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幼馴染が100周目過ぎる。  作者: 牧惣一郎


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1/13

幼馴染が残した未来

レオン・アーヴェルが死んで413年。

その日。世界は、増えすぎた。


――大陸北端。

昨日まで海だった場所に町があった。

中央に鐘楼を備えた小さな教会があり、その裏には苔むした墓地まであった。

戸籍上、128人が暮らしているはず。

300年分の納税記録がある。出生届も婚姻証明も。

漁獲量をめぐって隣村と争った裁判記録も残っていた。


だが、家の中に人はいない。

炉には火を使った煤が付き、食器には細かな傷がある。誰かが生きていた痕跡だけが昨日の海底へ整然と置かれていた。


調査員が井戸へ石を落とした。

水音の代わりに遠い波の音が返った。


南方砂漠では同じ街が2つになった。

東側の街は100年前の戦争によって城跡が崩れ、半分が砂に埋もれている。

西側の街はその戦争を一度も経験していない。城壁は完全な形で残り、市場では香辛料と布が売られていた。

どちらの街にも同じ名前の家族がいた。

そのどちらもが自分たちこそ本物だと主張した。


記録を照合した観測官は、どちらかを偽者と決めることはできなかった。

記録も、記憶も。両方が本物だった。




――大陸中央部。世界共同観測院。

壁一面の観測盤が北から順に赤に変わる。星図の上では昨日と今日がずれ、地図には存在しなかった街道が伸び、死亡記録のある人間から通信晶が届いていた。

「北端第三点、因果重複率9%を超えました!」

「南方二都市、同一歴史として接続を開始!」

「世界核の保持領域、残り2.1%です!」

円形の観測室を76の警報音が埋め尽くしていた。


黒髪、灰色の瞳の男が袖口で額の汗を拭い、中央卓へ両手を置いた。


カイル・アーヴェル。39歳。

歴史あるアーヴェル家の19代目であり、特定の国家や共同体に属さない独立機関【世界共同観測院】の対復元部門を預かる実務責任者。


「最高観測官は」

「世界核との直接照合中です」

「セレスティア様からの返答は」

「まだありません」


その時、すべての警報が一度だけ止まった。

その静寂の中で、地面の底から鐘のような音が響いた。




観測院の窓からは中央平原が見える。

そこには472年前から一本の白い塔が立っている。

窓も扉もなく、誰の呼びかけにも答えない塔。


昔の人々は、この塔には世界を終焉をもたらす終焉王がいると思っていた。

王国の斥候も、帝国の調査団も聖都の神官でさえも塔の主と会うことはできなかった。後世の歴史書は

その沈黙を都合よく物語へ変えた。

《勇者セレスティアは終焉王を打ち滅ぼし、世界の未来を取り戻した》

半分は正しい。もう半分はまるで違う。


「復元塔、起動」

誰かがつぶやいた。


《分岐率 許容値超過》

《自由選択構造 維持不能》

《深層復元機構 起動》

観測室の床に黒い文字が浮かんだ。


白い塔の表面に亀裂が走った。

あらゆる世界線で存在し得た塔が一つの場所へ押し込まれていく。

塔は太く、高くなる。


塔の起動と同時に世界各地の古い観測点から白い線が立ち上がった。


413年前。

アルト・アーヴェルという27歳の青年が地図と戸籍にだけ存在する村の報告を受けた。

そこから彼が提案したのは異常を見つけた者が国や種族を変えて同じ机へ記録を置くための小さな共同機構だった。

それは何度も名前を変えた。戦争で二度分裂し、予算不足で閉鎖され、異常など存在しないと断じる政権から観測具を没収されたこともある。


それでも、別の誰かが作り直した。

今では76の基幹観測点と数千の地方観測所が世界に点在している。

76という数は世界連盟の前身となる協議体が初めて大陸規模へ広がった時の参加地域数だった。

その観測点と中央平原の間から物理的な距離の制約が消えた。

それは472年前に当時の廃観測所から偉大な5人を塔へ運んだものと同じ因果回廊だった。




セレスティアは北西の山中にいた。

地図にない橋が一晩だけ現れたという報告を確かめ、橋の中央で向こう岸を見ていた。

川の反対側には春と冬が同時にあった。

若葉の上に雪が降り、雪の下でセミが鳴いている。

腰に下げているの通信晶が赤く光った。

《中央平原。復元塔起動》

短い文字列の後に発信者の名が出る。

《エルディア》

セレスティアは橋から降りた。400年以上を生きても姿は17歳のまま。銀色の髪を旅用の革ひもで束ね、長く使った外套を羽織っている。

腰にはあるのは聖剣。ではない。

王都で授与を断ったまま、結局一度も受け取らなかった。

今の剣が何代目かはもう覚えていない。名のある鍛冶師が打った丈夫な剣ではあったが神器でも世界を救うための鍵でもない。

セレスティアは雪と若葉の間へ伸びてきた白い線に一歩踏み出した。

その一歩で中央平原の風が銀髪を押し返した。



塔の周囲には、すでに人が集まり始めていた。

76の回廊は街道の代わりにはならない。通れる人数にも、運べる重量にも限界がある。

各国が全軍を3日で移動させたわけではなかった。

人間諸国の工兵と術師。

魔族諸領の火線隊。

獣人自治領の救護隊。

森人評議会の地脈師。

竜族の飛行部隊。

神殿諸派の星辰観測官。

各地が自分たちの判断で必要な部隊を選び、回廊へ送り込んでいる。

