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最強魔王、奴隷姉妹を拾うがどう接していいか分からない  作者: アーミー
第二章 夜、部屋に呼ばれるという事
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第15話 お前は、随分と美しい方だぞ

 翌朝。


 食堂には、いつもと変わらない朝の光が差し込んでいた。


 焼きたてのパンの香り。

 温かなスープの湯気。

 食器が触れ合う澄んだ音。


 ロッテはいつものように台所で忙しく立ち働き、ルスは食卓を綺麗に磨いている。


 何も変わっていない。


 けれどフィオナの心だけは、昨夜の暗闇に取り残されたままだった。


「フィオナちゃん? そのお皿、向きが逆よ」


「あっ……ご、ごめんなさい」


 ロッテに言われ、フィオナは慌てて皿を置き直す。


 指先が落ち着かなかった。


 スプーンを並べようとして数を間違え、飲み物を注げば量がばらばらになる。パン籠を運ぶ足取りも危うく、何度も自分の裾を踏みかけた。


 昨夜の光景が、頭から離れない。


 ジークの腕の中で眠るミオ。

 穏やかすぎる寝顔。


 そして、あの一言。


 ──明日も借りるぞ。


 その言葉が、胸の奥に冷たい棘のように刺さったままだった。


「フィオナちゃん、顔色が悪いわよ。少し休む?」


「い、いえ。大丈夫です」


 フィオナは曖昧に笑った。


 大丈夫なはずがない。

 けれど、言えるわけがない。


 そうしてフィオナが胸の内を押し殺している一方で、ミオは朝から機嫌がよかった。


「ジークさま」


 小さな足音を立てて、ジークの後ろをちょこちょことついて歩いている。


「ジークさまさ、お姫さまに会ったことある?」


「邪魔だ。ついてくるな」


「王さまは?」


「どうだったかな」


「ドラゴンは?」


「それはある」


「あるの?」


 ミオの目が、きらりと輝いた。

 ジークは面倒そうに眉をひそめる。


「だいぶ昔だ。大した話ではない」


「聞きたい」


「断る」


 そう言いながらも、ジークは本気で追い払う様子を見せない。


 ミオもまた、まったく怯えている様子は無かった。

 それどころか、昨夜よく眠れたせいなのか、頬にはいつもより血色があり、目の下の隈も少し薄くなっている。


 喜ぶべきなのだろう。


 ミオが悪夢にうなされなかったことを。

 朝から笑っていることを。

 ジークのそばを、怖がらずに歩いていることを。


 けれどフィオナの胸は、重く沈んでいくばかりだった。


 これで、本当によかったのだろうか。

 ミオが笑っているなら、それでいいのだろうか。


 昨夜、何があったのかも聞けないまま。

 何も知らないまま。


 やがて、その日の夜が来た。


「──ミオ」


 食後のワインを飲み終えたジークが、当然のように名を呼ぶ。


「今日も夜の支度が済んだら来い」


「はい」


 ミオは少し嬉しそうに頷いた。


 フィオナの指先が、膝の上でぎゅっと丸まる。


『やめてください』


 そう言いたかった。


 けれど、声は出なかった。


 その夜も、ミオはジークの部屋へ向かった。

 そして数刻後。


 眠りこけたミオを、ジークが抱いて戻ってきた。


 フィオナは布団の中から、その姿を見ていた。


 今度は声をかけられなかった。

 目を開けていることを悟られるのが怖くて、寝たふりをした。


 ジークは昨夜と同じように、ミオを丁寧にベッドへ下ろし、毛布をかけ、静かに部屋を出ていく。


 扉が閉まるまで、フィオナは息を止めていた。


 ミオは穏やかに眠っている。

 悪夢にうなされることもない。

 泣き叫ぶこともない。


 それは、確かに救いのはずだった。


 それなのに、フィオナの胸はじわじわと痛んだ。


 どうして。

 どうして、ミオばかりが。


 出来る事ならば、自分がミオの代わりになりたい。

 この身で良ければ、いくらでも差し出すのに。


 けれど──ジーク様は自分を必要とはしてくれない。


 私には……そんな価値がないから。

 そう考えてしまう自分を、フィオナは止められなかった。


 ◇ ◇ ◇


 そんな夜が、数日続いた。


 ミオは毎晩のようにジークの部屋へ呼ばれ、眠ったまま戻ってくる。


