第18話:初の地上Ⅰ
気配を追って進んだ先には、半ば崩れた大きな広場があった。
中央には翼を広げた石像の残骸が横たわり、石畳の割れ目から伸びた雑草が、乾いた風に擦れている。周囲の建物はどれも黒く焼け、窓の奥には光の届かない闇が澱んでいた。
気配は、そこで途切れた。
「隠れたか?」
「いいえ。こちらを包囲するように移動しております」
エルノアが静かに答えた、次の瞬間だった。
「動くな!」
鋭い声とともに、頭上から何かが降ってくる。俺たちの足元へ突き刺さったのは、刃先の欠けた一本の槍だった。
瓦礫の陰、崩れた屋根の上、路地へ通じる細い道。潜んでいた者たちが一斉に姿を現し、俺たちを取り囲んだ。
十数人ほどいるだろうか。
外見は人間に近いが、全員の頭には二本の角が生えている。真っ直ぐ上へ伸びた角、後方へ湾曲した角、獣のように捻れた角。形はそれぞれ異なり、髪の間から覗く耳は短く尖っていた。
鎧は傷だらけで、身体に合わないものを紐で無理やり固定している者もいる。
手にした剣や槍も手入れが行き届いておらず、何度も戦場を潜り抜けてきたことが伝わってきた。
その目に浮かんでいるのは、明確な敵意。
けれど、それ以上に強いのは、追い詰められた者だけが持つ恐怖だった。
「武器を捨てろ、人間! 抵抗すれば殺す!」
正面に立つ魔族の男が剣を突きつけてくる。
おそらく、この集団の隊長だろう。黒髪の左右から太い角が伸び、片方の先端は半ばで折れていた。頬には傷が走り、俺たちを見る赤褐色の瞳が殺気立っている。
「どうして人間が魔族領の奥にいる! 何者だ!」
「何者と言われても……」
困った。
初めて会った魔族へ、自分をどう説明すればいいのか考えていなかった。
空に浮かぶ島で二十二年ほど引きこもっていました、と正直に答えたところで、理解してもらえる気がしない。
視線を向けても、エルノアは俺の判断を待っている。ヴァルグに至っては、いつでも全員を吹き飛ばす気満々だ。
「……か、観光に来た」
苦し紛れに出た言葉へ、広場が静まり返った。
「……観光、だと?」
「ああ。初めて地上へ降りたから、この辺りを見て回っていたんだ」
「そんな嘘が通用すると思うか!」
「俺も言ってから無理があると思う」
廃墟になった敵国の街へ、男二人とメイドで観光に来る。
客観的に考えれば怪しさしかない。旅行先の選択から自己紹介まで、初めての地上観光は失敗が多すぎた。
魔族たちが武器を構え直す。張り詰めた殺気を受けて、ヴァルグが俺の隣へ半歩出た。
「クオン様。燃やしますか?」
「軽い調子で物騒な提案をするんじゃねぇ。駄目に決まってるだろ」
「では、地面へ埋める程度に留めましょう」
「アウトだわ。話し合うから待て」
ヴァルグを片手で制し、俺は隊長らしい男へ向き直った。
武器を向けられるのは落ち着かないが、大勢から愛想笑いを求められるよりは対応しやすい。敵意が正直なぶん、腹の探り合いをしなくて済む。
「こちらは本当に戦うつもりはない。ただ魔族領を見に来ただけだ。人間の国へ行かなかったのは、俺が人間を苦手としているからで――」
「人間のくせに、人間が苦手だと?」
「自覚はある。俺だって好きでこうなったわけじゃない」
「ふざけるな!」
男の怒声が、壊れた街並みに響いた。彼は剣の切っ先を俺の胸へ定め、憎悪に顔を歪める。
「まさか貴様ら、魔王様が生きていることを知っていたのか! 魔王様を捜し出し、今度こそ殺すために来たのだな!」
「……え?」
思わず間の抜けた声が出た。
「魔王、生きてるのか?」
「しらばっくれるな!」
「いや、本当に知らないんだ! 俺たちは魔王城が陥落して、魔王も討伐されたらしいとしか聞いてないぞ!」
そもそも、ローザの報告も「討伐されたかと」という推測だった。
死体まで確認したとは言っていない。
まさか、人間側が勝利を宣言した裏で魔王が生き延びていたとは思わなかった。
てか、勇者が魔王城に凸って陥落したのだから、普通は死んだと思うだろ!
地上へ降りた初日に、世界中が探していそうな秘密を聞かされるとは、運がいいのか悪いのか分からない。
「秘密を聞かせて大丈夫なのか?」
「貴様が誘導したのだろう!」
「勝手に喋ったのはそっちだよな?」
男の背後にいる魔族たちが、何とも言えない顔で目を逸らす。
どうやら彼らも、隊長が余計なことを口走ったとは思っているらしい。
「隊長、もう殺すしかありません!」
「こいつらを魔王様のもとへ近づけるな!」
「やっぱり、そこに結論が行くのか……」
話し合い失敗だろ、これ。
俺は人間が嫌いで魔族領を選んだだけなのに、なぜ種族を変えても初対面から命を狙われなければならないのか。人付き合いが苦手なのは俺の性格ではなく、世界の方にも原因がある気がしてきた。
「かかれ!」
隊長の号令とともに、魔族たちが一斉に地面を蹴った。
「エルノア、ヴァルグ。間違っても殺すなよ!」
「承知いたしました」
「ご命令とあらば」
三本の槍が俺へ迫り、後方から赤い火球が飛んでくるので、俺は空気の壁で火球を上空へ逸らすと、槍の穂先を指先で横へ弾いた。金属が甲高い音を立て、握っていた三人の腕ごと大きく跳ね上がる。
「なっ……!」
「危ないから、それは預かるぞ」
風を操って武器だけを巻き上げ、そのまま離れた瓦礫の山へ突き刺す。
続けて石畳へ魔力を流すと、地面から伸びた土の帯が魔族たちの足首へ絡みつき、一人、また一人とその場へ転がした。
背後ではエルノアが最小限の動きで剣を躱し、相手の手首や肩を打って昏倒させている。
ヴァルグは五人がかりで斬りかかられながら、欠伸でもしそうな顔で全員の武器を素手で握り潰していた。
「ば、化け物どもめ……!」
「うーん。納得いかないが、甘んじて今は受け入れよう」
最後まで立っていた隊長が、雄叫びとともに斬りかかってくる。
俺は刃を二本の指で挟んで止め、そのまま剣を捻り取った。空いた手を男の胸へ添え、衝撃だけを調整した風を放つ。男の身体が数メートルほど後方へ飛び、積み上がった布袋の中へ埋もれた。
広場へ静寂が戻る。
倒れた魔族たちは呻いているが、全員生きている。怪我も打撲程度だろう。
「だから、戦う気はないって言ったのに……」
「それだけの力を見せておいて、よく言える」
不意に澄んだ少女の声が響き、俺たちは同時に顔を向ける。
崩れた建物の暗がりから、一人の少女がゆっくりと姿を現した。
腰まで流れる鮮やかな桃色の髪。そこから覗く二本の白い角と、短く尖った耳。荒廃した街には似つかわしくないほど整った顔立ちをした、美しい魔族の少女だった。