一つの軍旗の下に集まった軍ではない。

命令系統も、使う言葉も、戦い方も違う。

それでも全員が、黒くなった塔を見ていた。

誰かに集められたのではない。

413年かけて作られた連絡網が、世界自身をここへ運んでいた。


「セレスティア様!」

カイルが駆け寄ってくる。

濃紺の観測服の上から軽い防護鎧を着け、胸には《アーヴェル家の紋章》銀色の麦穂が一本だけ縫われていた。

セレスティアは知っている。カイルはたしかにアーヴェル家の者だが、レオンの血筋ではない。

黒い髪も眉間にシワを寄せる癖も遠い祖先から受け継いだものではない。


それでも時々、どうしようもなく似て見える。


家族とは、そういうものなのかもしれない。

「状況は?」

「世界核の保持領域が限界を超えました。最悪の場合、復元開始まで3日です」

「3日もある?」

「最高観測官はもっと短い可能性もあると」

「そっか」

カイルが手にした黒い記録版に視線を落とす。

「もう一つ報告があります」

「何?」

「塔の起動に伴い、封印指定されていた初期記録が自動開示されました」

カイルは言いにくそうに唇を湿らせる。

「歴史書で《終焉王》と呼ばれる存在の真名は、――エルディア。終焉王エルディアです」

「違うよ」

「え?」

「あの子はこっち」

セレスティアはカイルの背後を指差した。


振り返る。

黒い髪。

白い瞳。

世界を一つの未来へ固定していた頃から変わらない姿。

そこに、世界共同観測院最高観測官エルディアが立っていた。

彼女が400年以上同じ姿でいることは公に知られている。

だが、終焉王と同一存在であることは長い間、緊急時だけ開示される記録に封じられていた。

初期の人々が知れば復讐のために破壊しようとしたかもしれない。

反対に未来を教える神として利用しようとしたかもしれない。

エルディア自身が望んだ封印ではない。

最初の議会で彼女をどう扱えばよいか決められず、次代へ判断を送った結果だった。

400年を経てその判断も今の人々へ戻ってきた。


カイルは記録板とエルディアの顔を交互に見た。

「では、あなたが」

『はい』

「終焉王・・?」

『その名で呼ばれていた管理端末です』

「なぜ、今まで」

『その説明をあなたが理解するまでに7時間31分を要します』

エルディアが塔を見る。

『現在の残り時間を考慮し、後回しにすることを推奨します』

カイルは口を閉じた。

「後でちゃんと聞いてね」

セレスティアが言う。

「私は途中で寝るから」

『セラ。それではレオンと同じです』

「一緒にしないで」

413年経っても二人の間にその名は昔と同じように普通に落ちた。


「それで?世界が消えるの?」

セレスティアが聞く。

『今回は、正確には異なります』

エルディアが手のひらを上に向ける。

空中へ無数の光景が開いた。

昨日まで海だった町。

二つに分かれた砂漠都市。

同じ子供を自分の子だと覚える三組の夫婦。

選ばれなかった可能性が消えず、現在へ押し出されている。

『世界が、増えすぎます』

昔、エルディアは未来を削った。

争いの少ない未来。

文明が長く続く未来。

因果の枝が少ない未来。

一つだけを正史に指定し、それ以外を復元前の記録へ戻した。

レオンはその仕組みに怒った。

《知らない奴が勝手に決めるな》

だから6人は世界核の保持領域を三倍に広げ正史指定を解除した。

世界は自由になった。

その代わり、有限であることまでは変わらなかった。


自由になった世界は正しくはならなかった。

戦争は起きた。

飢饉も差別も失政もあった。

人間と魔族は再び国境で殺し合い、竜族は空域協定を破棄し、世界連盟は一度、加盟地域の半分を失った。

それでも、失敗した者たちは選び直した。

壊れた協定を作り直し、追放した相手へもう一度使者を送り、自分たちが正しいと信じて始めた戦争を自分たちの手で終わらせた。

正史機構は選ばれなかった未来まで保持した。選択のたびに枝が増えた。

100年後、地図にない道が現れた。

182年後、一人の老婆を二つの家族が娘だと記憶した。

300年後、同じ会議について正反対の議事録が残った。

観測院は、そのたびに局所的な重なりをほどいた。

だが、消したわけではない。

世界核の奥で、可能性は増え続けた。

そして413年後。

三倍にした余白も、とうとう尽きた。



塔の上空へ、黒い文字が並ぶ。

《自由選択構造 維持不能》

《全現行世界線 破棄》

《最終安定記録へ復元》

カイルの顔から血の気が引いた。

「最終安定記録とは」

エルディアは、すぐには答えなかった。

白い瞳が、セレスティアへ向く。

『第102試行。勇者接続直前の記録です』


それはセレスティア17歳の春。アルカ村。

天命鑑定の日。

102回目までレオン・アーヴェルはいなかった。

第103世界でだけ。17年分の過去とともに現れた。

正史機構に登録されていない人間。

復元されれば、今の世界は始まらない。

世界連盟も、人魔の共存も。

ガレスも、ミラも、アルトも。

カイルも。

レオンが生きた59年も、その死後に続いた413年も。

すべてがなかったことになる。

そうして残るのは103回の記憶を持つ104回目のセレスティアだけ。


「それが一番安全なの?」

セレスティアは塔を見たまま聞いた。

『構造の保存という目的に限れば、はい』

「昔のあなたなら」

エルディアを見る。

「合理的だって言った」

『はい』

「今は?」

白い瞳が閉じる。

400年以上。

