69.ハワイ北方海戦
昭和17年(1942年)4月 東京砲兵工廠
「ハワイ沖で大海戦が発生したんだって?」
「ああ、犠牲も大きかったけど、なんとか勝ったようだぞ」
「そうなんだ。でも犠牲が大きいって、どれぐらい?」
「それがなぁ……」
おそらく最後になるであろうアメリカ艦隊が、3月末に攻めてきた。
もう後のないアメリカは、なりふり構わない全力出撃だ。
その陣容は以下のようなものだった。
戦艦:アイオワ級3隻、サウスダコタ級2隻、旧式戦艦7隻
空母:ホーネット、レンジャー、ワスプ、エセックス級6隻、インディペンデンス級5隻
搭載機数:960機
その他:重巡洋艦9隻、軽巡洋艦5隻、駆逐艦56隻
「たしかに凄い陣容だけど、日本も負けてないだろう?」
「たぶん、こっちもほぼ全戦力をつぎ込んだんだよね」
「ああ、そのとおりだ」
今回、日本海軍は下記の艦艇を送り出した。
戦艦:大和型2隻、長門型4隻、金剛型4隻
空母:翔鶴型6隻、蒼龍型2隻、祥鳳型4隻
搭載機数:940機
その他:重巡洋艦6隻、軽巡洋艦12隻、駆逐艦48隻
戦艦は数で劣るが、対空能力重視の改装済みで、戦力として決して劣るものではない。
そして主力の空母戦力や補助艦艇においては、ほぼ互角だ。
これに加え、ハワイに配備された航空部隊が500機ほどあった。
それを含めれば優位かと思われていたのだが……
「ハワイをとばして、ミッドウェーを襲うふりを見せたか」
「ああ、敵の誘いなのは分かっていたが、海軍はあえてそれに乗った」
日本からは角田中将と山口中将の指揮する第1・第2機動艦隊が、米艦隊との決戦へ赴いた。
艦載機も97艦戦から1式艦戦”烈風”へ、97艦攻から1式艦攻”流星”へと代替わりしている。
烈風は金星の18気筒版エンジンを搭載し、最高速度は620km/hを叩き出す。
もう一方の流星は、急降下爆撃も可能な攻撃機だ。
こちらは”誉”エンジンを搭載し、最高速度570km/hを実現していた。
状況に応じて雷撃と爆撃を使い分けられるので、柔軟に運用できるのが強みだ。
ただしアメリカ海軍も、艦載機を更新しているという。
ほぼ同等の戦力において、決して侮れない敵であるとの認識だ。
もっとも、我が軍はハワイや西海岸周辺に、潜水艦による警戒網を構築していた。
これに艦偵”彩雲”の索敵を組み合わせることで、敵艦隊の行動はほぼ把握できる。
そのため先手を打ったのは、やはり我が軍だった。
第1・第2機動艦隊から、700機もの攻撃隊が繰り出される。
それは彩雲に先導され、着実に敵艦隊へたどり着いたという。
しかしアメリカの底力は、やはり侮れなかった。
レーダーピケット艦を広範囲に配置し、素早く対処してきたのだ。
我が軍と同様にレーダーや無線通信を駆使し、戦闘機を振り向けたようだ。
ただしこちらも無策ではない。
ハワイから差し向けられた陸上攻撃機が、レーダーを撹乱するチャフをばらまいた。
攻撃隊はこの雲に紛れながら、それぞれ敵艦隊を目指した。
まず海上で激突したのは、烈風とF6Fヘルキャットだった。
F6Fは史実と同様、目立った性能はないが、汎用性に優れた戦闘機だ。
この世界でも短期間での量産に対応し、すでにF4Fと置き換えられている。
しかし我らが烈風も、それをしのぐ高速戦闘機に仕上がっていた。
そして何よりも、台湾やサイパン、マリアナ沖の戦いを生き延びた搭乗員たちが多くいる。
それに加え、これまでの戦訓を取り入れて訓練された若鷲も、多く参戦していた。
烈風の方が速度に優れることも相まって、優勢に戦闘を進める。
やがてほぼ制空権を獲得したところへ、攻撃機が到着した。
500機近い”流星”が、雷撃と爆撃を試みる。
まずは敵輪形陣の外郭を崩さんと、流星が魚雷を投下した。
着水した魚雷は前進しつつ、目標のスクリュー音を探知すると、それを追いはじめた。
ここで狙われたと見た敵艦艇に、変化が起きたそうだ。
敵艦艇は何らかの機器を海面に投下し、それを牽引しはじめたという。
その機器は特定の騒音を垂れ流し、音響魚雷を引き寄せる欺瞞装置だった。
史実でもドイツの音響魚雷対策に用いられた、”フォクサー”であろう。
実はこれに先立って、西海岸の戦闘で、似たような機器の使用が確認されていた。
史実を知る俺たちは、すぐにそれをフォクサーと見破り、対策を取った。
フォクサーらしき音源を探知しても、それを無視するプログラムを組んだのだ。
とは言え、それで全て防げるほど、高度な技術でもない。
そもそも妨害が無くても、音響魚雷は目標を捉えられない場合があった。
そこへフォクサーによる妨害が加わって、さらに命中率は落ちた。
それでも通常の魚雷に比べれば、段違いの戦果は挙がる。
1隻また1隻と、艦尾に爆発を起こし、船足が弱まる艦艇が出はじめた。
そこへ上空で機会を伺っていた流星が、爆撃を敢行していく。
高速なため従来(70度)よりも緩い角度(45度)で、流星が降下を掛ける。
そして敵の煙突付近を照準器に入れると、ただちに500kg爆弾を投下した。
それもただの爆弾ではない。
爆弾の先端に備えられた赤外線シーカーにより、艦艇の熱源を追跡するのだ。
この”1式誘導爆弾”こそが、中島が開発した秘密兵器だった。
誘導範囲こそ広くないが、流星の照準器で狙いをつけておけば、自動で敵艦艇を追ってくれるのだ。
おかげで流星は高速で降下するだけでなく、従来より高い高度から投弾できる。
それはパイロットの生還率を、飛躍的に高めていた。
逆に敵の艦艇にとっては、ひどい災難だ。
音響魚雷で行き足を止められたところへ、煙突目掛けて爆弾が降ってくるのだ。
その威力たるや半端なものではなく、駆逐艦程度なら即座に轟沈する場合もあった。
もちろんアメリカ軍も、猛烈に反撃してきた。
マリアナ沖よりも格段にレーダーを進歩させ、対空射撃を強化していたのだ。
そして後に分かったことだが、一部では近接信管の試作品さえ使用していたそうだ。
しかしその結果は、マリアナ沖海戦とそう変わらない。
外側から輪形陣を順に崩され、やがて空母や戦艦も攻撃を受ける。
そしてどんなに強靭な艦も、魚雷と500kg爆弾を複数くらっては堪らない。
数十分のうちに、多くの艦が行動不能に陥った。
それはアメリカ人が予想だにしなかった、大敗北である。
しかしその一方で、日本艦隊にも災厄が降り掛かっていた。




