第28話:決めるのは俺じゃない
「いや、無理だ。断る」
ようやく動き出した頭が真っ先に求めたのは、この話を終わらせることだった。
長机の向こうでネフィリアが目を瞬かせ、シルフェリアは首を傾げる。
割れた窓から吹き込む夜風に灯りが揺れ、壁へ落ちた彼女の角の影も、不思議そうに傾いた。
「失礼いたしました」
シルフェリアは申し訳なさそうな表情を浮かべながら、頭を下げた。
それを見て、少し申し訳なさを感じる。
「別にシルフェリアを責めているわけじゃない。俺は人と話すのが苦手なんだよ。さっき全員に礼を言われただけで、もう今日の会話は十分だと思ってる」
「そうでしたか。ですが……」
「言いたいことは分かる。反射的に否定しただけだ」
人間が嫌いなのは確かだが、角があれば初対面から気楽に付き合えるほど、俺の性格は便利にできていない。顔色を窺い、言葉を選び、相手の期待に応えようとするだけで疲れる。
助けたいと思ったことと、毎日顔を合わせて暮らせるかどうかは、別の問題だ。
「アルカディアでも、我らとは普通に話されておりますが」
「ヴァルグたちとは何年一緒にいると思ってるんだ。一度に数百人増えたら、顔色を見ないとだろ」
「ご主人様はアルカディアの主で、絶対者。相手の顔色を窺う必要性はございません。ご命令すれば、我らはそれに従うのみです」
「はぁ、相変わらずだな」
「恐縮です」
このメイドは、冗談と本気の境目が分かりにくい。机を挟んだ魔族たちまで笑いを堪えているようで、俺は咳払いをして話を戻した。
「言っとくが、アルカディアに移ったら地上には簡単に降りられない。街へ買い物に行く感覚じゃ出入りできないんだぞ」
「でしたら、往来は我らがお手伝いできます」
「それでも、毎回ヴァルグたちに頼む必要があるだろ? 島は移動してるから、降りたい場所の上空にいるとも限らない。地上に残した知り合いへ会いに行くにも不便だ」
ネフィリアの隣に座る魔族の男が、眉を寄せた。住み慣れた土地との行き来まで、考えてはいなかったのかもしれない。
「商人も来ないし、何か不足しても近所から買ってくるわけにはいかない。住むなら仕事も分担してもらう。畑や設備に勝手なことをされるのも困るし、城内には立ち入りを許可できない場所もある」
俺は「それと」と言葉を続ける。
「魔族の国を再建する場所として貸すわけじゃない。人間との戦争に使う拠点にはさせない」
その言葉には、誰も笑わなかった。
灯りに照らされたネフィリアの顔が引き締まり、机へ置かれた指先に力が籠もる。
俺は視線を逸らしたくなるのを堪え、彼女の返事を待った。
「……私が欲しいのは、民が飢えることなく、安心して眠れる場所。再び戦争をするための場所ではない」
静かな声だった。けれど、力なく諦めている声ではなかった。
窓の外から届く咳や、避難していた者を呼ぶ声へ耳を傾ける彼女を見ていると、それが口先だけの言葉には思えなかった。
俺は軋む椅子へ座り直し、机の上で指を組んだ。
「そもそも、住む場所はどうするんだ。人数分の家が足りるのか?」
「問題ございません」
即答したのはエルノアだった。
「アルカディアの居住区は拡張可能です。未使用の住宅もございますので、まずはそちらを利用し、不足分は区画を広げて整備できます。ゴーレムを増員すれば、農場の作業を止める必要もございません」
「寝る場所さえあればいいって話じゃないぞ。水も食料も、生活用品も必要だ」
「既存の給排水設備を延伸できます。生活用品は各工房で製作可能ですし、食料は現在の備蓄で対応できます。将来的に不足するようであれば、農場を拡張して生産量を増やせばよろしいかと」
「ずいぶん簡単に言うな……」
「ご主人様が、長年かけて設備を整えてくださいましたので。現在のアルカディアは、数百人増えても衣食住に困りません」
文句のつけようがなかった。畑を広げ、工房を動かし、収穫物の使い道に困っていたのは俺である。少し前まで余らせていた食料が、今になって移住計画を後押ししてくるとは思わなかった。
「ご主人様への連絡についても、ネフィリア様に取りまとめていただき、私が窓口になれば負担を抑えられます」
「毎朝、全員に挨拶して回らなくてもいいのか?」
「ご希望でしたら予定に組み込みますが」
「希望してない。絶対に組むなよ? フリじゃないから?」
慌てて念を押すと、ネフィリアが口元へ手を添えた。
どうも俺の懸念は、彼女たちにとって予想外のところにあるらしい。
家も食料も足りる。管理を任せられる相手もいる。俺が挙げた問題は、一つずつ解決策を示されてしまった。
残ったのは、自分の居場所へ大勢が入ってくることへの抵抗だった。
それは簡単には消えない。
誰かを招いて、やっぱり窮屈だから出ていってくれなどと言えるはずもないから、なおさら軽く頷けなかった。
机の向こうへ目を戻すと、ネフィリアはまだ答えを求めずに待っていた。
提案に飛びついて懇願することも、恩人なら最後まで助けろと迫ることもない。その後ろでは、一人の魔族が焼け焦げた袖口を握り締めている。
あの手で、また家を建てるのだろうか。襲われるかもしれない場所を探し、畑を耕し直すのだろうか。
俺は息を吐いて、ネフィリアたち魔族と向き合った。
「……衣食住は提供してやる。しかし、住むなら俺の指示には従ってもらうし、働いてもらう。それが嫌なら他を当たれ」
ネフィリアが目を見開いた。隣の男も、奥に座っていた女も、言葉を失ったように俺を見つめる。ようやく視線に慣れかけていたところへ、また全員分が集まってしまった。
「クオン殿……それは、受け入れても構わないということか?」
「条件を守れるなら、そういう選択肢もあるって話だ。さっき言った不便が消えるわけじゃない。それに、お前が魔王でも、島の管理については俺が決める」
「私も、その例外ではないということだな?」
「ああ。住人同士で揉めたら勝手に武力で解決しない。許可なく外から誰かを連れてこない。そういうことも含めてだ」
ネフィリアはすぐには答えなかった。
紅い瞳が揺れ、やがて周囲に座る同胞たちへと向けられる。その顔に浮かんだ驚きが、少しずつ真剣なものへ変わっていった。
「少しだけ、相談する時間をもらえないか。私一人で全員の暮らしを決めるわけにはいかない」
「分かった。納得しないまま来られても困るからな。俺は待っているからちゃんと話し合ってくれ」
ネフィリアが頷くと、魔族たちは席を立ち、集会所の外にいる同胞を呼びに向かった。
やがて扉の向こうから足音が重なり、事情を聞いた者たちが、不安と戸惑いを顔に浮かべながら机の周りへ集まってくる。
俺は少し離れた壁際へ椅子を移し、話し合いを始める彼らを眺めた。
誰もまだ住むと決めていないのに、アルカディアのいつもの庭が、急に遠く感じられる。
人と話すのが苦手だから断るつもりだったはずだ。
それなのに今、俺は魔族たちの返事を待ちながら、膝の上で落ち着かなく指を組み直していた。