エルディアは世界を観測した。

市場の騒音。焼きすぎたパン。

結論の出ない会議。

約束を破る王。約束を結び直す子ども。

効率の悪い祭り。

雨で中止になった戦争。

敵の葬儀へ花を持って行った兵士。


すべて、かつての彼女なら誤差か非効率と判断したものだった。


『私は復元に反対します』


昔は役割でも確率でもない答えを求められ、言葉を返せなかった。

今なら答えられる。




『この世界が、好きだから』




沈黙の後、近くにいた魔族の将が小さく笑った。

その将の軍旗には黒い月と小さな炎が描かれていた。

231年前。英雄像を爆破したリゼットという魔族の少女が作った共同調査団。

その紋章が、何度も形を変えながら残っている。

「いいじゃないか」


復元を受け入れるか、現在を守るか。

各地の代表へ同じ問いが送られた。


答えは全会一致ではなかった。

安全な基準へ戻るべきだという地域もあった。塔を利用して失った家族を取り戻したいと訴える者もいた。

議論は割れた。それでも、限られた時間の中で採決が行われた。


現在を守る。

賛成51

反対19

棄権6


賛成しなかった部隊を責めるものは誰もいなかった。

彼らにも、自分で選ぶ権利があった。

共同作戦への参加も、それぞれが改めて決めた。





「号令を」

カイルがセレスティアへ言った。

「私が?」

「勇者ですから」

「そういうの嫌い」

「知っています」

「じゃあ、あなたが」

カイルは76の回廊を見た。

向こう側にはそれぞれの指揮官たちがいる。

通信晶を取る。


「これは、勇者だけの戦いではありません」

声が各地へ運ばれる。

「始祖の遺志を守る戦いでもない」

セレスティアの口元が、少しだけ緩んだ。

「レオン・アーヴェルは、四百十三年前に死にました」

軍旗が風を受ける。

「これは、我々の世界です」

「だから」

カイルが、自分の言葉で続けた。

「我々が戦いましょう」




作戦の中心は、76の基幹観測点だった。

各地の地下には、世界核拡張に使われた技術を受け継ぐ《局所因果係留器》が設置されている。

神晶石。

竜碑。

魔族諸領の印式。

人間の術式。

森人の地脈標。

形も原理も違う装置を、世界共同観測院が百年以上かけて接続してきた。

未来を一つへ固定する装置ではない。

その土地に生きる者が、自分たちの昨日と今日を観測し、《ここに続いている》と世界核へ返すための杭だった。

普段は同時起動できない。

すべてをつなげれば、別の正史を作る危険があるからだ。

今回は一度だけ。

深層復元機構が世界を102周目へ引き戻す瞬間に、76の現在を同時に係留する。

一つの正史を選ばない。

ただ、互いの現在を食い合わせない。

理論上の成功率は、13%だった。

「低くない?」

セレスティアが言う。

『はい』

「あなた、もっと良い数字作れないの」

『数値は作るものではありません』

「400年経っても、そういうとこ変わらない」

『変える必要を認識していません』

エルディアが作戦図を閉じる。

『私が世界核との接続を維持し、復元命令を遅延させます』

「どれくらい」

『最大で4分17秒』

「短い」

『塔内部では、時間の順序が一定ではありません。あなたにはより長く感じられる可能性があります』

「嫌な言い方」

『事実です』

カイルが別の図を開く。

「塔から出現する世界核防衛体は各部隊が阻止します。私は係留器の起動時刻を調整します。セレスティア様は――」

「中に入る」

「はい」

「結局、私が一番雑な役」

『最適です』

四百七十二年前と同じように、セレスティアは黒い塔へ向き直った。

あの時は、隣にレオンがいた。

今はいない。

代わりに、背後には彼を知らない世界がいた。




塔の壁に、扉はない。

セレスティアが柄へ手を掛ける。

472年前。

剣で破らなければ開かなかった扉は、103回目だけ、レオンが3度叩くと開いた。

セレスティアは拳を上げた。

3度。

黒い壁を叩く。

何も起きない。

「やっぱり、あいつじゃないと駄目?」

少し腹が立った。

4度目は、剣の柄で殴った。

壁が縦に裂ける。

『認証方法が乱暴です』

エルディアの声が通信具から届く。

「開いたからいいでしょ」

入口の向こうは白かった。

黒いのは、外から見た時だけだった。

セレスティアは剣を抜く。

「行ってくる」

返事は一つではなかった。

カイル。

エルディア。

各地の指揮官。

観測員。

知らない声が重なった。

《行ってらっしゃい》

セレスティアは、少しだけ笑った。



一歩、中へ入る。

床も、壁も、天井も白い。

だが、以前とは違う。

廊下が七つへ分かれ、その一つ一つがさらに無数へ枝分かれしている。同じ場所を異なる方向から見た景色が重なり、右へ進んだ自分と左へ進んだ自分の足音が同時に聞こえた。

塔が広いのではない。

選ばれなかった内部構造まで、現在へ押し出されている。

正面の空間から、白い人型が現れた。

顔はない。

腕の先が刃へ変わる。

《世界核防衛体》

472年前、竜脈の中で戦ったものと同じ外殻だった。

一体。

十体。

百体。

後ろの廊下からも、壁の中からも、存在し得た防衛体があふれ出す。

《復元阻害因子》

《勇者接続者》

《除去》

「名前くらい覚えてよ」

セレスティアが床を蹴った。

最初の一振りで、十二体の復元索が切れた。

白い外殻は傷つけない。

壁の奥にある竜脈にも触れない。

