第14話:とある会議にて
一方その頃。
クオンがアルカディアで穏やかな暮らしを築き、ホムンクルスや竜族たちと日々を重ねていた間、地上の国々では一つの奇妙な噂が、時間をかけて静かに広がり始めていた。
最初の目撃情報が寄せられたのは、すでに数年前のことである。
山間の村で羊を追っていた少年が、雲の上に黒い大地を見たと訴えた。別の国では、長距離を移動していた商隊が、夕焼けの空を横切る巨大な影を目撃した。沖合へ出た漁師たちもまた、雲より遥か高い場所に、島が浮かんでいたと証言している。
「雲を島と見間違えただけだろう」
「酒に酔っていたのではないか?」
「空に大地が浮かぶなど、古い御伽噺ではあるまいし」
当初、各国の役人たちはまともに取り合うことはしなかった。
目撃者の身分も場所もばらばらで、証言にも細かな違いがある。島を覆う森を見たという者もいれば、白い城壁や塔を見たという者もいた。巨大な鳥の群れが飛んでいたと語る者まで現れ、噂は酒場で語られる怪談と同じ扱いを受けていた。
しかし、同じような報告は途切れなかった。
ある年には大陸の東端で目撃され、その半年後には数千キロメートル離れた西方諸国の上空へ姿を現す。星の位置から高度を計算した宮廷魔法師は、その島が通常の飛行魔獣では到達できない遥か上空に浮かびながら、一定の場所へ留まることなく移動していると結論づけた。
各国が保有する記録を照合すると、さらに不可解な事実が浮かび上がった。
島は大陸や海を区別せず、ときに何年もかけて世界を巡るように漂っている。季節風に流されているわけでもなく、目撃地点を線で結べば、何らかの意志を持って進路を選んでいるようにすら見えた。
「もし本当に人工物なら、古代文明の遺産ではないか」
「島を丸ごと浮かせる魔力など、現在の魔法技術では到底再現できぬ」
「所有者が存在するなら、何を目的に世界を巡っている?」
噂はやがて、各国の宮廷や軍部が無視できない謎へ変わっていった。
さらに数年が経過すると、報告の内容に新たな要素が加わる。
それは、浮島の周辺を複数の巨大なドラゴンが飛んでいたという目撃証言である。
遠見の魔法で偶然その姿を捉えた魔法師は、記録用の水晶へ残された映像を見て青ざめた。雲より高い空を悠然と飛ぶ巨体。岩山を思わせる鱗と、ひと振りで雲を引き裂く翼。その特徴は、文献にのみ存在すると考えられていたエンシェントドラゴンと一致していた。
「一匹ではありません。少なくとも十匹……いえ、雲の中にまだ影があります」
「エンシェントドラゴンの群れだと? そのようなものが国土へ降りれば、都市どころか、国が一日かからずに滅びるぞ」
「浮島は、竜族の巣なのではないか……?」
各国の警戒は一気に高まったけれども、空に浮かぶ島の正体を直接確かめることはできなかった。飛行魔法は高度が上がるほど消費する魔力が増し、宮廷魔法師でさえ雲海を越える前に限界を迎える。飛竜騎士団を派遣した国もあったが、浮島の高度まで上昇できず、遠くから影を見上げるだけで帰還した。
たとえ接近手段を用意できたとしても、島そのものが移動している。
出発の準備を整えている間に目撃地点から姿を消し、追跡魔法も濃密な魔力と何らかの結界に阻まれて途切れてしまう。広大な空から、絶えず移動する島を探し出すことは、海へ落とした一枚の銀貨を見つけるより難しかった。
結局、諸国が出した結論は、監視を続けながら情報を集めることだった。
各地の冒険者ギルドや教会、天文台へ通達が送られ、浮島を発見した者には高額な報奨金が約束された。同時に、正体が明らかになるまで不用意に攻撃せず、接触を試みないよう厳命された。
未知の浮島と、そこに住んでいるだろうエンシェントドラゴン。脅威である可能性は高いが、地上へ攻撃を仕掛けてきた記録は一度もない。刺激する方が危険だという判断で、珍しく各国の意見は一致していた。
しかし、人類諸国が抱えていた問題は、それだけではなかった。
大陸中央部の中立地帯に建つ白亜の会議宮殿。その最奥にある円卓の間には、王国、帝国、聖王国、魔導国をはじめとする人間の国々から、王族や将軍、教会の高位聖職者が集められていた。天井近くまで伸びる窓は分厚い幕で閉ざされ、扉の外には各国の近衛兵が厳重な警戒態勢を敷いている。
その円卓の中央に広げられた大陸地図には、北方を中心として無数の赤い駒が置かれていた。
「魔王軍によって、北の国境砦が三つ陥落した」
「魔族の領域は日々拡大し、このままでは冬を迎える前に周辺の都市、国まで呑み込まれるぞ」
「我が国だけで支えられる戦線ではない。今こそ、各国が兵を出すべきだ」
北方王国の代表が疲れ切った声で訴える。
しかし、帝国の将軍は険しい表情のまま腕を組んだ。
「兵を動かすことに異論はない。だが、通常の軍勢だけで魔王を討てると思うのか? 過去の記録では、魔王を守護する強力な魔族も確認されている」
「何を恐れている。そのための勇者ではないか」
聖王国の教皇が静かに告げると、円卓を囲む者たちの視線が一斉に集まった。
「神託によって選ばれ、聖剣に認められた勇者であれば、魔王を滅ぼすことができる。各国の軍は魔王軍を押さえ、勇者とその仲間を魔王のもとへ送り届けるのだ」
「件の勇者はまだ若いと聞いている」
「若くとも、すでに数々の試練を越えている。何より、他に魔王を完全に討つ手段はない」
長い議論が続いた。兵の数、補給路、指揮権、国境を越える際の権限。普段なら数日を費やしても決まらない問題だったが、魔王軍は今この瞬間にも人間の領域を侵食している。互いの思惑をぶつけ合う時間は、残されていなかった。
やがて、円卓の議長が立ち上がった。
「決を採る。各国は連合軍を編成し、北方戦線を支援する。そして――勇者一行を、魔王討伐へ向かわせる」
一人、また一人と代表者たちの手が上がる。反対を示す者はいなかった。
決議が成立すると、円卓の間を閉ざしていた重い扉が静かに開いた。
白い外套をまとい、腰へ聖剣を下げた若き勇者が歩み入り、各国の代表者たちの前で片膝をつく。その顔には緊張が滲んでいたが、伏せられた瞳に迷いはなく、力強さが宿っていた。
「勇者よ。人類の希望として、魔王を討て」
「この命に代えても、必ず」
こうして地上では、人類の未来を懸けた魔王討伐が動き始める。
その遥か上空を漂う島が、やがて彼らの運命と交わることになるとは、この場にいる誰一人として知る由もなかった。




