幕間:悲劇の発動機って?
【中島正三】
「なんて感じでさ、中島社長には振り回されっぱなしだよ」
「ハハハ、あのおっさんはパワーあるからな」
「まったくや。せやけど、日本にとって重要な会社でもあるからな。中島飛行機は」
「だから我慢して、協力してるんじゃないか」
「はいはい、お疲れさん」
みんなが祐一の愚痴をネタにして、お喋りをしている。
ここでふと湧いた疑問について、訊ねてみた。
「そういえばさ、よく祐一が”誉”のことを、”悲劇の発動機”って言うけど、それってどんなの?」
「おっ、気になってる? それ」
すると慎二も寄ってきて、2人の説明が始まった。
「まず”誉”っていうのは、中島飛行機が提案した、画期的な小型高出力エンジンなんだ。その仕様はこんなもんだな」
祐一が書類の中から抜き出した紙には、以下の仕様が書き出されていた。
【誉エンジン 仕様】
形式:空冷星型複列18気筒
ボア:130mm (146)
ストローク:150mm (152)
排気量:35.8L (45.9):78%
全長:1690mm (2068):82%
直径:1180mm (1341):88%
乾燥重量:830kg (1066):78%
離昇出力:1780~1980hp(2000~2500):89%
「このカッコ内の数字が、アメリカP&W社の2千馬力級エンジン ダブルワスプで、それに対する誉の比率を%で示してみた。これを見て、どう思う?」
「う~ん…………8割ぐらいの大きさで、9割の出力を出そうとしてる?」
「そう、まさにそれなんだ」
「え、何が?」
祐一の言葉に思わず聞き返すと、今度は慎二が答えた。
「つまり中島飛行機は、航空先進国のアメリカでさえ実現できていない、小型高性能エンジンを作ろうとしたんだ。普通に考えて、そんな事できると思うか?」
「う~ん、普通は無理だよね。よほどの発明があったとかでもない限り」
「その通り。だけど史実の中島飛行機と海軍は、やっちゃったんだよ。その無謀を」
「あ~、なんとなく想像がついた。量産してから、問題が噴出したんだね」
「そうなんだよ。それどころか、海軍機のほとんどに”誉”を使う計画になってたから、航空機生産が大混乱したんだ」
「うわ、なんでそんな事になっちゃったの?」
すると祐一と慎二が顔を見合わせて、それぞれ毒を吐いた。
「海軍航空本部の上層部が、馬鹿だったから」
「中島飛行機もアホだったな。大量生産を舐めすぎだ」
「えっと、どういう事?」
詳しく聞くと、ひどい話だった。
まず”誉”を考えだしたのは、中川さんという若手技術者(入社4年め)だった。
中島では彼のような帝大出身の若手を抜擢して、大きな仕事を任せることが多かった。
たしかに有能な人が率いれば成功確率は上がるけど、大量生産は個人の才能だけで乗り切れるもんじゃない。
不幸なことに、中島飛行機の中にそれを指摘する人はいなかった。
いや、指摘しても無視されたのかもしれない。
そして中川さんの提案は海軍航空本部に上げられ、賛否両論を巻き起こしたそうだ。
現場をよく知る人や、工業センスのある人から見れば、”誉”は無謀な挑戦としか思えない。
しかしそれが理解できない者にとっては、欧米に追いつく絶好のチャンスに見えた。
一時期は賛否が拮抗して揉めていたが、やがて航空本部の高官の目に止まる。
この高官の一声で”誉”の採用は決まり、なおかつ絶対に成功させなければならないプロジェクトになってしまった。
本来、海軍はユーザーとして、欠点を見つけて改善させなければならないのに。
「やがて試作エンジンができてきて、海軍で回したんだ。これがまた繊細なエンジンでなぁ。運転中に気を抜くと、すぐに壊れるから、気の休まる暇がなかったらしいぞ。”こんな軟弱で繊細なエンジンは、戦場で役に立たない”と、現場では言われてたそうだ」
「でも試験は通ったんだよね」
「上司に厳命されてるから、通さざるを得なかったんだ。開発側と試験側が運命共同体になってちゃ、試験もクソもないよ」
「あ~、それは駄目だ」
開発者と試験者、そして製造担当者の間には、ある程度の緊張関係が必要だ。
でなければ後で問題が噴出して、量産後に地獄を見るんだから。
思い出すなぁ、21世紀の会社員生活。
「それで42年9月には制式化されるんだけど、もちろんトラブルの連続だ。軸受けの焼付きやシリンダーの異常過熱、ピストン周りの破損とか、てんこ盛りだな」
「ええっ、そんなに素性が悪かったの?」
「いや、素性も良くはなかったが、それ以上に悪条件が重なった形だな」
「悪条件って?」
「まず、対米関係の悪化で、ハイオクガソリンや高級潤滑油が手に入らなくなった。それを前提に設計してたから、一気に条件が悪化したんだ」
「ふ~ん。でもそれぐらい、事前に予測がつきそうなものなのに」
「普通ならな。だけど希望的観測に慣れきった海軍にはそれが分からず、無邪気な中島飛行機もそれを信じちまったんだ」
そう言う祐一は呆れ顔だ。
こういう事に関して彼は、辛辣だからね。
「それで、まずって言うぐらいだから、他にもあるんだよね」
「ああ。次に戦況の悪化で熟練工が減って、工作精度が落ちた。さらに物資の欠乏で代替材料が使われたり、設計に無断で精度を落とす事まであったらしい」
「ええっ、あり得ないよ。誰がそんな事したの?」
「海軍から出向してた監督官が、無駄に張り切って現場をかき回したそうだ。ちなみにその監督官はその後、出世したらしいぞ」
皮肉そうに笑う祐一を見て、僕は目眩がした。
そんなんじゃまともに量産なんて、できるはずがないよ。
きっと現場は地獄だったね。
「それで結局、どうなったの?」
「どうなったかって? そりゃあ、性能が出ない、数も出ない、おまけに信頼性もないという、”3ないエンジン”の出来上がりさ。海軍の航空機開発は軒並み遅れるし、稼働率も半分以下だ。実際に中川さんの目の前で、エンジンが止まって緊急着陸した機体があったらしいぞ。その場で軍人に怒鳴られたって」
「うわ、最悪。そんなんじゃあ、誰も幸せにならなかっただろうね。まさに悲劇の発動機だ」
すると横から慎二が口を挟んだ。
「いや、アメリカ軍は喜んだだろう。日本が勝手に自滅して、終戦が早まったんだからな」
「そうだな。だけどこの世界では、絶対にそんな事はさせない。海軍もだいぶマシになってるからな」
「でも、中島社長には振り回されてるんだろ?」
「そうだよ。あのクソ親父。今度、バシッと言ってやる」
「おお、がんばれよ」
「お前も一緒にやるんだよ」
「いや、飛行機は祐一に任せるから」
「駄目だ。一緒に来い」
「アイタタタ、急に腹痛が……」
フフフ、まるで漫才みたい。
それにしても、ひどい話があったもんだ。
この世界で再現しないよう、僕も気をつけないと。