首、肩、腰、足首。

それぞれへつながる細い光の糸だけを、一つの円の中で断つ。

防衛体が崩れた時には、セレスティアは次の群れの中央へいた。

刃が四方から迫る。

身体を半歩沈め、一枚目を頬の横へ流す。二枚目の腕を柄で跳ね上げ、三枚目の胸を足場にして空中へ出る。

銀色の髪が弧を描いた。

二十七本の復元索が、同時に切れる。

102回、世界の終わりと戦った。

400年以上、戦う必要のない日にも剣を握った。

強さだけなら、昔から世界で一番だった。

今は、壊してはいけないものを残したまま斬ることを知っている。

白い外殻が雨のように床へ落ちた。


塔の外でも、戦いが始まった。

黒い壁から防衛体が押し出される。

一万では足りない。

倒すたびに、選ばれなかった未来から同じ形が補われる。

人間の工兵隊が半円形の防壁を組み、魔族の火線隊が復元索だけを焼いた。

竜族は上空へ広がる黒い裂け目を翼で塞ぐ。吐息で焼き尽くせば回廊まで壊れるため、炎の幅を一本ずつ絞った。

獣人の救護隊は戦線の間を走り、負傷者を回廊へ運ぶ。

森人の地脈師が、踏み荒らされた地面へ両手を置いた。

塔に奪われかけた土地の位置を、木の根と地下水の流れでつなぎ直す。

神殿の観測官たちは祈らなかった。

祈る先から答えは来ない。

自分たちで星の位置を測り、空がどの昨日へ属するのか記録した。

誰か一人が欠けても、全体は止まらない。

だが、誰か一人だけでは絶対に届かなかった。


カイルの前に、七十六の灯りが並ぶ。

東部第一点、起動準備完了。

北方第六点、地脈接続。

竜谷基幹点、応答。

西部第三点、出力不足。

数字と声が同時に流れ込む。

「同時起動まで、あと九分」

『復元命令の遅延開始まで待ってください』

エルディアは中央の観測台へ両手を置いていた。

白い光が腕を伝い、黒い髪の根元まで伸びている。

かつて管理端末だった彼女だけが、深層復元機構へ直接触れられる。

同時に、機構側も彼女へ触れられる。

「負荷は」

『許容範囲です』

「本当に?」

『質問を継続しても数値は変わりません』

カイルは、四百年以上生きた観測者が嘘をつくようになったことを、この時初めて知った。


塔の中で、セレスティアは上へ進んでいた。

階段を登っているわけではない。

扉を一つ越えるたび、世界核の管理層へ近づく。

二つ目の扉の向こうには、滅びなかった王都があった。

三つ目には、魔族だけが暮らす大陸。

四つ目には、竜族が空を閉ざした未来。

どれも一歩入れば本物になる。

道の端で、知らない子供が手を振った。

別の道では、102回目に死んだ騎士が生きていた。

セレスティアは足を止めない。

偽物だからではない。

そこにも、存在し得た生活がある。

だからこそ、自分一人が選んではいけなかった。

すべての扉を閉じる。

今の世界へ続く一本だけを、自分で歩いた。


背後で、復元された防衛体が立ち上がる。

復元索を切っても、塔そのものが別の枝から新しい個体を呼び続ける。

セレスティアは振り返った。

白い群れが廊下を埋めている。

「多い」

通信具からエルディアの声が返る。

『正確な数を報告しますか』

「いらない」

『レオンは尋ねました』

「あいつ、そういう時だけ細かいから」

『回答前に走りました』

「じゃあ同じ」

セレスティアは剣を低く構えた。

正面から全部を倒せば間に合わない。

天井ではなく、廊下が成立している境界を見る。

七本の細い光。

世界核へつながる復元索ではない。

この廊下を現在へ固定している《選択索》だった。

切れば、防衛体ごと別の可能性へ戻る。

ただし一本でも順番を間違えれば、自分の道まで消える。

「エルディア」

『見えています』

「順番」

七つの番号が返る。

セレスティアは、迷わず斬った。

廊下が折り畳まれ、白い群れが音もなく遠ざかった。

一人では見つけられない道だった。

二人なら、進めた。


最深部の手前で、剣に亀裂が入った。

神器ではない。

何百年も使える剣でもない。

防衛体の刃を受け続けた鋼は役目を終えようとしていた。

セレスティアは刃を見た。

「あと少し」

剣へ言ったのか。

自分へ言ったのか。

もういない誰かへ言ったのか。

分からない。

最後の扉には取っ手も境界もなかった。

白い壁の中央へ手を置く。

指先から102回の死が読み取られていく。

《勇者接続者 認証》

《記憶保持 確認》

《復元承認権限 付与》

壁が消えた。

その向こうに、世界核はなかった。

正確には世界核そのものではない。

海の入口と竜脈の先にある核へ、塔が重ねた管理面だった。

無数の昨日と明日が、黒、白、青の球体となって回っている。

その前に、一人の少年が立っていた。



「セラ!」

黒い髪。

眠そうな目。

使い古した革靴。

安物の剣。

声まで同じ。


セレスティアの足が止まる。


剣術適性、中。

魔術適性、低。

神聖加護、なし。

天命、なし。


413年。

一度も忘れなかった声。

忘れたと思った日にも、誰かの笑い方や、焦げたパンの匂いの中から戻ってきた声。


「遅い!」

少年が笑う。

「ごめん。寝坊した」

背後に、アルカ村の春が広がった。

鑑定の鐘。

若草の匂い。

村を出る時に一度だけ振り返った屋根。

103回目の旅立ちの日が、何一つ欠けずに再現されている。


空中へ文字が現れた。

《復元を承認した場合》

《未登録因果個体 再生成可能》

《記憶保持者の観測記録を使用》

