54.欧州大戦の足音
昭和13年(1938年)3月 皇居
史実とは大きく異なる極東とは違い、欧州は見事に史実をなぞっていた。
今月になって、ナチス・ドイツがオーストリアを併合したのだ。
ドイツ系住民が多いオーストリアが併合を望むなら、その意志を尊重すべきだと言って。
ヴェルサイユ条約で禁止されているにもかかわらず、ヒトラーはそれを強行してのけた。
それは先のラインラント進駐で賭けに勝った者の、さらなる挑戦だったのであろう。
結局、オーストリア併合は英仏にも黙認され、ドイツはまた領土拡大に成功する。
「ラインラント、オーストリアとくれば、次はズデーテン地方か」
「ええ、その後はチェコスロバキアを飲みこんで、ポーランドですね」
「それでは本当に、第2次大戦が起きてしまうではないか……」
「ええ。やはりそれは避けられない可能性が、高くなってきました」
久しぶりに皇居に呼び出され、川島が陛下の問いに答えている。
最近は堂々と情報部に出入りするようになった川島は、誰よりも世界情勢に詳しいからだ。
やがて陛下が、悩ましげに問うた。
「何か、戦争を避ける手段はないものか?」
「ヒトラーとルーズベルトがやる気なんです。それは難しいでしょう。できるのはせいぜい、ポーランドへの支援を、イギリスに控えさせる程度です」
「それしかないのか……」
悲しそうに陛下がため息をつくと、今度は若槻さんが訊ねる。
「以前から聞いているように、ポーランドが強気になりすぎないようにするという話だね。しかし本当にルーズベルトが、それを仕掛けたと言うのかい?」
「状況証拠からして、間違いないでしょう。ルーズベルトが英仏にポーランドのケツ持ちをさせた結果、交渉が決裂したとしか思えません」
これはドイツが1939年に、ポーランド回廊の割譲を求めた際の、周囲の対応についての話だ。
この時、英仏がポーランドを支援すると表明したため、ポーランド側の外交方針が硬化した。
これに業を煮やしたヒトラーがポーランド侵攻を命じ、英仏がそれに応じた結果、第2次世界大戦が始まったのだ。
そしてこの時の英仏の動きの裏には、ルーズベルト大統領の圧力があったようだ。
もし戦争になっても、アメリカがすぐに参戦するから大丈夫だ、とでも言ったのだろう。
すでにニューディール政策の失敗が見えていた中、戦争特需を生み出そうとした、ルーズベルトの謀略だった可能性は高い。
実際に彼はこの世界でも、日本に敵対的な姿勢を見せており、決して的外れではなさそうだ。
そんな話をする川島に、若槻さんが食い下がる。
「しかしルーズベルトは選挙戦で、戦争には参加しないと公言するのだろう? そんなあからさまに圧力を、掛けたりするかね?」
「だからこそ、陰でコソコソやるんですよ。それに彼は、目的のためには手段を選ばない人間です」
「むう……政治家が2枚舌を使うなど、当たり前の話か。しかし欧州で大戦が起きても、日本への影響は少ないのではないか?」
「それもどうでしょう。ルーズベルトは日本人を、サル並みにしか見ていないという噂です。サルどもが太平洋の反対側で、繁栄を謳歌していると聞いて、おとなしくできると思いますか?」
「……それが本当なら、何か仕掛けてくるだろうな。何かしら権益を譲るよう、圧力を掛けるとか」
「その程度で済むはずがありませんよ。それこそ日本が平身低頭して戦争を避けない限り、かならず難癖をつけて、暴発を誘うでしょうね」
「そこまでか?!」
川島の悲観的な見方に、元老たちが驚きを露わにする。
ちなみに今いる元老は、若槻礼次郎、松方巌、西園寺八郎、木戸幸一である。
そんな人たちに対し、アメリカの様々な横暴を知る俺たちは、口々に川島を支持する。
「まあ、アメリカってのは、そういう国ですから」
「21世紀になっても、ひどいことしてますよ」
「まあ、その挑発に乗っちゃう方も、悪いんですけどね」
「そうそう。ちなみにそれで日本がやった真珠湾奇襲は、およそ最悪の選択肢と言われとりますわ」
「それはなぜかね?」
「まず大部分が戦争を忌避していたアメリカ人を、全力で戦争に駆り立ててしまいました。さらに全面的勝利を得るまで、満足することがないよう結集させた、っちゅう感じですかね。ルーズベルトからしたら、願ってもない展開だったんとちゃいますか」
「なるほど……」
佐島の話を聞いて、元老たちがうなずく。
結果論ではあるが、真珠湾奇襲は最悪の事態を日本にもたらした。
見た目ほど敵への打撃は多くなく、ただ相手を本気にさせただけの愚策だったと言っていいだろう。
いくらアメリカの圧力があったとはいえ、そんな手段しか取れなかった日本の状況には、ため息しか出ない。
やがて若槻さんが、今後の方針を問う。
「日本としては、ドイツの動向を見守りつつ、イギリスに自重を呼びかけるべきだろうな」
「ええ、その際、秘密裏に英国と同盟を結んでは、いかがでしょうか?」
「それは……参戦義務をともなうものかね?」
「いえ、それではあちらも困るでしょう。参戦義務は無い代わりに、相互に中立を維持する、ぐらいが妥当かと」
「それではあまり意味がないのではないか?」
川島の提案に若槻さんが疑問の声を上げるが、川島は平然と返す。
「いえ、仮にアメリカからケンカを売られても、イギリスが敵対しなければ英領の資源を利用できます。それだけでも十分ですよ」
「ふむ……それはたしかにそうだろうが」
「たしかにイギリスが味方してくれれば助かりますが、大西洋で英米は協力せざるを得ないでしょう。ならば中立が精一杯かと」
「そうだな。敵対されるよりはマシか。しかし蹴られる可能性もある」
「そこは話の持っていき方でしょう。すでに第1次大戦で、イギリスはアメリカに頭を押さえられています。これ以上、アメリカの横暴を許せば、手に負えなくなると説得すれば、中立ぐらいは勝ち取れるのでは?」
「ふうむ……それなら、可能性はあるかもしれないな」
その後も元老たちと議論したが、川島の提案以上のものは出なかった。
最後にそれをまとめるように、陛下が指示を出す。
「どうやら、選べる選択肢は少ないようだな。川島くんの提案に沿って、大本営で対応を決定してくれ」
「了解いたしました」
こうして御前会議は終了した。
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昭和14年(1939年)3月
その後、ドイツがチェコスロバキアにズデーテン地方の割譲を求め、ミュンヘン会談を経てそれが実現した。
さらにチェコスロバキアの大部分が、ドイツの属国になってしまう。
しかしヒトラーはなおも満足せず、ポーランド回廊の割譲を、ポーランドに求めたのだ。
第2次大戦の足音が、すぐそこまで迫っていた。
次回から太平洋戦争編になります。
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