第27話:予想外の提案
重い沈黙を破ったのは、背後から聞こえた掠れた声だった。
「助かった。ありがとう、クオン殿」
振り返ると、ネフィリアが立っていた。治癒魔法で出血は止まっているものの、桃色の髪も破れた衣服も赤黒く汚れている。立っているのが不思議なくらいの状態なのに、その紅い瞳は真っ直ぐ俺へ向けられていた。
「礼を言われるようなことじゃない。俺は……」
足元には、たった今俺が殺した男の首が転がっている。助けるために必要だったと言い切れない行為をした直後で、素直に感謝を受け取る気にはなれなかった。
「お前がどう思っていようと、私たちは助かった。お前が来なければ、ここにいる同胞も一人残らず殺されていただろう。だから、ありがとう」
「……そうか」
「しかし、なぜ助けに来た? 食料を分けてもらった恩はあるが、私たちは一度会っただけだろう?」
問いかけられ、俺は燃え残った街を見回した。
泣く子供を抱き上げる女。倒れた仲間へ必死に回復魔法を使う兵士。家を失いながら、それでも炎を消そうと水を運ぶ者たち。
一年前、彼らは何もない荒野へ畑を作り、ただ今日を生きようとしていた。
それを知っている俺にとって、無抵抗の相手を嬉々として殺す人間の軍隊より、ずっと理解できる存在だった。
「お前たちの方が、人間よりもよっぽど好感が持てるからだ」
「……ふっ」
ネフィリアの口元から、耐え切れなかったように笑いが漏れた。
「何で笑うんだよ」
「人間のお前から、そんな理由を聞くとは思わなくてな。お前は本当に人間が嫌いなのだな」
「改めて言われると、俺がとんでもなく性格の悪い奴みたいだな」
「違うのか?」
「傷口が開いても治さないぞ」
「それは困る。今のは冗談だ」
笑ったせいで傷が痛んだらしく、ネフィリアは小さく咳き込んだ。エルノアが、なぜか俺へ責めるような視線を向ける。
「俺のせいか?」
「病人ですよ」
「先にからかったのはそっちだろ……」
ほんの僅かだが、張り詰めていた空気が緩んだ。
俺は残された連合軍に向き直る。
「連合軍よ、聞け。武器を捨て、魔族領から速やかに出て行くのであれば、殺しはしない」
残された連合軍の兵士たちは呆然とするも、濃密な魔力を放つヴァルグとシルフェリアに睨まれると、武器を捨て街から我先にと退いていった。二人が一歩前へ出るだけで素直になるなら、最初から話を聞いてほしかった。
兵士たちの姿が見えなくなると、俺は《空間収納》を開いた。黒い亀裂から木箱を幾つも取り出し、石畳へ並べていく。
「ネフィリア、これを治療に使ってくれ」
「これは……回復薬か?」
「上級品が三百本、最上級品が五十本ある。重傷者から順番に飲ませろ。傷が酷い場合は、直接かけても効く」
「さ、最上級回復薬を五十本だと!? かなり高価だぞ」
「そんなにするのか? アルカディアでは定期的に作ってるから、余ってるんだ」
「現在、同等品が倉庫に二千八百四十三本ございます」
エルノアが即座に補足した。
「そんなに作ってたのか?」
「ご主人様が錬金術の鍛錬と称して、毎週増やされましたので」
「作ったあとのことは考えてなかったな……」
「倉庫管理を担当するリリアからも、保管場所を圧迫しているとの報告を受けております」
善意というより在庫整理になってしまった。
「とにかく、遠慮せず使ってくれ。足りなければまだ出す」
「クオン、この恩は必ず――」
「返さなくていいと、前も言ったはずだ。それに、在庫処分だと思ってか使ってくれ」
「ッ! 感謝する」
回復薬が配られると、あちこちから驚きと歓喜の声が上がった。失われた命までは取り戻せない。それでも、死を待つしかなかった者たちの深い傷が塞がり、青ざめた顔へ血色が戻っていく。
「ありがとうございます!」
「クオン様、同胞をお救いいただき、感謝いたします!」
「この恩は一生忘れません!」
治療を受けた魔族たちが、俺へ向かって次々に頭を下げた。
「分かった。分かったから、全員でこっちを見るのはやめてくれ」
数十人分の感謝を浴び、どうしていいか分からず視線を逸らす。顔に熱が集まり、おそらく耳まで赤くなっていた。
敵意を向けられるよりはいい。それでも、大勢から好意を向けられることに慣れているわけではない。逃げる理由がなくなる分、こちらの方が対応に困る。
「そういう顔もするのだな」
ネフィリアが楽しそうに俺を覗き込んだ。
「よしてくれ」
「ふふっ。もっと冷徹で、何を言われても眉一つ動かさない男かと思っていた」
「主は昔から、感謝や称賛を受けることが苦手なのですよ」
ヴァルグまで会話へ加わってくる。
「長く共に暮らしておりますが、褒められると必ず視線を逸らされます。耳が赤くなるところも変わりません」
「ヴァルグ、余計な情報を教えるな」
「事実をお伝えしただけですが?」
「クオン様、今はかなり赤くなっておりますよ」
「シルフェリアまで俺で遊ぶな!」
周囲から小さな笑い声が漏れた。
焼けた街の中で、ほんの短い間だけ、重苦しい空気が薄らいだ。
粗方の治療と消火が終わった頃には、日は完全に沈んでいた。
屋根の残った集会所へ移動し、俺たちは長い机を囲んだ。窓の外には焼け焦げた家々が並び、夜風に灰の匂いが混じっている。
「連合軍がここまでやって来るとは思わなかった」
ネフィリアが沈んだ声で口を開く。
「今回は退けられた。だが、いずれさらに大きな戦力が送られてくる。この場所は、もう人間たちに知られてしまった」
「また襲われる可能性が高いということか」
「ああ。せっかく復興を始めたばかりだが、別の場所を探さなければならない」
ネフィリアは拳を握り、唇を噛んだ。魔族たちの顔にも、深い疲労と諦めが浮かぶ。痩せた土地を耕し、ようやく得た居場所を、再び捨てなければならない。その悔しさは俺にも想像できた。
「どこに行くつもりだ?」
「魔王様、人間の国から離れた北方は、作物どころか草木も育ちません」
「南へ向かえば、連合の監視網にかかります」
重苦しい意見が続く中、シルフェリアがそっと片手を上げた。
「クオン様。一つ、よろしいでしょうか?」
「何か案があるのか?」
「はい」
彼女は笑みを浮かべ、俺がまったく予想していなかった言葉を口にした。
「魔族の皆様を、アルカディアに住まわせてはいかがでしょうか?」
「…………」
この場にいる全員の視線が、一斉に俺へ集まる。
数百人の新たな住民。毎朝交わされる挨拶。増え続ける相談。避けることのできない集団生活。
想像した瞬間、俺の思考は完全に停止した。