未登録因果個体。

レオン・アーヴェル。

102周目まで、どこにもいなかった少年。

正史機構は、彼を最後の安定記録から復元することはできない。

代わりに、セレスティアの記憶と、第103世界に残った因果記録から、同じ形を作ると言っている。

同じ顔。

同じ声。

同じ記憶。

それが同じ人間である保証は、どこにもない。

それでも。

少年が手を伸ばした。

「行こうぜ」

ずっと欲しかった言葉だった。

もう一度だけ、聞きたかった声だった。



――塔の外。

76の灯りのうち75が青へ変わった。

「西部第三点、まだです!」

観測員が叫ぶ。

通信には雑音しかない。

係留器が置かれているのはかつてリゼットが共同調査団を作った町だった。

100年以上前に工房は閉じたが爆薬と観測具を扱った技師たちの組合だけが残っている。

「予備部品を回廊へ」

「間に合いません!」

カイルが別の回線を開く。

「現地、聞こえるか!」

やがて、老人の怒鳴り声が返った。

《うるさい! 今、直してる!》

「残り六分です!」

《六分もあるなら黙ってろ!》

背後で金属を叩く音がした。

《始祖リゼットの装置は、蹴れば動く!》

「本人が作った装置ではありません!」

《知ってる!》

回線が切れた。

カイルは頭を抱えた。

セレスティアがいれば、少し笑ったかもしれない。



エルディアの腕に亀裂が入った。

白い光が皮膚の下から漏れる。

《管理端末エルディア》

《現行権限 失効》

《旧管理権限へ復帰せよ》

深層復元機構の命令が観測台を通して流れ込む。

未来を選べ。

不要な枝を消せ。

世界を安定させろ。

それはかつての彼女の役割だった。

『拒否します』

《命令違反》

《未登録感情 検出》

《異常端末 排除》

亀裂が肩まで伸びる。

カイルが身体を支えた。

「接続を切ってください!」

『切れば復元が開始されます』

「このままではあなたが」

『非効率です』

「何が!」

エルディアは、支えられている自分の腕を見た。

『心配することが』

白い瞳が、ほんの少し細くなる。

『ありがとう』



――塔の中。

セレスティアは、差し出された手を見ていた。

触れれば、戻れる。

17歳の春へ。

今度こそ、レオンを失わない方法を探せるかもしれない。

病気になる前に治す。

老いる前に人格を壊さない延命方法を見つける。

結婚する相手も、引き取る子供も、未来に起きる戦争も、全部知っている。

上手くできる。今度なら。

その考えが浮かんだ瞬間、セレスティアは自分の中に102回目までの癖がまだ残っていることを知った。

失敗したら、次で直す。

失ったら、失わない未来を作る。

けれど、レオンは攻略すべき失敗ではなかった。

彼は17歳だけではない。

20歳で二人の子を引き取り、25歳でマリエルと結婚し、会議から逃げ、芋を掘り、白髪になった。

76歳まで生きた。

怖いと言いながら、最後まで自分の人生を使い切った。

17歳へ戻すことは、その人生を救うことではない。

なかったことにすることだった。


遠くから、カイルの声が届く。

《セレスティア様!》

塔の中と外では時間の流れがずれている。

途切れ、歪みながらも、声は今へ届いた。

セレスティアは振り返らない。

それでも、見えた。

413年。

レオンのいない世界。

レオンがいたから始まり、レオンが死んだから自分たちのものになった世界。

ガレス。

ミラ。

アルト。

像を壊したリゼット。

英雄の言葉を歴史から下ろしたノア。

それに反対し、それでも採決の後は新しい憲章を守ったエドワード。

カイル。

名前を覚えきれなかった人たち。

一度も会わなかった人たち。

失敗して、喧嘩して、選び直して、ここまで来た。

誰一人、セレスティアの記憶の中だけにいる存在ではない。



少年はまだ手を伸ばしている。

本物にしか見えなかった。

だからこそ、残酷だった。

セレスティアは、ゆっくり首を振る。

「いらない」

少年の笑顔が止まった。

《理由を》

声だけが、正史機構のものへ戻る。

セレスティアは少し笑った。

「私が会いたいレオンは」

思い浮かべたのは、黒髪の少年ではない。

白髪で。

皺だらけで。

咳をして。

最後まで口が悪かった老人。

「もう、ちゃんと死んだから」

少年の姿が揺れた。

アルカ村の春が、白い砂のように崩れていく。



《復元を拒否した場合》

《現世界 消滅確率》

《87%》

「高いね」

《復元承認を推奨》

「でも」

セレスティアは、残った剣を構えた。

「そっちを選んだら今の世界は100%消える」

正史機構は答えない。

構造が残ることと、そこに生きる者が残ることを、同じ保存として扱っている。

「だったら、低い方はこっち」

《非合理》

「あなたたちの合理はもう聞いた」

刃の先を世界核の管理面へ向ける。

壊すのは世界核ではない。

無数の光の中心にある一本の黒い軸。

すべてを一つの正史へ引き戻す、深層復元命令の経路。

「だから」

銀色の髪が、崩れる春の風に揺れた。

「この世界を消させない」




西部第三点から通信が戻った。

《動いたぞ!》

老人の声の後ろで、何人もの歓声が上がる。

76番目の灯りが、赤から青へ変わった。

カイルが時刻盤を見る。

「全基幹点、接続」

その言葉を待っていた各地の観測官が係留器へ手を置いた。

装置だけでは足りない。

何を現在として残すのか、土地ごとの記録が必要だった。

