44.昭和の海軍事情
昭和6年(1931年)5月 日本
それでは次に、海軍の状況を見てみよう。
海軍は日露戦争後に、多くの戦艦建造をキャンセルした。
対象となったのは、1905年以降に建造予定の筑波、生駒、薩摩、安芸、河内、摂津、鞍馬、伊吹である。
どうせドレッドノート級の登場で旧式化する運命だったので、中止を認めさせるのはなんとかなった。
東郷さんたちは、メチャクチャ苦労したらしいけど。
そしてこれら8隻のキャンセルで、おそらく8千万円ほどの資金が浮いた。
しかしこれはまだ序の口だ。
金剛型を4隻つくる一方で、さらに8隻の超弩級戦艦を葬ってやった。
それは実現していれば、扶桑、山城、伊勢、日向、天城、赤城、高雄、愛宕と呼ばれたであろう戦艦たちだ。
これらが1隻4千万円とすれば、実に3億2千万円が浮いた計算になる。
代わりに長門型を4隻(長門、陸奥、土佐、加賀)造ったので、海外から侮られる可能性も少ない。
そしてこの時点でワシントン軍縮条約が結ばれ、主力艦と空母の建造に枷が掛けられた。
約15年にもおよぶ、海軍休日の始まりだ。
しかしそうなったらなったで、条約で規制されない巡洋艦や駆逐艦の開発・建造に、各国は邁進する。
当然、日本もいろいろ造った。
史実における、1930年時点の就役艦艇数を見てみよう。
戦艦:10隻
空母:3隻(2隻)
重巡洋艦:8隻(8隻)
軽巡洋艦:22隻(1隻)
駆逐艦:54隻(43隻)
潜水艦:23隻(22隻)
合計:120隻(76隻)
カッコ内はワシントン条約後に建造された艦だ。
つまり重巡や駆逐艦、潜水艦のほとんどは、条約後に造られていることになる。
ではこの世界では、どうかというと、
戦艦:10隻
空母:2隻(1隻)
重巡洋艦:4隻(4隻)
軽巡洋艦:20隻(4隻)
駆逐艦:50隻(40隻)
潜水艦:15隻(14隻)
護衛艦:20隻(20隻)
合計:121隻(83隻)
正規の軍艦は少ないが、代わりに護衛艦艇が増えている。
これは海軍休日を見越して、意図的に建造を絞ってきた結果だ。
ただし護衛艦艇のみは、細々と艦政本部で装備を研究してきた。
そしていよいよ昭和に入り、護衛総隊を発足させたのだ。
今は堀少将(出世した)が組織を整えている段階で、今後さらに増勢される予定である。
その他の艦艇も多少は建造しているが、まずは試験的な艦をいくつか造り、優秀な艦を量産できるように考えている。
当然ながら量産性や、攻撃を受けた時の生存性など、性能以外の部分も改良を進めていた。
ちなみに1930年のロンドン軍縮条約だが、ほぼ史実どおりの結果になっている。
史実では練習艦にされた比叡が、香取に代わったぐらいだろうか。
もちろん不満の声は多少あったが、”統帥権干犯問題”などは起きていない。
そうならないよう、手を打ってあるのだから。
そんな中、鳳翔に続いて1928年に建造された空母が、蒼龍だった。
【蒼龍】
全長×全幅:251.4×33.4m
基準排水量:2万トン
出力 :12万馬力
最大速力 :32.5ノット
搭載機数 :80機
主要兵装 :38口径5インチ(12.7cm)高角砲×8基
25ミリ連装機銃×14基
排水量は鳳翔の倍にもなり、搭載機数はほぼ4倍だ。
速力も大きく向上している。
それは史実の蒼龍より、むしろアメリカのヨークタウン級空母に近いだろう。
鳳翔と同様に生産性に配慮し、格納庫は開放型。
機関にはシフト配置を採用して、生存性も格段に上がっている。
さらに舷側エレベーターの採用で、航空機の入れ替えも容易になった。
機体を露天繋止することによって、搭載機数も増えている。
この蒼龍の使い勝手を検証してから、飛龍の建造にも取り掛かった。
さらに拡大発展させたエセックス級相当の空母も、建造が始まっている。
エセックス級相当が量産できるようになれば、アメリカ海軍にも十分に対抗できるだろう。
これらの艦艇を開発・建造するとともに、日本海軍はその運用研究にも熱心だ。
第1次大戦で得られた戦訓を基に、技術や理論の進歩に合わせて、見直しを繰り返している。
いずれ再発するかもしれない、世界大戦に備えて。




