46.エンジンにテコ入れしよう
昭和6年(1931年)6月 三菱重工 名古屋工場
三菱名古屋でエンジンの不具合対策をした後、水冷エンジンの外部委託を提案してみた。
それを聞いた深尾さんは、戸惑いを露わにする。
「外部に委託、ですか?……具体的にどこか、心当たりがおありで?」
「ええ、川崎航空機が、やはりV12の水冷エンジンを手がけていますよね」
「ああ、それは聞いたことがあります。たしか……ドイツのBMW製でしたか?」
「そうです。空冷エンジンはたしかに有望ですけど、水冷にも捨てがたい魅力があります。そこで御社の持つノウハウを川崎さんに譲渡して、いざという時にエンジンを買えるようにしておくのはどうでしょう」
「なるほど。たしかに中途半端に両方開発するよりは、一気に水冷を切るのも手ですか。そのうえでウチは、空冷エンジンに専念すればいいと?」
「そうです。軍が間に入って、川崎さんとの仲介をすれば、上層部の説得もしやすいでしょう」
「そこまでやってもらえるんですか?」
驚く深尾さんに、俺はうなずきを返す。
「はい。その方が日本の航空業界にとって、プラスだと思いますから。必要とあれば喜んで」
「……さすがにここで判断はできないので、社内で検討させてください。そのうえで話がまとまれば、お願いしたいと思います」
「分かりました。朗報をお待ちしていますよ」
そう言って俺たちは、名古屋工場を後にした。
なぜこんな話を持ちかけたかというと、三菱が空冷エンジンへの転換を図るのを知っていたからだ。
その成果が、有名な金星エンジンになる。
しかし史実では水冷エンジンも手放さず、中途半端に開発を続ける。
それは非効率なので、俺が背中を押してやろうというわけだ。
ついでに水冷にこだわり続けた川崎へ技術を集約し、そちらも育ててやろうと考えた。
これが上手くいけば、三菱と川崎、双方の競争力を高められるだろう。
俺は深尾さんの健闘を祈って、名古屋を後にした。
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昭和6年(1931年)7月 川崎航空機
「それではこの条件で、よろしいでしょうか?」
「はい、願ってもありません」
「いえ、こちらこそ。空冷エンジンの開発、がんばってください」
「ありがとうございます。水冷の方はよろしくお願いします」
「ええ、御社に買っていただけるようなエンジンにしてみせますよ」
結局、深尾さんは社内の説得に成功し、水冷エンジン関連の設備やノウハウを、川崎へ有償で譲渡することになった。
川崎にも根回しをした結果、水冷で独自性を出すことに決まったため、円満に両社の契約が成立する。
そして三菱の関係者が去ると、俺は改めて川崎の設計者と向かい合った。
「それで土居さん、今後の計画は決まりましたか?」
「ええ、今後もBMW社の設計を基に、改良を進めようと思っています。もちろん今回得られたノウハウも、活用するつもりですよ」
「そうですか……」
「何かご懸念でも?」
そう言って俺の顔をうかがうのは、土居武夫。
川崎航空機でエンジン設計の柱となる人物である。
「別にBMWが悪いというのではないんですが、ロールスロイスにも可能性があると思ってましてね」
「ロールスロイスですか。少なくともウチよりは優秀でしょうが、あえて研究する必要がありますか?」
「ええ、あそこのケストレルエンジンが、なかなか優秀らしいんですよ。それに蒸発冷却方式には、優位性がありそうです。イギリスとは友好関係にありますから、仲介もしやすいですしね」
「なるほど。ちょっと社内で相談させてください。可能であれば、技術者を研修に出すとか、ライセンス契約を結ぶなど、検討してみます」
「ええ、期待していますよ」
こうして俺は、川崎をロールスロイスに誘導してみた。
史実ではダイムラーのDB601をライセンス生産する川崎だが、さまざまなトラブルに見舞われてしまう。
この世界では技術力が上がっているので、無理とは思わないが、ドイツとは敵対する可能性もある。
ライセンスを買えなくなる場合もあるので、選択肢を増やしておきたかった。
それにロールスロイスといえば、傑作の呼び声も高い、マーリンエンジンの開発元だ。
そこと関係を持っておくのは、いろいろな意味でメリットがあるだろう。
ここは少々ゴリ押しをしてでも、成立させたいところだ。
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昭和6年(1931年)8月 中島飛行機
三菱と川崎にテコ入れすると、今度は中島飛行機にも顔を出した。
「こんにちは、中島さん。良い責任者は見つかりましたか?」
「やあ、大島さん。残念ながら、いい人は見つからないね。できれば、大島さんにお願いしたいんだけど」
「それは無理だって、何度も言ってるじゃないですか」
相変わらずの引き抜き攻勢を、苦笑しながら断る。
以前から中島には、エンジン開発の全体を見る責任者を置くべきだと、アドバイスをしてきた。
史実では若手を開発責任者に抜擢したため、設計方針に統一性がなく、結果的に信頼性や量産性を損なっていたからだ。
その点、ライバルの三菱では、深尾さんがエンジン部門を統率していて、一定の方向性があった。
それは例えば、ボア径は140と150mm、ストロークは130、150、170mmに限定し、信頼性を重視するという方針だ。
これが中島飛行機の場合、ボア径だけで5種類もあった。
設計要素が多ければ個々に検討する内容も増え、信頼性の確保には不利となる。
しかし中島は軍の期待に応えようと無理をする傾向があり、そんな状況も見過ごされていた。
その結果、小型高性能エンジンとして期待された”誉”は、最後まで稼働率の悪さに悩まされる。
それは燃料やオイルの質低下の影響もあろうが、エンジン自体の信頼性が低かったのも否めない。
それだけでなく、”誉”は生産性や整備性の悪さでも有名だった。
性能だけを求めて他の要素を軽視した結果、軍の航空開発を混乱させた罪は軽くない。
そんな事情で中島さんには、エンジン開発の統括責任者を置くよう助言していた。
しかしワンマンの中島さんと合う人も、なかなかいないのであろう。
そこで俺は、彼に脅しを掛けることにした。
「そういえば中島さん、三菱さんが本格的に空冷エンジンに取り組むようですよ。そうなると規模の小さい御社は、不利になるんじゃないですかね」
「ええっ、そうなのかい? こうしちゃあ、いられない。もっと資金を集めて、工場を拡張しなくちゃ」
「ちょ、ちょっと中島さん。統括責任者はどうするんですか?」
「とりあえず、大島さんから言い聞かせておいてくれ。頼むよ」
「ええっ、困りますよ。俺だって忙しいんだから」
あっけに取られる俺を残して、中島さんはどこかへ行ってしまう。
結局、その後しばらくは、俺がエンジン開発を指導するはめになった。
まったく、あの人には敵わないなぁ。