北端の漁師が昨日まで海だった場所を海と証言する。

砂漠の二つの街では、互いを偽物と呼ぶ代わりに両方の住民名簿を並べた。

国境の町では、人間と魔族が同じ水路を修理した日を読み上げる。

竜の谷では、古い竜碑の横へ若い竜が自分の名を刻んだ。

正しい歴史を一つ選ぶためではない。

今ここで誰が何を覚えているのか。

互いの記憶が異なることまで含めて現在として返す。

76の光が大地の下でつながり始めた。



《復元開始まで》

《零》

空の文字が変わる。

《全現行世界線 切断》

《第百二試行記録 展開》

世界が、一度だけ止まった。

舞い上がった土が空中で静止する。

振り下ろされた剣も、竜の翼も、負傷者へ伸ばされた手も動かない。


カイルだけがゆっくり瞬きをした。

観測台へ接続しているエルディアを支える彼もまた、復元の時間から半歩だけ外れていた。

「エルディア!」

『遅延を開始します』


白い瞳が、強く光る。

『深層復元機構へ、停止を要求』

《要求権限 失効》

『現行世界観測者として、再要求』

《観測者に決定権限なし》

『承知しています』


エルディアの頬へ亀裂が走った。

『ですから、決めるのは私ではありません』


76の光が、一斉に脈打った。




止まった時間の中で、係留器だけが各地の声を運ぶ。

《北方第一点。現在を保持》

《帝都基幹点。現在を保持》

《聖都基幹点。現在を保持》

《竜谷基幹点。現在を保持》

同じ言葉の後に違う理由が続いた。

子供が明日学校へ行くから。

敵国と結んだ条約をまだ守り切っていないから。

今年の麦を収穫していないから。

謝らなければならない相手がいるから。

理由の中には格調も統一もなかった。

世界を救うにしては小さすぎる願いばかりだった。


だから、エルディアはそのすべてを世界核へ送った。


かつては誤差として捨てた、一人ずつの現在を。



塔の外で時間が再び動き始めた。

防衛体の群れが係留器へ向きを変える。

現在を支える76の点が復元を阻む新しい標的として認識された。

「各隊、係留点を防衛!」


北側では人間の盾兵が陣形を縮め魔族の火線を通す隙間を作った。

東側では竜族が地上へ降り破れた翼で係留器を覆った。

南側では獣人の救護隊が負傷者を運び終え、そのまま槍を取った。

森人の地脈師は逃げなかった。

自分たちが手を離せばその土地の昨日が切れる。

誰も、始祖の命令で動いていない。

勇者の命令でもない。

自分が守ると決めた場所へ自分の足で立っていた。



―――塔の最深部。

黒い軸が回り始める。

102周目の春が管理面の向こうから現在を塗り替えていく。

セレスティアの足元にアルカ村の土が広がった。


草の匂いがする。

遠くで鑑定の鐘が鳴る。

本物と見分ける方法はなかった。

見分ける必要もなかった。


これは過去ではない。

今ある世界を消した後に作られる新しい始まりだった。


セレスティアは踏み込む。

黒い軸へ剣を振り下ろした。

激しい衝撃が腕を上る。

刃の亀裂が根元まで伸びた。

軸には、浅い傷しか付かない。

《復元承認を再要求》

「しつこい」

二度目。

剣の半ばが折れ、白い空間を回転しながら飛んだ。

セレスティアは残った刃を握り直す。

あと一度。

だが、黒い軸は世界核へ深く食い込んでいる。

力任せに断てば復元命令だけでなく世界核まで割れる。

斬れるのに斬ってはいけない。

472年前と同じだった。



「エルディア!」

セレスティアが呼ぶ。

返事は雑音に埋もれた。

それでも、剣を下ろさない。

昔なら、自分で決めていた。

今は待つ。

塔の外にいる仲間が、答えを返すまで。


一秒。


二秒。





102周目の春が、膝まで上がる。

レオンのいないアルカ村で17歳のセレスティアが一人、広場へ向かっていた。

もう一人の自分と目が合う。

その少女は誰も信じていない目をしていた。

セレスティアは思う。

あなたはこれから何度も何度も負ける。

でも、103回目には『見覚えのない知ってる少年』が追いかけてくる。




教えない。


それを知れば、あの旅は同じものにならない。

ただ、過去の自分へ小さく言った。

「大丈夫じゃないよ」

少女が足を止める。

「でも、一人じゃなくなる」

春の景色が揺れた。



エルディアの声が届く。

『接続点を確認』

黒い軸の表面に76本の細い線が現れた。

一本の正史へ集める線ではない。

世界中の現在が互いを支える網になっている。

『斬断位置を送ります』

セレスティアの視界に一点だけ青い光が灯る。

幅は髪の毛より細い。

角度は剣を振り抜ける限界よりさらに浅い。

普通の剣士には不可能だった。

セレスティアにはできる。

折れた剣でも。

世界で一番強いからではない。

自分一人の力だけで斬ろうとするのをやめられたからだった。

「分かった」

呼吸を一つ。

76の線が最も強く光る瞬間を待つ。



そして。



セレスティアが剣を振った。




音はしなかった。

折れた刃が青い一点を通り過ぎる。

黒い軸へ一本の線が生まれた。

遅れて世界中の空が割れた。


昨日と今日が重なる。

生きている者の隣に選ばれなかった人生の影が立つ。

戦争で死んだ兵士が畑を耕す自分を見る。

結婚しなかった女が別の未来で生まれた子供の声を聞く。

滅びた街と滅びなかった街が同じ鐘を鳴らす。

それは復活ではない。

死者が戻ったのでもない。

