第29話:未来のために
集会所に入り切らない魔族たちは、開け放たれた扉の外まで列を作っていた。
包帯を巻いた男も、眠った子供を抱く女も、疲れた顔を上げて魔王であるネフィリアの言葉を待っている。
夜風が運ぶ灰の匂いを吸い込みながら、俺は壁際の椅子を少しだけ奥へずらした。
できれば、このまま目立たずに済ませたい。
「皆、今後の行き先について相談がある」
ネフィリアは机の前へ立ち、集まった同胞を見渡した。灯りを受けた桃色の髪には、まだ煤が残っている。それでも声は、扉の外まで届いた。
「クオン殿が暮らす空の浮き島、アルカディアへ移る道がある。島の決まりを守り、仕事を担うことを条件に、私たちを受け入れてくれるそうだ」
「空へ……本当に、住めるのですか?」
「住居も食料も用意できると聞いている。地上の軍勢に怯えず、子供たちを眠らせることができるだろう。ただし――」
期待を含んだざわめきへ、ネフィリアは静かに言葉を重ねた。
「先祖代々暮らしてきた、この土地を離れることになる。家も畑も、すべて持っていけるわけではない。地上との往来も簡単ではなくなる。それを承知したうえで、皆の考えを聞きたい」
俯く者がいた。隣に立つ家族の手を握る者もいた。
さっきまでの期待が消えたわけではないのだろうが、窓の向こうの闇へ目をやる姿には、すぐには切り離せないものが滲んでいた。
「私は、移るべきだと思います」
最初に口を開いたのは、幼い子供を抱いた女だった。
「この子が物音のたびに泣いて起きる暮らしは、もう終わりにしたいんです。次に兵士が来たときも助かるなんて、思えません」
「それは分かる。だが、ここには父も祖父も眠っている」
角の片方が欠けた年配の男が、低い声で答えた。
「今日死んだ者も、まだ満足に弔えておらん。生き残った我らだけが空へ逃げて、それでよいのか」
「死んだ者のために、生きている者まで残れと?」
「そんなことは言っておりません! ただ、ようやく畑が実るようになったのです。何もかも捨てろと言われて、そう簡単に頷けません!」
責め合いたいわけではないのに、言葉が尖っていく。女は子供を抱き直し、男は焼け焦げた袖を握り締めた。
俺には、この土地へ残りたい気持ちは分からない。けれど、ようやく手に入れた暮らしを手放したくない気持ちなら、少しは分かった。
「……別に、あとで地上に降りて復興したっていいぞ」
気づけば口を挟んでおり、途端に近くの魔族たちが振り返り、その動きが扉の向こうまで伝わっていく。
余計な注目を集めたと後悔したが、もう遅かった。
「何で全員こっちを見るんだ。ネフィリアに話してるんだけど」
「今の言葉は、全員に関わるからだろう」
「そうだけど、もう少し分散してくれ……」
ネフィリアは困ったように笑ったあと、俺の前へ歩み寄った。
「確認させてくれ。庇護を受けておきながら、後になって島を離れても構わないのか?」
「肌に合わなくて出ていくのは勝手だろ。住む場所を貸すとは言ったけど、一生そこで暮らせとは言ってない」
「だが、住居や食料を与えてもらうのだぞ。その恩も返さずに……」
「恩返しのために、嫌々住まれても困る。そんな顔を毎日見せられたら、俺の方が落ち着かないだろ」
助けてもらったから逆らえない。世話になったから離れられない。そんな理由で人を縛る関係は、考えただけで息が詰まる。人間との付き合いが嫌で空へ引きこもった俺が、わざわざ自分の島に同じものを持ち込む気はなかった。
「すぐに自由に往来できるって意味じゃないぞ。降りるときは相談してもらう。でも、人間が来なくなって、ここで暮らせる見通しが立ったなら、戻って畑を耕せばいい。その時は、援助くらいはするさ」
年配の男が、恐る恐る顔を上げた。
「では、故郷を捨てると決めなくてもよいのですか」
「ああ。今は安全な場所へ移る。それから先は、落ち着いて考えればいいだろ。人間と違って、魔族は寿命が長い。ゆっくり考えればいいさ」
男の唇が僅かに震えた。長く握り締めていた袖から指が離れ、やがて隣の女へ深く頭を下げる。
「……すまなかった。子供を危険に晒したいわけではないのだ」
「分かっています。私も、帰れるものなら帰りたいですから」
二人の声が静まると、周囲でも家族同士の相談が始まった。
墓参りに戻る道まで閉ざされるわけではない。再びここで暮らす可能性も残っている。そのことを確かめるように、魔族たちは言葉を交わし、少しずつ頷いていった。
ネフィリアは急かさずに待ち、最後まで迷っていた者にも声をかけた。
そして、全員の意思を確かめると、俺へ向き直る。
「私たちは、アルカディアへ移る。これが我ら魔族の総意だ」
彼女が頭を下げると、後ろにいた魔族たちもそれに続いた。
何百人分もの感謝を受け止められるほど、俺の器は大きくない。椅子ごと壁の中へ逃げ込みたくなった。
「クオン殿、世話になる話。島の決まりを守り、できる仕事は何でもしよう」
「分かったから、顔を上げてくれ。住むと決まったなら、まず人数と荷物を確認しないとな」
「照れておられますね、ご主人様」
「今は実務の話をしてるんだよ」
エルノアの静かな指摘を聞かなかったことにして、俺は扉の外まで続く人の群れを見た。移住は決まったが、それだけで全員が空へ浮かぶわけではない。
「……とはいえだ。これ、どうやって運ぶんだ?」
「往来はお手伝いすると、先ほど申し上げましたが」
「ヴァルグ、それは分かってる。お前とシルフェリアだけで何往復するつもりだ。子供もいるし、荷物だってあるぞ」
俺が風の魔法でまとめて浮かせる案も頭を過ぎったものの、上空で泣き叫ぶ子供たちを想像して、すぐにやめた。
ヴァルグは俺の懸念を聞くと、口元に余裕のある笑みを浮かべた。
「でしたら、島にいる同胞も呼びましょう。我らを使えばよろしいのです」
「エンシェントドラゴンを集めて、全員で運ぶのか?」
「ええ。人の姿で畑を耕えても、本来の我らは竜です。この人数と荷物を運ぶくらい、造作もございません」
「転落や風への対策は、私どもで対応いたします」
シルフェリアも頷いた。
ネフィリアたちが唖然とする横で、俺はようやく肩の力を抜いた。
「分かった。それなら、残りのエンシェントドラゴンたちにも手伝ってもらおう。無理のない人数に分けて、順番に運んでくれ」
「承知いたしました。長として、責任を持ってお運びいたします」
胸へ手を当てたヴァルグの礼に、魔族たちがざわめいた。
彼らの引っ越しを担当するのは、世界最古で最強種である竜種たち。
そして行き先は、人付き合いが嫌いな俺の家、浮遊城アルカディアである。
どう考えても普通の移住ではないが、こうしてアルカディアへ向かう手段まで決まってしまったのだった。




