15話:神様のやらかし判明
異世界へやって来てから、十年が経った。
十年という響きだけなら、途方もなく長い。けれど、畑へ種を蒔き、収穫した作物を食べ、魔法や剣の鍛錬をしているうちに、季節は驚くほど静かに積み重なっていった。
アルカディアでの生活には通勤も納期も、気を遣う人間関係もない。前世なら胃を痛めながら過ごしていた時間が、ここでは穏やかな風のように流れていく。
そんな十年目の朝、俺は自室の鏡の前で、ある重大な事実へ気づいた。
「……変わってないな」
鏡の中にいるのは、異世界へ来た頃と変わらない姿の俺だった。
身体を鍛えたぶん体格は良くなったが、顔立ちそのものは十年前から時間を止めたように変化していなかった。
「ご主人様、どうかなさいましたか?」
朝の紅茶を運んできたエルノアが、鏡を睨む俺へ不思議そうに声をかける。
「エルノア。俺、十年前と比べて老けたと思うか?」
「いいえ。外見上の変化は確認できません」
「少しくらい考えてから答えてくれない?」
「過去のご主人様のお姿は記憶しております。鍛えた事で、体格は以前に比べてよくなりました」
エルノアはカップを卓上へ置いて近くに控え、言葉を続けた。
「肉体年齢にも変化がございません。細胞の劣化や老化反応も確認できません」
「やっぱりか……」
その言葉を聞いた瞬間、十年前の記憶が頭の奥から浮かび上がった。
何もない白い空間。俺を異世界へ送り出した神様。そして最後の瞬間、何かやらかしたように漏らした声。
『あっ』
あのときは聞き返す間もなく転移させられたため、深く考えないようにしていた。
だが、十年経っても老けていないとなれば、思い当たる原因は一つしかない。
「神様の、あの『あっ』だ……」
「お心当たりが?」
「異世界へ送られる直前、神様が何かやらかしたみたいな声を出したんだ。たぶん祝福か身体の設定を間違えたんだろうな」
「結果として、ご主人様は不老の肉体を得た可能性が高いと?」
「ああ。ふざけるなって言いたいわ……!」
怒鳴り込めるものなら今からでも神様のところへ行きたかった。もっとも、神様の居場所も連絡方法も知らない。苦情を伝える窓口くらい用意してから転生させてほしい。
「不老であることに、不都合がございますか?」
「普通の人間と同じように年を取るつもりだったから、心の準備がない。いつまで生きるか分からないって、結構怖いぞ」
「私どもにとっては、喜ばしいことかと存じます」
エルノアの静かな言葉に、俺は鏡から彼女へ視線を移した。
「ホムンクルスの寿命は、人間より遥かに長く設計されております。魔力核や肉体の整備を行うことで、さらに延長することも可能です。ご主人様が通常の人間と同じ寿命であれば、私どもを残して先に亡くなられることになります」
「それは……そうか」
エルノアだけではない。ローザたちも、リザもレイも、見た目は出会った頃から変わっていない。竜族のヴァルグレイオンたちに至っては、何百年どころか、それ以上を生きることも珍しくないらしい。
もし俺だけが老いて、数十年後に死んだなら、彼女たちを残していくことになる。
ミモザが泣く姿や、エルノアが誰も座らない主の席を守り続ける光景を想像すると、胸の奥が重く沈んだ。
「俺だけ先に死ぬのは、申し訳ないな……」
「はい。ですので、可能な限り長くお側で仕えさせていただけたら幸いです」
エルノアの目元が、ほんの少しだけ柔らかくなる。その表情を見れば、不老も悪いことばかりではないと思えた。
何より、アルカディアでの生活は快適だ。
朝は好きな時間に目を覚まし、美味しい食事と紅茶を楽しみ、気が向けば畑や工房を見て回る。疲れれば本を読み、誰にも愛想笑いをせずに眠れる。
住人は増えたが、全員が俺の性格を理解しており、無理に会話や集まりへ引っ張り出すこともない。
「この生活が続くなら、長生きするのも悪くないか」
「ご決断が早くて何よりでございます」
「ただし、神様へ文句を言いたい気持ちは消えてないからな」
「苦情の受付先が判明しましたら、お知らせいたします」
「そんな施設までアルカディアに生えないよな?」
あり得ないと言い切れないのが、この城の怖いところだった。
それから数日後、地上へ狩りと周辺調査に降りていたエンシェントドラゴンが、予定より早くアルカディアへ戻ってきた。
人の姿へ変わった彼は居住区へ寄ることもなく、まっすぐ城へ来ると、農場にいた俺へ深く頭を下げた。
「クオン様。地上で妙なものを見ました」
「妙なもの?」
「大規模な戦です。人間の軍勢と魔族の軍勢が、平原を埋め尽くすほど集まって争っていました」
「人間と魔族が……」
前日に見たという場所を聞き、俺は城の観測塔へ向かった。
エルノアとローザに地上の座標を割り出してもらい、遠見の魔法を構築する。すると、空中へ円形の水鏡が現れ、揺れる表面へ遥か地上の光景が映し出された。
最初に見えたのは、黒い煙だった。
焼けた砦と崩れた城壁の間で、無数の兵士がぶつかり合っている。人間側には王国ごとに異なる旗が並び、白銀の鎧を着た騎士や弓兵、杖を掲げる魔法師たちが陣形を組んでいた。
対する魔族側には、黒い鎧に身を包んだ兵士などが並び、空を埋めるほどの攻撃魔法を放っている。
炎が走り、雷が落ち、大地が裂ける。
逃げ惑う人々の声までは届かないのに、争いの激しさだけは映像越しでも十分に伝わってきた。
「ずいぶん大きな戦いだな」
「何日も続いているようです。周辺の村々からは住民が逃げ出していました」
「理由は分かるか?」
「詳しくはわかりません。人間は魔王軍と呼び、魔族は人間どもの侵略だと叫んでいました」
「互いに自分たちが正しいって言ってるわけか……てか、魔王軍と人間、異世界だなぁ……」
それ以上、見続ける気にはなれなかった。
俺は遠見の魔法を解除し、水鏡に映る炎と兵士たちを消す。静かな観測塔へ戻ると、窓の外にはいつもと変わらない青空と雲海が広がっていた。
剣と魔法があり、ドラゴンが空を飛ぶ世界。それでも、争いまで前世と変わらないらしい。
「世界が変わっても、結局は戦争をするのか……」
俺は誰に聞かせるでもなく呟き、呆れたように息を吐いたのだった。




