第9話:リザとレイ
「甘いです、主様!」
鋭い声と同時に、赤い影が芝を蹴った。
訓練場の地面が小さく弾け、次の瞬間にはリザの木剣が俺の喉元へ迫っている。
身体を反らして刃先を躱して横から打ち込もうとしたが、その前に足を払われ、視界が反転して背中から柔らかな芝生へ落ちる。
「ぐっ……今の、剣より蹴りの方が速くなかったか?」
「戦いの最中に、剣しか来ないと思う方が悪いのです。主様、相変わらず素直すぎます!」
「戦闘中くらい、相手にも誠実であってほしいんだけどな」
「それで相手が手加減してくれるなら、私も賛成いたしますよ」
勝ち気な笑みを浮かべたリザが、倒れた俺へ手を差し出す。
高い位置で束ねられた赤髪が風に揺れ、琥珀色の瞳は次の打ち合いを待ちきれないように輝いていた。
俺が武術の鍛錬を始めてから、さらに二年。
アルカディアで暮らし始めて、五年の月日が経っていた。
畑で種を蒔き、収穫を迎え、果樹が新しい枝を伸ばす。その繰り返しの中では、二年など驚くほど早く過ぎてしまう。
その二年が、何事もなく過ぎたわけではない。
四年目の初めには、ワイバーンよりも大きなドラゴンのようなものが空の彼方から襲来した。
黒の鱗を持つ、ワイバーンよりも一回り大きく、吐き出した炎で外周結界を赤く染めた姿は、今でもよく覚えている。
結界の外へ出た途端、焼けつく風が頬を叩き、咆哮が腹の底まで揺らした。
正直、足が竦まなかったわけではない。ただ、相手の敵意が分かりやすい。愛想笑いの裏を読んだり、会話の間を気にしたりする必要がないぶん、知らない人間に囲まれるよりは対処しやすかった。
結局、俺の実力向上のために戦い、風魔法で翼を切り裂き、雷撃で魔石を撃ち抜いた。
一撃とはいかなかったものの、傷を負わずに倒せたのだから上出来だろう。
回収した巨大な魔石、鱗、骨、血液は、武具や魔道具だけでなく、新たなホムンクルスの素材にもなった。
「さらなる強敵に備えて戦闘要員の増強を提案いたします」
「また増えるのか……」
「ご主人様に戦闘を任せる方が、危険かと存じます」
「正論を使えば、俺が人付き合いを受け入れると思わないでくれよ?」
「では、却下なさいますか?」
「……作ってください」
人は苦手だが、死ぬのはもっと困る。そうして誕生したのが、近接戦闘へ特化したリザと、魔法戦闘へ特化したレイだった。
リザは目覚めた直後から好戦的で、訓練用の武器を見るだけで楽しそうに笑った。
彼女に教わるようになってから、俺の鍛錬は基礎の素振りだけでは済まなくなり、ときには警戒域で見つけたワイバーンをアルカディアの演習区画へ引き入れ、実戦練習まで行っている。
「主様、本日はワイバーンを二体確保しました!」
「一体でいいと言ったよな?」
「一体では物足りないかと思いまして!」
「誰にとって?」
「私にとってです!」
「俺の練習じゃなかったのか……?」
一方のレイは、青みを帯びた長い黒髪と淡い水色の瞳を持ち、リザとは正反対にいつも冷静だった。魔法の構築から魔力制御まで細かく教えてくれるのだが、口数が少ないぶん言葉が容赦なく突き刺さる。
「ご主人様。魔力を込めすぎ」
「でも、威力は出たぞ?」
「訓練用の標的だけでなく、その後ろの防壁まで消滅した」
「……次は少し抑えるよ」
「前回も同じこと言った」
「エルノアと同じようなことを言わないでくれよ」
「事実を述べただけ」
リザに地面へ転がされ、レイに魔力の無駄を指摘され、たまに本物の魔物を相手にする。
穏やかなスローライフを望んだはずなのに、気づけば妙に実戦的な日々になっていた。それでも訓練が終われば畑を眺め、本を読み、好きな時間に眠れる。知らない人間と会う必要がない以上、俺にとっては十分に平穏だった。
そんなある日、俺はいつも働いてくれているホムンクルスたちを労うため、緊急の仕事以外を休みにした。
ガーデンエリアの東屋へ長い卓を出し、焼き菓子や果物、淹れたての紅茶を並べる。
ローザは穏やかに果物を切り分け、カミリアは自作の菓子について熱心に説明していた。
リリアは花の図鑑を読みながら静かに耳を傾け、ダリアとヴィオラは盤上遊戯で駒の置き方を巡って言い争っている。アイリスは二人の勝敗を予想し、外れるたびに首を傾げていた。休むことが苦手なリザは焼き菓子を片手に落ち着きなく脚を揺らし、レイは周囲の騒ぎなど存在しないような顔で紅茶を味わっている。
「ヴィオラ、それは反則よ」
「規則には触れていないわ。ダリアの確認が甘かっただけ」
「屁理屈!」
「負けそうな者は、よくその言葉を使うわね」
「二人とも、休みの日まで喧嘩するなよ……」
十人もの女性に囲まれていると考えれば、本来の俺なら部屋へ逃げ込みたくなる状況だ。
けれど、彼女たちの笑い声や言い合いは、五年を過ごすうちに日常の音になっていた。
忠実なだけではない。好みも癖もあり、得意なことも苦手なことも違う。俺にとって彼女たちは、いつの間にか自分で作った人造生命ではなく、この城でともに暮らす家族になっていた。
「あるじさま、もうすこし、です」
膝の上に座ったミモザが、俺の手へ頭を押しつけてくる。
柔らかな髪をゆっくり撫でると、彼女は目を細め、満足そうに身体を預けてきた。
「ミモザは本当に撫でられるのが好きだな」
「あるじさまの手、あったかい、です」
「そうか。なら、もう少しだけな」
「はい、です!」
そこへ、防衛管理の確認を終えたエルノアが戻ってきた。
彼女はいつも通り落ち着いた足取りで俺の隣へ立ち、空になりかけていたティーカップへ紅茶を注ぐ。その所作は優雅で、表情にも焦りはない。
「ご主人様、警戒域に複数のドラゴンが侵入いたしました」
「ドラゴン? ワイバーンじゃなくてか?」
ワイバーンとドラゴンの違いがいまいち理解できない。
そもそも、ドラゴンなんて異世界に来て初めてだし、強さの指標もわからない。
「危険度はSS。ワイバーンよりも危険度は遥かに高いです」
危険度SSなんて初めてだ。今の俺が倒せるかも不明。
アルカディアにいれば強いからといっても、俺には戦闘経験がほとんどないし、魔法もまだまだ勉強中だ。
「自動防衛で倒せると思うか?」
俺の問いに、エルノアは肯定した。
「可能です。ですが、第三段階まで行う必要があるかと」
第三段階なんて、始めてなので威力は不明。
「どうするか……」
「主様、私の出番ですか⁉」
椅子から勢いよく立ち上がったリザが、待っていましたとばかりに目を輝かせる。
その向かいでは、レイが眉一つ動かさず、カップを口元へ運んだ。
「防衛システムでいい」
安全を考えるなら、レイの意見が正しい。
だが、複数のドラゴンが同時に現れるのは初めてであり、素材も訓練の機会も捨てがたい。
期待に満ちたリザの視線と、冷静なレイの視線が同時に俺へ向けられる。
俺はミモザの頭を撫でたまま、静かに考え込んだ。