 不思議なことに、それからミオの夜泣きはほとんどなくなった。


 けれどフィオナの心は、反対にすり減っていった。


 夜が来るのが怖い。

 ミオが呼ばれる声を聞くたび、胸が潰れそうになる。


 そして、ある晩。


 夜の支度を終え、フィオナが寝室でミオの髪を梳いていたときだった。


 扉が叩かれる。


 フィオナの肩が跳ねた。


「入るぞ」


 低い声。


 返事を待たずに、ジークが部屋へ入ってきた。


 今日は、彼の方からミオを迎えに来たのだ。


 ミオはぱっと顔を上げる。


「ジークさま」


「ああ。支度は済んだか」


「うん」


 その自然なやり取りを見た瞬間、フィオナの中で何かが切れた。


 これ以上は、黙っていられなかった。


「あ、あのっ!」


 布団を跳ねのけるようにして立ち上がる。


 声が裏返った。


 ジークが足を止め、怪訝そうにフィオナを見る。


 その視線だけで膝が震えた。

 それでも、フィオナは引けなかった。


「恐れながら……お願いが、あります」


「何だ」


 短い返事。


 その一言に背中を押されるように、フィオナは両手を胸の前で握りしめた。


「ジークさまのなさることに、私ごときが口を挟むなど、許されないことだとは重々承知しております。ですが……ですが、ミオは、まだ子供です」


 言葉が震える。


 けれど、止まれない。


 ミオが不思議そうにフィオナを見上げている。

 その視線が痛かった。


 この子は、きっとわかっていない。

 フィオナが何を恐れているのかも。


 それでも言わなければならなかった。


「もし……もし、それが、お役目のようなものなら」


 声が、喉の奥でひっかかった。


 吐き出したくない言葉だった。

 けれど、飲み込めばミオを守れない。


「わ、私が……私が代わります。ミオではなく、私をお呼びください」


 部屋が、しんと静まり返る。

 蝋燭の火が揺れる音さえ聞こえそうな沈黙だった。


 ジークは無言でフィオナを見下ろしている。


 その目には、怒りも欲もない。


 ただ純粋に、意味がわからないものを見ているような色があった。


「……何を言っている?」


 やがて、ジークが淡々と問う。


 フィオナは唇を噛みしめた。


 言わせないでほしかった。

 これ以上、言葉にしたくなかった。


 けれど、ジークは続ける。


「お前では無理だ」


「っ……!」


 その一言は、フィオナの胸をまっすぐ刺した。


 無理。


 自分では駄目。

 代わりにもなれない。

 やはり、自分には価値がないのだろうか。


 ミオを守るために差し出せるものすら、自分にはないのだろうか。


 フィオナはうつむいた。


 耳が力なく垂れ、尻尾も床へ落ちる。


「……もちろん、わかっています」


 声は小さかった。


「私のような、見栄えのしない女では……ジークさまのご期待に添えないことくらい」


 自分で言いながら、胸が痛んだ。

 そんな事は……分かっている。


 ミオは幼く、可憐で、守りたくなる姿をしている。


 けれど自分は違う。


 綺麗なメイド服を着せてもらっても、鏡の中の自分はいつもどこか場違いに見えた。


 自分は何を思い上がっているのだろうか。ミオの代わりが務まるだなんて。

 けれど、価値がないなりに、ミオの盾になりたかった。


「ですが、それでも……できる限りのことは……いえ、何でも致します! どうか、ミオだけは……」


「は?」


 ジークの声が、低く落ちた。


 フィオナはびくりと肩を震わせる。


 怒らせてしまった。


 そう思った。


 けれど、ジークの眉間に寄っていたのは怒りではなく、理解できないという困惑だった。


「何の話かは知らんが」


 そして、まるで当たり前といわんばかりにあっさりと告げた。


「お前は、随分と美しい方だぞ」


「……え?」


 時間が、止まった気がした。


 フィオナは顔を上げる。


 ジークは相変わらず無表情だった。


 からかっている様子はない。慰めようとしているわけでもない。特別な感情を込めたようにも見えない。


 ただ、本当に。当たり前の事実を訂正しただけ。

 そんな顔をしていた。


「な、にを……」


 フィオナの思考が追いつかない。


 美しい。

 自分が?