世界核へ詰め込まれていた可能性が切り離される直前に観測面へ映った残響だった。





セレスティアの前にも一人の影が立った。

今度は17歳ではない。

白髪。

皺。

少し曲がった背中。

76歳のレオンだった。

機構が記憶から作った残響だと、分かっている。

それでも、、、声は懐かしかった。

「セラ」

「何」

「まだ始まったばっかだろ」

セレスティアの目から、涙がこぼれた。

「遅いよ」

手を伸ばす。

触れる前に影は光へほどけた。

今度は追わなかった。



―――塔の外。

《正史指定》

《実行》

最後の命令が、エルディアへ流れ込む。

《管理端末は選択せよ》

472年前なら、彼女は選んだ。

生存率。

文明持続性。

因果安定性。

数値の高い未来を残し、ほかを消した。

今、白い瞳に映るのは数値ではない。

観測室で怒鳴るカイル。

壊れた装置を蹴った老人。

翼で係留器を守る竜。

焦げたパンを押しつけてきた、もういない少年。

『拒否します』

《端末命令》

『私は』

頬の亀裂が口元まで届く。

『端末である前に』

言葉を選ぶ。

昔は、選べなかった言葉。

『この世界の仲間です』



黒い軸が砕けた。

同時に76の係留器から光が噴き上がる。

世界核の中で無数の可能性が互いから離れていく。

消えるのではない。

現実と同じ重さを持って押し合っていた未来が再び《まだ選ばれていないもの》へ戻る。

実際に生きられた昨日は残る。

誰かの記憶も、失敗も、死も、なかったことにはならない。

選ばれなかった未来だけが今を奪う力を失う。

世界核の保持領域が一気に空いた。

三倍に広げた器の内側へ余白が戻る。

《深層復元機構》

《命令経路 切断》

《正史指定 不能》

黒い文字が一つずつ消えていく。

最後に残ったのは、472年前から変わらない一語だった。

《未来》

その下へ、新しい文字が現れる。

《未定》


塔が崩れ始めた。

黒く重なっていた無数の壁が一枚ずつ白へ戻る。

外側では防衛体が動きを止め、空の裂け目が閉じた。

因果回廊はまだ残っている。

各地の部隊が負傷者を運び崩れる塔から距離を取る。

カイルは観測台から落ちかけたエルディアを抱えた。

「セレスティア様がまだ中です!」

『確認しています』

「反応は」

『ありません』

「そんな」

『ですが』

エルディアの壊れかけた指が一つの観測値を示す。

『死亡も確認していません』

カイルは返事を待たず塔へ走った。

一人ではない。

人間の工兵も、魔族の兵士も、獣人の救護員も続く。




朝。

塔は半分の高さまで崩れていた。

白い瓦礫の間からカイルが銀色の髪を見つける。

「セレスティア様!」

駆け寄る。

セレスティアは折れた剣を膝へ置き、壁の欠片にもたれていた。

「無事ですか」

「多分」

「多分では困ります」

「動ける」

「では立ってください」

「ちょっと待って」

世界最強の勇者は普通に疲れていた。

カイルが膝をつき肩を貸す。

「エルディアは」

少し離れた瓦礫から、黒い髪が出ていた。

『落ちました。救出を要求します』

カイルがそちらを見る。

「…自力で出られないんですか」

『可能ですが、二時間を要します』

「今助けます」

『推奨します』

セレスティアが笑った。

カイルも張りつめていた息を吐きながら笑った。

勝ったからではない。

誰も失わなかったからでもない。

平原には戻らない命もあった。

それでも、自分たちで選び、その結果を引き受ける朝まで来た。



世界は残った。

北端の海に現れた町は、朝日とともに薄くなり、昼までに波の下へ戻った。

砂漠の二つの街は、一つの地理へ並び直された。

東西にいた住民は、一人も消えなかった。同じ名と顔を持つ者たちも、係留された時点から別々の現在を生きる人間として残った。

戦争で滅びたと覚える者も、滅びなかったと覚える者もいる。

観測院は片方を誤りとして訂正しなかった。

二つの記録を並べ、なぜ重なったのかを後世へ残した。

世界核は未来を一つへ固定しない。

同時に、選ばれなかった未来を完全な現実として抱え込むこともしなくなった。

76の係留点が各地の現在を相互に観測する。

中心は一つではない。

どこかが失敗しても別の場所が異常を見つける。

安全になったわけではなかった。

世界核は有限のまま。

係留器もいつか壊れる。

深層復元機構の命令経路は断たれたが正史機構のすべてを理解できたわけでもない。

未来にはまだ危険がある。

ただ、その危険を一人の管理者へ預ける必要はなくなった。



三週間後。

世界連盟の臨時総会が開かれた。

参加したのは、共同作戦へ賛成した51地域だけではない。

反対した19地域も棄権した6地域も席に着いた。

議題は勝者を称えることではなかった。

係留器を今後どう監査するか。

起動権限を誰に持たせるか。

反対票を投じた地域の記録をどのように保存するか。

復元を望んだ者を罪に問わないこと。

戦闘で亡くなった者への補償。


現実は世界を救った翌日から予算と規程を要求した。

レオンがいれば途中で寝ていた。

セレスティアはそう思いながら傍聴席に座っていた。

今回は逃げなかった。




総会の後、カイルが廊下で待っていた。

「セレスティア様」

「様、やめて」

「努力します」

「絶対やめない顔」

「アーヴェル家の伝統です」

「そんな伝統ない」

カイルは笑い、それから真面目な顔へ戻った。

「終わったのでしょうか」

