43.昭和の陸軍事情
昭和6年(1931年)5月
海軍の角田・山口中佐と話してから、軍人との接触を増やそうと考えるようになった。
ここでちょっと、帝国軍の状況を見てみよう。
まず陸軍だが、日露戦争後に軍縮を実施し、平時は13個師団体制を維持している。
さらなる軍縮も検討したが、第1次大戦で列強の一角として認知された以上、これ以上減らすのはまずいと考えられた。
それでも史実の21個(1915~1925年)よりはだいぶマシだし、日本経済は大きく成長していて余裕もある。
平時でもそれなりの採用数を維持し、いざという時の動員に対応できるよう配慮する、という合意の下で、体制は維持されていた。
そして1931年といえば、日本を日中戦争に引きこんだ柳条湖事件の年だ。
先に起きていた張作霖爆殺事件も含め、日本が太平洋戦争へ向かいはじめた時期だったと言えるだろう。
しかしこの世界では、そんな気配は微塵もない。
なにしろ日露戦争後、ただちにアメリカを巻きこんで、満州(清国)への干渉を控えてきたのだ。
さらに関東大震災からの復興を理由に、旅順や大連からも撤退した。
さすがに満鉄を守るため、退役軍人による警備隊は置いているが、それも中隊規模にすぎない。
おかげで満州で陸軍が策動する余力もなければ、その動機もないのが実情だ。
そもそも陸軍が満州で暴走しはじめたのは、国民と陸軍内に鬱積した不満が背景にあった。
まず陸軍は1925年に4個師団を減らしたため、多くの者が首を切られたり、給料を減らされている。
そして1927年の昭和金融恐慌で、政府は国民の信頼を失ってしまった。
これらの不満が満州へ向かい、実効支配しようとしたのが柳条湖事件であり、後の満州国建国だった。
この柳条湖事件は、石原中佐と板垣大佐が主導したものだが、陸軍中枢にもその支持者は多かった。
ある意味、起こるべくして起こった事件であり、単純に誰が悪いと言うのは難しい部分がある。
しかしこの世界では、日露戦争後も継続的な経済成長が続いていた。
それによって国力は増大し、国民の生活はかなりマシになっている。
そのため政府は国民に支持されているし、軍部の統制にも成功していた。
あいにくと軍人の出世スピードはゆるいものの、物価の上昇に合わせて、多少は給料も調整されている。
しかも軍を辞めても、いくらでも仕事があるのだから、不満は相応に少なかった。
まさに経済成長こそ正義、である。
そんな陸軍が普段は何をしているかというと、日々、訓練と戦訓の見直しに明け暮れている。
どんなに平和な期間が続いても、来たるべき戦いに備えるのが軍隊である。
そして日本陸軍の主敵は、やはりソ連軍だ。
幸いにも清国と正統ロシア大公国が間にあるので、直接国境を接することはない。
しかし両国は決して強くないので、ソ連の侵攻を受ければ、ひとたまりもないであろう。
そこで日本は清国、正統ロシア、そして韓国と同盟を結び、防衛体制を整えていた。
一般にこの体制を、”極東同盟”と呼んでいる。
ちなみに各国の人口規模は、だいたいこんな感じだ。
清国 :3000万人
正統ロシア:1000万人
大韓帝国 :1700万人
大日本帝国:6500万人
人口規模からしても、工業化度からしても、頼りにされるのは日本である。
史実と違って、宥和政策を取っていることもあって、外交関係は良好だ。
それでも油断は禁物だが、やはり共通の敵を持つというのは大きい。
そのため陸軍は、清と正統ロシアへの技術供与や物資援助により、大陸側の守りを強化することに励んできた。
当然、いざという時、いかに迅速に兵を送るかも研究している。
その一方で、南洋諸島の防衛も海軍と共同で進めていた。
そんなの当たり前だと思うかもしれないが、史実ではそれが全くできていなかったのだ。
日露戦争の旅順攻略でもあった、”海軍の領域には、陸軍はいっさい手を出すな”、というあれである。
おかげで史実では、島嶼防衛の計画がろくにできておらず、要塞の建設も泥縄式だった。
もしも戦前から陸軍が関わっていれば、もっと有効で効率的な抵抗ができただろう。
もっとも陸軍だって、”大陸側には、海軍は手を出すな”、と言っていたのだからお互い様だ。
昭和の帝国軍は、いろいろな意味で残念だった。
幸いにも改革の進んだこの世界では、陸軍も早くから島嶼防衛に参加している。
ただしワシントン条約で、南洋諸島の要塞化は禁止されてしまったので、あくまで計画上の話だ。
我が軍は南洋諸島の各地を調査・測量し、いざという時に迅速に建設できるよう、計画を立てている。
しかも建機などの技術進歩を考慮し、定期的に計画を見直す周到さだ。
それから陸軍部隊の機械化も、徐々に進展していた。
なにしろ25年も前から、工業力の育成に努めてきたのだ。
その技術力・生産力は史実より格段に進歩し、性能や信頼性も高い。
あいにくと日本にはまだ中流層が少なく、大規模な市場は形成されていないが、官需はそれなりに順調だった。
師団数が少ないのもあって、各隊の機械化は着実に進展している。
トラックだけでなく、バイクやジープ風自動車、建機の導入も進んでいるし、戦車の開発も史実を大きく上回っていた。
しかも陸軍は、自動車や建機の運転技能習得を、兵役のメリットとして宣伝していた。
数年の兵役を終えれば、就職に有利な技能が身につくということで、庶民にも人気が高い。
これはいざという時の予備役兵を増やすだけでなく、部隊の機械化推進や自動車産業の振興にも役立つとして、積極的に進められていた。
銃砲についても、佐島の支援で装備更新が進んでおり、その戦闘力には侮れないものがある。
この世界の日本陸軍は、史実とは比べ物にならない存在だ。
ちなみに航空隊も順調に拡充されているが、海軍もまとめてやるのは、さすがに手狭になってきた。
そこで海軍にも航空隊を設立し、独自に作戦を立てることが可能になっている。
ただしバラバラに開発をするのは非効率なので、開発部は陸軍側に置き、海軍はそこへ注文を出すような形にした。
さすがに海軍は不満そうだが、史実で起きたムダはだいぶ軽減されている。
このようにして陸軍は、来たるべき事態に備え、着々と準備を整えていた。