 ジーク様が、そう言った。


 否定しようとしても、その言葉が真正面から胸に入ってくる。


「え……えええええっ!?」


 一拍遅れて、フィオナの顔が一気に熱くなった。


 耳の先まで燃えるように熱い。


 尻尾が勝手に跳ね、慌てて両手で押さえようとするが、今度は視線をどこに置けばいいのかわからなくなる。


 心臓がうるさい。


 嬉しいのか、恥ずかしいのか、怖いのか、もう何もわからない。


 ただ、胸の奥で固く凍っていた何かが、思いがけない方向から叩かれたような気がした。


 その様子を、黙って見ていたミオが、ジークの袖をくいと引いた。


「あのね、ジークさま」


「何だ」


「ミオばっかりだから、お姉ちゃん、さみしいの」


「……は?」


「だから、お姉ちゃんも一緒に。いいでしょ?」


「ちょ、ちょっとミオ!?」


 フィオナは慌てて顔を上げる。

 だがミオは、まったく悪気のない顔で続けた。


「お姉ちゃん、ミオだけ行くと、さみしそう」


「ま、待って、ミオ。それは違うというか、そういう話じゃないというか……!」


 フィオナがしどろもどろになっている間に、ジークは面倒くさそうに頭をかいた。


「一緒に、だと?」


「うん」


「二人同時には、さすがにキツいのだが」


「ち、違います違います違いますっ!」


 フィオナは顔を真っ赤にしたまま、全力で首を振った。


 何が違うのか、自分でもうまく説明できない。


 けれど、とにかく今の言い方は駄目だと思った。


 ジークはますます怪訝そうに眉を寄せる。


「お前が言いだしたんだろう」


「言いましたけど! 言いましたけど、そういう事では……!」


「意味がわからん」


「私も自分で何を言っているのかわかりません!」


 フィオナは半泣きだった。

 ミオはそんな姉の袖を引き、じっと見上げてくる。


「お姉ちゃんも一緒がいいの。ね?」


「え、ええと……」


 ミオの目は、まっすぐだった。


 何の疑いもない。

 その無垢な瞳に見つめられ、フィオナは何も言えなくなる。


 ジークは深いため息をついた。


「……わかった」


 低い声で言う。


「お前も来い」


「えっ」


「何だ。嫌なのか」


「い、嫌ではありません!」


 反射的に答えてしまってから、フィオナは自分の口を呪いたくなった。


 嫌ではない。

 確かに、嫌ではない。


 ミオが心配だし、行けるものなら行きたい。けれど、それはつまり、ジークの部屋に自分も行くということで。


 この数日、ずっと想像しては打ち消してきた場所へ。


 ミオと一緒に。


「た、ただ、その……準備が」


「夜の支度は済んでいるだろう」


「心の準備です!」


「面倒だな」


 ジークは一刀両断した。


 そしてミオの方を見る。


「先に行くぞ」


「うん。お姉ちゃん、あとで来てね」


 ミオは嬉しそうに手を振る。


「では先に行っている。あまり遅くなるなよ」


 ジークはそれだけ言い残し、ミオを連れて部屋を出ていった。


 扉が閉まる。


 取り残されたフィオナは、その場に立ち尽くした。


 顔はまだ熱い。


 耳も尻尾も、自分のものではないみたいに落ち着かない。


 ──お前は、随分と美しい方だぞ。


 先ほどの言葉が、頭の中で何度も響く。


 違う。


 今はそれどころではない。


 ミオのことを考えなければならない。


 部屋へ行かなければならない。


 そうわかっているのに、胸の奥が妙にざわついて、うまく息ができなかった。


「い、一緒って……」


 フィオナは両手で真っ赤な顔を覆う。


「ミオと一緒に……ジーク様のお部屋へ……?」


 考えれば考えるほど、頭の中が真っ白になっていく。


 心の準備なんて、できるはずがなかった。

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