セレスティアは少し考える。

「多分」

「でも、世界は続くから」

「次の問題が起きる」

「そうですね」

カイルが窓の外を見る。

「始祖はこれを予想していたのでしょうか」

「してない」

即答した。

「言いきれます?」

「絶対」

「では、どうしてここまで」

「知らなかったからじゃない?」

カイルが首を傾げる。

「自分が知らないって知ってた。だから、その時の人に決めさせた」

472年前。

世界核の前でレオンは言った。

その時の奴ら。

今回は本当にその時の者たちが決めた。


エルディアは、観測院の修復室にいた。

頬と腕の亀裂はほとんど塞がっている。

完全に元へ戻すこともできたが左手首に一本だけ白い線を残した。

「消さないの?」

セレスティアが聞く。

『観測記録です』

「痛かった記念?」

『次回、同じ接続を行わないための警告です』

「次回あるんだ」

『未来は未定です』

少しだけ得意そうに言った。

セレスティアは椅子へ座る。

「レオン、見た」

エルディアの手が止まった。

『再生成像を』

「うん」

『承認しなかったのですね』

「うん」

しばらく、二人とも話さなかった。

レオンを知る最後の二人。

一人は、彼と59年を生きた。

一人は、彼から初めて《どうしたい》と聞かれた。

知っているレオンは同じではない。

失った時間も、同じではない。

『私は』

エルディアが言う。

『一度、会いたいと判断しました』

「そう」

『ですが、復元には反対しました』

「うん」

『矛盾しています』

「そういうの、多いよ」

472年前、星を見上げた夜にレオンが言った言葉を返した。

エルディアは今度は意味を理解していた。


さらに七日後。

セレスティアは大陸中央部の共同管理地を歩いていた。

世界連盟常設本部の建物は400年の間に何度も建て替えられた。

レオンが暮らした小さな家は残っていない。

芋畑も今は共同公園の一部になっている。

それでも公園の端に小さな墓石があった。

周囲へ建てられた神殿は、300年前に取り壊された。

巨大な像もない。

レオンの遺言どおりと言うには、ずいぶん時間がかかった。

墓石には、413年分の細かな皹が増えている。

名前はまだ読めた。

《レオン・アーヴェル》



セレスティアは、墓の前へ花を置いた。

「会えたよ」

風が草を揺らす。

「若い時のあなた」

少し考える。

「最後は、おじいちゃんだった」

返事はない。

「でも、戻らなかった」

胸の奥に痛みはある。

413年経っても、なくならなかった。

なくす必要もなかった。

セレスティアは墓石の文字を指でなぞる。

「終わったら教えてって言ったよね」

レオンの手紙にそう書いてあった。

どうやって教えるのかと聞けば知らんと返された。

「終わったよ」

空を見上げる。

「私一人じゃ無理だった」

少し笑った。

「ねぇ。知ってた?」

答えはなかった。



墓地を出る時、カイルが門の外にいた。

「待ってたの」

「護衛です」

「いらない」

「知っています」

「じゃあ帰って」

「帰り道までです」

セレスティアは諦めて歩き出した。

しばらく並んだ後、カイルが尋ねる。

「これから、どちらへ」

「決めてない」

「観測院へ戻られるのでは」

「エルディアがいる」

「では、北方の異常調査へ」

「ほかの人が行った」

「……休まれるのですか?」

セレスティアは足を止めた。

休む。

世界を救う必要のない日に自分の時間を使う。

400年前には難しかったことが今は少しだけできる。

「そうするかも」

カイルが驚いた顔をした。

「何」

「いえ。勇者も休むのだと」

「勇者じゃなくても休むよ」


共同管理地の西門で二人は別れた。

セレスティアの旅袋には金と水と替えの服が入っている。

376年前に受け取ったレオンの手紙。

もう存在しない家の鍵。

折れた剣は、修理に出さず袋の底へしまった。

次の剣を買うかどうかもまだ決めていない。

道は三つに分かれている。

北は竜の谷。

西は海。

南は、名前の変わった国々へ続く。

どこへ行ってもいい。

どこへも行かず、明日決めてもいい。

472年前。

一人で村を出ようとしたセレスティアには、選択肢が一つしかないように見えていた。

今は、増えすぎるほどある。

それでも、もう怖くはない。

――と言い切れるほどではない。

だからこそ、自分で選べる。


セレスティアは南の道へ一歩進んだ。

理由はない。

日当たりが一番よかったからだった。

鳥が鳴く。

遠くの市場から値段を巡って言い争う声が聞こえる。

効率が悪く、正しくなく、何度でも間違える世界の音だった。

セレスティアは笑った。

レオンはいない。

それでも、彼が生きた時間は消えなかった。

誰か一人へ未来を預けず、彼を知らない者たちが自分の理由で立ち、失敗すればまた集まる。

それが、レオンの作った答えではない。

レオンが答えを残さなかったから、生まれた世界だった。

未来は、未定。

だから。

世界で最後の勇者は、幼馴染が残した未来へ、走り出した。


皆様ここまで読んでいただきありがとうございます。

拙い文章ではありますがお楽しみいただけたでしょうか?

「面白い!」「続き読みたい!」など思った方は、ぜひブックマーク、評価、いいねをよろしくお願いします。

作者のやる気が漲ります!


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