49.軍縮条約の決裂
昭和10年(1935年)4月 皇居
昨年の後半から、第2次ロンドン軍縮条約の、予備交渉が進んでいた。
史実では日本が妥協点を見いだせず、年末に条約破棄を宣言してしまう。
しかしこの世界ではさほど軍備にこだわっていないので、妥協は可能だと楽観していたのだが……
「まさかアメリカが、あれほど強硬な態度に出るとはな」
「まったくです。あれでは最初から、決裂を望んでいたとしか思えません」
なんとアメリカが、グアムとフィリピンの軍港強化と、それに伴う艦艇の増強を要求してきたのだ。
建て前としては、中華民国の情勢が不安定なので、大陸の権益と南満州鉄道を守るため、ということになっている。
たしかに中華民国は、清と分裂してから各地で軍閥が台頭し、不安定な状況が続いていた。
史実と違って満州やチベット、モンゴルが分離し、領土は縮小しているにもかかわらず、内部がゴタついているのだ。
だからアメリカが権益を守ろうと考えるのも、さほど不思議ではない。
しかしあの国はそれを一方的に主張するだけで、他国への配慮をみせなかった。
本来、ワシントン会議で結ばれた4ヶ国条約は、日米英仏が太平洋方面の領土や権益を、相互に尊重しようという趣旨だったはずなのに。
日英仏はこれを、”いたずらに太平洋方面の緊張を高める行為”だと抗議した。
しかしアメリカは交渉の決裂をまったく恐れない様子で、自論を貫こうとした。
結局、妥協点を見いだせないまま予備交渉は終了し、アメリカは昨年12月、ワシントン軍縮条約の破棄を宣言したのだ。
(ただし破棄通告後も、2年間は有効)
この暴挙に憤りつつも、日英仏は史実に近い形で条約を批准した。
2年以内に米・伊が条約に調印しなければ、制限を緩和するエスカレータ条項も盛りこまれている。
それ以降は4.5万トン以下で16インチ砲の搭載艦も、建造できるようになるだろう。
そのような状況で、俺たちは皇居に集められていた。
列席する元老の顔ぶれは、若槻礼次郎、松方巌、西園寺八郎(西園寺公望の娘婿)、木戸幸一である。
その他の面々は鬼籍に入るか、高齢で引退している。
出席者が揃うと、陛下が俺たちに見解を求める。
「君たちは今回の動き、どう見ている?」
「はい。いろいろと話し合った結果、アメリカはやはり、日本が邪魔で仕方ないんだと思われます」
「それほどか? 清や正統ロシアに関しては、よく協力できていると思うのだがな」
「今までは、それで良かったんですよ。しかしあの国は、大統領が代わりましたから」
「ああ、ルーズベルトか」
史実同様1933年には、フランクリン・デラノ・ルーズベルトが大統領に就任していた。
そしてやはり”ニューディール政策”を展開している。
これは政府による経済への介入行為であり、公共事業による失業者対策などを、大々的に実行するものだ。
その効果については後世でも異論があるが、後の大統領選では圧倒的な差で再選される事になる。
そしてこの世界ではさらなる成果を求めたのか、ロンドン軍縮条約を拒否してきた。
そのターゲットは、明らかに日本である。
ここでちょっと、第1次大戦後の世界情勢をさらってみよう。
大戦後のヴェルサイユ条約では、やはりドイツに天文学的な賠償が課され、不満と火種を抱えこんだ。
日本はドイツの負担が軽くなるよう、少なからず配慮したのだが、膨大な負債を抱える英仏に台無しにされた形だ。
結局、史実どおりにドイツの賠償を前提にした、経済関係が構築されてしまう。
そして恐れていたとおり、ドイツにヒトラー率いるナチス政権が誕生した。
一応、妨害も試みたのだが、極東からできることには限りがあった。
それに仮にヒトラーを排除しても、またいずれ似たような者が台頭してくるだろう。
時代の流れとは、そう簡単に制御できるものではないと、つくづく思い知らされた。
そんな欧州情勢とは対照的に、東アジアは史実と大きく異なる道を歩んでいる。
まず新生清国、正統ロシア大公国が誕生し、中華民国とソ連の領土が削られていた。
清国と正統ロシアは、日本にとってソ連に対する盾となるので、アメリカと一緒に積極的に支援している。
それならば日本とアメリカの仲も、良好になりそうなものだが、そう美味い話ばかりにはならない。
そもそもアメリカが清と正統ロシアを支援するのは、防共の盾にすると同時に、市場や権益を求めての事だ。
製品を売りこむ先はあればあるほどいいし、投資して収益も上げたいと思うのも当然だろう。
しかし清やロシアにとっては、アメリカより日本の方がはるかに近い。
おまけにこの世界の日本は、工業化度も技術力も格段に高いため、アメリカの出番は減る一方だ。
しかも日本、韓国、清国、正統ロシアは、防衛同盟を結んでいるので、自然に円を中心とするブロック経済が形成された。
おかげでアメリカは、苦労したわりに実入りが少ないと感じているのだろう。
実際は南満州鉄道の権益を握っている分、実入りは多いのだが、そんな事は知る由もない。
しかも清の発展にともなって、南満州鉄道以外の鉄道が成長し、収益が伸び悩んでいた。
これに不満を抱いたアメリカが、清に鉄道開発の自粛を要請(ほぼ強要)したもんだから、両国の関係が悪化した。
元々、アメリカの強引な経済進出が、顰蹙を買っていたのもあって、満州の各地で対立が表面化する。
さすがに共同支援国である日本が黙っているわけにもいかず、ここでやんわりと懸念を表明した。
そしたらアメリカの政治・経済界が大きく反応し、急激に日本への敵意が高まっているというのだ。
そんな川島の説明を聞いて、陛下が難しい顔でぼやく。
「まさか、そんなことになっておったとは……」
「はい、愛国商会だけでなく、情報部からも同様の情報が入っています。大筋で間違いないかと」
「う~む、よかれと思ってやってきたことが、よもやそのようになるとは」
「まったくです。まあ、結局どこも経済は無視できませんから、さほど不思議でもないんですがね」
「……身も蓋もない話だ」
苦笑する陛下に代わって、今度は若槻さんが口を開く。
「それで、アメリカは清国での武力衝突に備え、グアムとフィリピンを強化しようというのだね?」
「ええ……しかしそれだけでは済まないのではないかと」
「どういうことだね?」
「日本が繁栄を謳歌する限り、いずれは衝突する可能性が高いと思われます」




