってくれた。甘い蜂蜜を少しだけ落として、ミオが飲みやすいようにしてくれた。


 そして、興味がなさそうに見えたジーク様も。

 ジーク様なりに考えてくれていたのだ。


『──俺の好きにさせろ』


 あの時の言葉が、ようやく胸の中で形を変える。


 好きにする。

 それは、ミオを傷つけるという意味ではなかった。

 自分のやり方でミオを助けてみせる。


 そういう意味だったのだ。

 そして、その通りミオは悪魔にうなされる事はなくなった。


 やっぱり、この屋敷の人たちは優しい。

 ロッテさんも、ルスさんも。

 そしてジーク様も。

 不器用で、言葉が足りなくて、怖い顔ばかりしているけれど。

 それでも、どうしようもなく優しい。


「……ありがとうございます、ジーク様」


 フィオナは小さく言った。

 ジークは本から目を離さないまま、返事はしなかった。


「ねぇわジークさま……」


 ミオのうっとりとした声がジークの肩越しに聞こえる。


「ああ。わかった」


 ジークは絵本を持ち直した。


「では、小さな竜が星の丘へ向かったところからだな」


 低い声が、静かな部屋に落ちていく。


 昼間に聞くとぶっきらぼうなその声は、夜の暖炉の前では不思議と穏やかに響いた。


 ミオはすぐに目を閉じた。


 それでも、続きを聞き逃すまいとするように、時折小さく頷いている。


 フィオナはその様子を見つめながら、そっと息を吐く。

 そして、二人の邪魔にならないように、ほんの少しだけジークの背に身を寄せた。


 ページをめくる音が、暖炉の火と混じって夜に溶けていく。


 ぶっきらぼうなくせに、どこまでも優しい声。


 それに包まれながら、フィオナもそっと目を細める。


 昨日まであれ程恐ろしかった夜が。

 今はどうしようもなく愛おしい時間に感じる。


 先に寝息を立てたのはミオだったのかフィオナだったのか。

 それはジークだけが知っていた。

 それはジークのみが

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