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51.日本のモータリゼーション

昭和10年(1935年)12月 愛知県 挙母ころも


「社長就任、おめでとうございます、豊田さん」

「ありがとう、大島さん。これもあなたたちの、協力のおかげですよ」

「いえいえ、豊田さんのがんばりあってのものです」


 俺たちは豊田喜一郎の社長就任を祝うため、愛知県を訪れていた。

 しかしそこは刈谷町でなく、新たに工場を建設した挙母ころも町だった。

 新工場の完成にともない、豊田自動織機の自動車部が、新たにトヨタ自動車として独立したのだ。


 それが2年前のことで、初代は豊田利三郎が社長を務めたものの、このたび喜一郎に引き継がれた。

 元東京自動車の吉田さんや内山さんも、その下で開発に取り組んでいる。


「開発も順調なようですね、吉田さん」

「ええ、おかげさまで。最近はなんとか、アメ車にも負けないものが作れるようになりましたよ」

「それは凄い」

「そうは言っても、乗用車はあまり売れませんがね……」

「アハハ、それはどうしようもありません。市場の成熟を待つしかないですね」


 政府の国産車奨励策もあって、日本の自動車市場は大きく成長していた。

 史実35年の保有台数が13万台弱だったのに対し、この世界では40万台に迫る勢いだ。

 しかもその大部分が国産車なのだから、相当な差がある。


 しかしまだまだ中流層が育っていないため、乗用車はその4割にすぎない。

 残りの4割がトラックで、2割がバスといったところだ。

 これは史実でも同じ傾向で、つまり商用車が市場を牽引していることになる。

 そもそも乗用車ですら、タクシーやハイヤー、そして企業で使う社用車が大半という状況だった。


 ちなみに今、売れ筋のトラックは、こんな性能である。


【トヨタKB型トラック】

全長・全幅・全高:6.5x2.2x2.2m

重量      :2.7トン

積載量     :4トン

最高速度    :時速70km

出力      :100馬力

乗員      :2名


 史実なら、7年ほど後に出てくるトラックだ。

 3.4リッター直6エンジンで、史実より3割ほど高出力になっている。

 しかも乗り心地や信頼性も、格段に優れていた。


 そんな商用車が中心ではあるものの、日本のモータリゼーションは着実に進展していた。

 なにしろ30年も前から、道路の舗装化を進めてきたのだ。

 その進捗は劇的ではないものの、着実に移動・物流を促進している。


 まず都市部の舗装化は、自転車の普及を促した。

 最初は性能が低くて使いにくかった自転車も、道路が舗装されれば使いやすくなる。

 そうすると需要が急増して、性能改善と低価格化がさらに進んだ。

 史実でも日本の自転車は海外で人気だったが、この世界でも機械輸出の上位を占めている。


 それと並行して、自動2輪の普及も進んでいた。

 史実では自動車以上に零細企業だったメーカーも、けっこう力を付けている。

 自動車ほど大規模な設備投資がいらない点も、企業にとっては好都合だ。

 おかげで年産1万台を超えるほどのメーカーが、複数誕生していた。



 そして肝心の自動車だが、こちらも大量生産を実現したメーカーが、いくつも現れている。

 まずフォードと提携した三菱重工が白楊社を吸収合併し、三菱自動車工業を設立した。

 同社は単独で年産1万台以上の工場を建て、独自の車を生産している。

 白楊社が設計したオートモ号をベースに、乗用車も生産しているが、やはり商用車が主力だ。


 それからGMと提携した石川島造船の自動車部門は、東京瓦斯電気工業と合併し、自動車工業株式会社(後のいすゞ)を設立した。

 やはり単独で工場を建設しているが、ここはトラック・バスなどの大型商用車に集中するようだ。


 快進社の流れを組むダット自動車は、実用自動車工業と合併して、ダット自動車製造となった。

 さらに同社は戸畑鋳物の傘下に入り、後の日産自動車への道筋がついている。

 今は戸畑鋳物の出資で大型工場を建設し、やはり年産1万台を超える量産体制を整えつつあった。


 川崎造船が設立した川崎車輌も、大型工場を建設した。

 やはりトラックを中心に、大量生産を開始しているとこだ。


 そしてこれら4社の大規模メーカーに、トヨタが殴りこみをかけた。

 それは傍から見れば、田舎財閥の豊田グループに、弱小の東京自動車が合流しただけに思われる。

 しかし愛国商会の旗振りで資金を集め、4年後には年産1万台超の工場を建ててみせた。


 おまけにその技術力は折り紙つきだ。

 吉田さんたちは、すでに30年近くも自動車を作り、その性能と耐久性の向上に努めてきた。

 その技術はとうに欧米の模倣を飛び越え、日本独自の道を歩みはじめている。


 この時代、トヨタに限らず、日本車はよく壊れると言われ、軍にも敬遠されていたそうだ。

 しかしこの世界ではアメ車以上の耐久信頼性を示し、高い評価を得ていた。


 さらにそれを後押しするのが、トヨタ生産方式だ。

 それは”ジャスト・イン・タイム”や、”自働化”などに代表される、リーン生産方式の一種である。

 フォードに始まる大量生産システムの中に含まれる、”ムダ”というぜい肉を削ぎ落とすような思想・哲学とも言える。


 ただし史実でこれを体系化する大野耐一は、まだ社会人になったばかりなので、当面は試行錯誤することになるだろう。

 せっかくなので、多少は助言をして、その発展を後押ししてやろうと考えている。

 いずれにしろ、他とは違った強みを持つメーカーとして、今後に期待できる存在だ。



 ちなみに史実では、トヨタ、日産、いすゞが許可会社となり、太平洋戦争に関わった。

 それがこの世界では、5大メーカーが大量生産を実現しており、その性能も格段に高い。

 その工業力は、いざ戦争になったとしても、大いに役立つであろう。


 そんな話をしているうちに、豊田さんがしみじみとつぶやいた。


「それにしても、うちが5大メーカーの一角になるとは、思いもよりませんでしたよ」

「豊田さんのとこなら、それほど不思議じゃありませんよ。それよりも私たち(東京自動車)が合流してることの方が、驚きですって」


 自嘲気味に言う吉田さんを、俺はあえてフォローした。


「そんな事はありませんよ。吉田さんと内山さんが積み上げてきた技術がなければ、こうも早く軌道に乗ってませんから。ねえ、豊田社長」

「もちろんですよ。あなたたちの協力がなければ、あんなにすばらしい車を作れなかった。感謝しています」

「……そう言ってもらえると、がんばってきた甲斐があるってもんです。なあ、内山」

「ええ、まったくです」


 そう言って、吉田さんたちが目を潤ませる。

 しかし俺は彼らに、さらなるハッパを掛けた。


「まだまだ、これからですよ。もっといい車を作って、そのうちアメリカに輸出してやりましょう」

「ええぇ……アメリカに輸出だなんて、いくらなんでも無理でしょう」

「ほう、アメリカに輸出ですか。今は難しくても、いずれは、ですな」


 はなから尻込みしている吉田さんと違い、豊田さんはやる気を見せていた。

 これなら放っておいても、実現してくれるだろう。


 そんな話をしながら、1935年は暮れていった。

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