23.ヴェルサイユ条約
大正8年(1919)1月 東京砲兵工廠
ドイツの降伏後、パリで講和条約が討議される一方で、東アジアにも大きな変化が発生していた。
「正統ロシア大公国が成立したそうだな」
「ああ、ようやくだ」
「よっしゃ。これでアカどもと距離を置けるで」
ウラジオストックを首都とする正統ロシア大公国が、極東・東シベリアの地に誕生したのだ。
それはロシア革命に各国が干渉しようとした、シベリア出兵に端を発する。
史実では日本が欲をかき、だらだらと派兵しつづけた挙句、手ぶらで引き上げた軍事行動だ。
しかしこの世界には、多くの情報を持つ俺たちがいる。
そして俺たちはこの機会に、親日的なロシア政権を東アジアに打ち立てることを目論んだ。
そのため日本軍はまず、アメリカ軍と協調してウラジオストックを制圧し、バイカル湖方面へ兵を進めた。
名目上は、ロシア内で孤立したチェコ軍団を救うことになっていた。
しかしその裏でイギリスと協力し、ロマノフ王家の保護に動いた。
そうして元皇帝のニコライ2世と、弟のミハイル大公を一家ごと確保に成功する。
残念ながら多少の犠牲は払ったが、十分にその価値はあっただろう。
彼らの身柄を確保すると、今度はロシアの白軍(反革命派)に接触し、東アジアへの集結を促した。
そしてニコライとミハイルをウラジオストックへ送り、建国の準備を進める。
ここで誰を君主にするかで少し揉めたが、ニコライ2世が身を退いてくれた。
失政でロシアを滅ぼした自分より、人望のあるミハイルの方がいいだろう、と。
その結果、ミハイル大公を君主とした、立憲君主制の正統ロシア大公国が樹立される。
彼らは父祖の地を失っていることから、あえて帝国は名乗っていない。
おかげで、”帝政は嫌いだけど、共産主義はもっと嫌い”、というロシア人が協力しやすくなった。
やがて東アジアに、デニーキンやコルチャーク、セミョーノフらが率いる白軍が、続々と集まってきた。
史実では各個撃破されてしまった白軍だが、まとまればそれなりの戦力となる。
さらに日米の後押しもあり、バイカル湖より東の地域を確保しつあった
それに加え、他国へ亡命していた知識人が集まってきて、政府も形が整いつつある。
そしてそれを支えるのが、ロマノフ王家の莫大な財産だ。
なにしろ当時のロシア皇帝は、世界最大の資産家と言われたほどである。
革命のどさくさで多くが接収されたとはいえ、まだまだ残っている。
彼らが身に着けていた宝飾品だけでも結構なものだし、イングランド銀行に預けられている資産には、数千万ポンドの価値があるという。
他に白軍が手に入れた金塊などもあり、それらを元手に正統ロシア大公国は、急速にその体制を整えていった。
日本としては、史実で7年も続けていた出兵が、ほんの1年ちょっとで終了した。
おかげで戦費は節約できたし、英米と揉めてないので、またちょっと信頼感が増しただろう。
今後は正統ロシアの守りを固めつつ、支配地の開発に協力していく予定だ。
終戦で行き場のなくなった資本と製品が流れこめば、日本の戦後不況も緩和されるだろう。
正統ロシアは日米の協力なしでは生き残れないので、こちらが無理を言わなければ、良い関係が築けるはずだ。
ほぼ理想的な結果と、言えるんじゃないかな。
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
大正8年(1919年)7月 ドイツ
とうとうベルサイユ条約が調印され、第1次大戦が正式に終結した。
あくまでドイツとの講和条約が結ばれただけで、他国との交渉は残っているが、大きな山場は越えた。
これまでにスカパ・フローでのドイツ艦隊自沈は、きっちりと阻止してある。
これは1919年6月に、抑留されていたドイツ艦隊が一斉に自沈した事件だ。
その結果、抑留されていた74隻のうち、戦艦15隻、巡洋艦5隻、駆逐艦32隻が沈んだ。
それを実行したロイター提督らの気持ちは、分からないでもない。
戦いもせずに艦隊を引き渡すことは、海軍軍人として耐えがたいものがあっただろう。
しかしその代償は大きく、ドイツ国内に残されていた艦艇や設備を、ごっそりと持っていかれてしまう。
それらが残されていれば、もっとドイツの復興は楽だっただろうに。
軍人のプライドと引き換えにするには、高すぎる代償だった。
そこで日本海軍も、抑留艦隊の監視に参加させてもらっていた。
そして艦隊内に諜報員を送りこみ、自沈計画を探り出したのだ。
即座に監視責任者にそれを報告し、自沈は避けられた。
おかげで抑留艦隊は無傷であり、余計な取り立てなどはしなくて済むだろう。
もっとも、艦艇をどう分配するかで、揉めるのは分かっている。
接収艦艇を使いたいフランスとイタリアに対し、イギリスは戦力バランスが崩れるのを嫌って、解体処理を望んでいるのだから。
まあ、その辺は勝手に話し合ってもらおう。
日本は戦艦を要求する気はなく、ドイツの技術を調査できればいいのだから。
ドイツ艦の堅牢な設計思想や、Uボートなどの最新技術は手に入れる価値がある。
どうせしばらくしたら、ワシントン条約で戦艦の保有は制限されるのだ。
それなら技術だけ手に入れて、国内で研究開発を進めればいい。
そしてその技術獲得のために、俺たちは精力的に動き回った。
「おい、あれ、マッケンゼンじゃねえか? あっちはグラーフ・シュペーだ」
「おお、あの幻の……」
「こっちにはUボートもあるぜ。こいつは調べがいがあるな」
俺たちはドイツの海軍工廠で、未完成の艦艇を調べていた。
マッケンゼンにグラーフ・シュペーといえば、3万トン級の巨大戦艦である。
ただし進水まではいったが、途中で建造が中止され、未完成のままだ。
さらにUボートや魚雷艇などの、ドイツ製品が目白押しである。
俺たちはそれを調べさせてもらいながら、日本へ持って帰る現物を漁りまわった。
もちろん、賠償金の減額と引き替えにだ。
今回の大戦では日本も積極的に戦ったため、少なくない賠償金の割り当てを得ている。
しかし賠償金が完済されるまでには何十年も掛かるし、いずれ大恐慌のあおりで支払いは停止される運命だ。
それぐらいなら、少しでも役立つ機械の現物や、技術を持ち帰った方が有効である。
その他にも、ドイツの民間企業を訪問して回り、目ぼしい技術やライセンスを買い漁った。
敗戦直後でインフレの嵐が吹き荒れていたので、想像以上の成果が得られている。
ハーバー・ボッシュ法も契約できたぜ。
これでまた、日本の工業化を加速できる。
夢が広がるな。




