第25話:連合軍の襲来Ⅰ
俺の声が、血と煙の匂いに満ちた広場へ落ちた。
直前まで響いていた剣戟も怒号も、不自然なほどぴたりと止まっている。長剣を振り下ろした姿勢のまま固まった男。見えない重圧に押さえつけられ、膝をつく周囲の兵士たち。傷ついた魔族たちまでが息を呑み、突然空から降りてきた俺を見つめていた。
人間と魔族、合わせて何千人分かの視線が一斉に突き刺さる。
ああ、帰りたい。
さっきまでの怒りが消えたわけではない。それでも、この人数に注目されるくらいなら、一人でドラゴン三体と戦う方がまだ気楽だった。
ドラゴンは少なくとも、俺の発言にいちいち意味を探したりしない。
「ク、オン……?」
背後から、掠れた声がした。
振り返ると、ネフィリアが地面へ片膝をついたまま、信じられないものを見るように俺を見上げている。桃色の髪は血と土で固まり、頬にも深い傷が走っていた。
一年前には強がりながらも真っ直ぐ立っていた少女が、今は呼吸をすることさえ苦しそうだった。
「立たなくていい。そのまま休んでろ」
「でも、どうして……」
「説明はあとだ。人前で長話をするのは苦手だ」
「この状況で気にするところ、それなの……?」
瀕死に近いはずのネフィリアにまで呆れられた。
俺の後ろへ降り立ったエルノアが、すぐに彼女の傍らへ膝をつく。白い光が傷口を包み、乱れていた呼吸が少しずつ落ち着いていった。それを確認してから、俺は正面へ向き直る。
「き、貴様……何者だ?」
長剣を握った男が、首だけをどうにか動かして俺を睨んでいた。金色の装飾が施された鎧も、得意げに整えていたらしい髪も、今は泥と返り血に汚れている。
「見たところ、人間のようだが……何のつもりだ!」
「何者かと聞かれれば、できれば名乗らず帰りたいくらいには、ただの部外者だよ」
「部外者だと?」
「ああ。だから事情を聞きたい。人間と魔族の戦争は、すでに終わったはずだ。それなのに、どうして街を焼き、魔族を殺す?」
俺が指差した先では、修復されたばかりの家が燃えていた。赤い炎が屋根を舐め、黒煙が空を覆っている。畑からも火の粉が舞い、実り始めていた麦が乾いた音を立てて崩れていく。
男はそれを横目で見ると、悪びれるどころか、口元へ薄い笑みを浮かべた。
「なぜ、だと? 決まっている。魔族は悪だからだ」
「……それだけか?」
「それ以外に理由が必要か? 奴らは人類へ仇なす穢れた種族だ。魔王が敗れたというのに、こうして巣を作り、数を増やしている。放置すれば、いずれ再び牙を剥くに決まっているだろう。ゆえに根絶やしにする。これは人類の安寧のための、正しき浄化だ!」
迷いのない声だった。
命令されたからでも、土地や食料を奪うためでもない。目の前の男は本気で、自分が正しいことをしていると信じている。
それが何より薄気味悪かった。
「子供も、戦う力のない者もいるだろ」
「魔族の子は、育てば魔族になる」
「当たり前のことを、ものすごく賢そうに言うんじゃねぇよ……」
思わず口から漏れたが、男には皮肉と伝わらなかったらしい。むしろ、俺の顔を改めて観察すると、何かに気づいたように目を見開いた。
「待て。貴様には角もなく、耳も人間のもの……やはり同胞ではないか! 魔族の術に惑わされているのだな? ならば、その無礼は不問にしてやる。早くこの拘束を解け!」
どうしてそうなる。
同じ姿をしているだけで、勝手に仲間として扱われるのは困る。人類という巨大な集団へ加入した覚えもなければ、今後入会する予定もない。
「嫌だが?」
「……何?」
「拘束は解かない。少なくとも、話が終わるまではな」
「貴様、自分が何をしているのか分かっているのか! 魔王を庇い、人類の正義を妨げるなど……裏切りだ! この人類の裏切り者め!」
男の顔が怒りで赤く染まり、唾を飛ばさんばかりに叫ぶ。後方の兵士たちからも、戸惑いと敵意のざわめきが広がった。
――裏切り者。
ずいぶん勝手な言い分だ。こちらは最初から味方になったことなどないのに、見た目が人間というだけで所属先を決められてはたまらない。
「やっぱり、人間が好きになれないな……」
「まったくです。相変わらずだな、人間どもは。昔から何一つ変わらぬ」
俺の独り言へ、空から低い声が重なった。
見上げるより早く、二つの気配が広場へ降り立つ。風が円を描いて吹き抜け、煙と灰を押し退けた。その中心に立っていたのは、人の姿へ戻ったヴァルグとシルフェリアだった。
灰色の髪を後ろへ流したヴァルグの額には、黒く湾曲した二本の角。銀髪を揺らすシルフェリアにも、白銀の細い角が伸びている。二人の瞳には、普段アルカディアで見せる穏やかさなど欠片もなかった。
「クオン様。もはや話し合う価値もございません」
ヴァルグが、金色の目で連合軍を見渡す。
「ご許可を。この場の人間どもは、私が一人残らず焼き払いましょう」
「私もお手伝いいたします」
シルフェリアは微笑んでいた。けれど、その周囲では漏れ出した魔力に空気が軋み、焼けた石畳へ細い亀裂が走っている。
「クオン様が見守られていた者たちを傷つけた報いです。灰も残す必要はないかと」
数千の兵士がどよめいた。拘束された男も、二人の角を見るなり顔を引きつらせる。
「ま、魔族の増援だと!? 貴様らも魔王の配下、魔将か⁉」
その一言で、ヴァルグの眉が跳ねた。
「……今、我らを魔族と呼んだか?」
「長よ。聞き違いではありません。この者、我らエンシェントドラゴンを魔族と同一視したようです」
シルフェリアの笑みが、さらに深くなる。
まずい。二人は魔族を嫌っているわけではない。ただ、世界最古の竜種としての誇りが高すぎる。角があるから同じ、という雑な分類は、彼らにとって真正面から鱗を逆撫でするのと同じだった。
「誰が魔族だ、人間」
ヴァルグの背後で、山を覆うほど巨大な竜の幻影が揺らめいた。
「クオン様。先ほどのお願いを訂正いたします」
シルフェリアの青い瞳が、冷たい光を帯びる。
「この無礼者だけは、私に焼かせていただけませんか?」
「いや、お前たちの角を見たら間違えるのも無理は――」
二人の視線が同時に俺へ向いた。
余計な擁護だったらしい。
竜の殺気に大地が震え、連合軍の兵士たちが恐怖に顔を青くする。このままでは、俺が止めた虐殺が、実行役を変えて再開されるだけだ。
人間は苦手だ。目の前の男に腹が立っているのも事実だ。
だが、嫌いだから殺していいという理屈を認めたら、この男と何も変わらない。
「二人とも、待て」
俺は荒れ狂う二つの魔力の間へ立ち、静かに手を上げた。
「おい。俺の許可なく、暴れるのか?」




