2話
召喚されて三日、勇者を石化から目覚めさせるためにあれこれやっているが、未だ成功していない。いままでの記録を借りたが、食べ物を供えた、水をぶっかけた、楽団が演奏したこともあるという。これに比べれば初日の俺の呼びかけはそよ風みたいなものだ。
「体調はお変わりないですか?」
「ああ、お変わりなし、です」
顔を合わせるたびにアンはニコニコして体調を気にかけてくれるので、『お変わりなし』は俺たちの合言葉のようになってきた。また、城内に出入りする人たちの中には”異世界人”に興味津々の人も居て、ときどき日本の話をすると盛り上がった。割り当てられた城の一室で食事や備品に不足がなく過ごせるよう、とても親切にしてくれてありがたい。
城と、通路で繋がる霊廟の敷地から出る事は禁止されているが、これは敷地内だけが”異世界人”に対応した環境を保っているのと天魔からの防御を兼ねているそうで、一歩出たらたちまち言葉すら通じなくなる可能性もあると聞いた。
幸か不幸か、敷地の外側は天魔に脅かされているという実感が無い。
城内でアンに尋ねた。
「天魔について教えてほしい」
「うーん……では、見ますか?」
狭い螺旋階段をグルグル登り息切れしたが、アンは平気そうだ。
「はぁっ……屋上にこんな場所だったのか……」
扉を開けて出たそこは何組かのテーブルと椅子が備えられ、テラスとして使えるようになっていた。5階程の高さで、遮るもの無く周囲を見渡せる。アンは海賊が持っていそうな望遠鏡を貸してくれた。
「指先の方向を覗いて」
それはすぐに見つかった。
黒いホームベース型の膨れた胴体には頭や首が無く、不釣り合いに細長く折れ曲がった足が何本も伸びている。シルエットからはカメムシを思い出した。この距離から推測して……乗用車程の大きさか。
「うっ……うようよ居る!」
目が慣れると、あっちの街路樹の傍に一匹、そっちの通りに数匹といった具合にあちこちでまっ黒な天魔が蠢いている。
「あんなにたくさん街中に居るとは気味が悪いな……ババリンダス部隊長はあれと戦っているのか……」
「倒しても倒しても、数が減ることがありません。根本的な解決に至らないのです」
俺の顔色がよほど悪かったのか、「お城の守りは万全ですから安心してくださいね!」と力強く励ましてくれた。
鐘が鳴り響いた。
「あっ、会議の時間なので失礼します」
アンは螺旋階段を降りかけてふと、立ち止まり振り向いた。
「あの、ありがとうございます」
「ん?」
「私たちの状況に心を寄せてくれたこと、助力してくれたことです。召喚される相手は、幼子かもしれないし理解を得られるかもわからない……実を言うと、人選を不安視したのはババリンデスさんだけではありませんでした。それでも私は僅かな可能性に賭けました」
「召喚に応じてくれたのが、あなたでよかった」
笑顔でそう言うと、返事は聞かずに駆け降りていった。
『ありがとうございます』
『召喚に応じてくれたのが、あなたでよかった』
アンの言葉が頭の中から離れない。
ありがとう、なんてこっちのセリフだ。
みんなは俺を、あくまで異世界からの客人として扱い、勇者復活が難航しているのに、誰も急かしたり責めたりしない。
何もできていない。まだ仕事を果たせていない。
気がつくと祭壇にいた。
石像は一ミリも変化していない。口元の微笑みも今はひどく場違いでのんきに思える。人々の期待も、恐れも知らずにいつまで眠り続けるつもりなのだろう?
突然ふっ、と。
永い眠りを覚ます究極の方法といえば――キス。
「いや、いやいやそれはない!」
メルヘンすぎる思いつきをすぐさま打ち消す。ここにいるのはお姫様じゃなく勇者!
でも……勇者を目覚めさせるためだ、と自身に言い聞かせる。そうだ下心はない。
誰もやっていない事にこそ、アンが話していたような、僅かな可能性があるんじゃないか?
霊廟に人気はない。
鼓動が速くなる。
落ち着け、俺。
…………
……冷たいな。
1秒、2秒。変化はない。
もう一度確認する。ない。
気持ちは少し下がったが、代わりに新しい作戦を思いついた。
運良く、アンとババリンダスに相談する機会を作れた。
「勇者様に危機が伝わっていないかもしれない?」
「この城の守りは万全ということは、勇者も守られて安心しているのかもと思って。だったら、どうにか天魔の危険を伝えられませんか。俺を接触させたのは、勇者は眠ったまま周囲の変化を感知できる力があるから、じゃないですか?」
「古文書によれば確かにその通りです」
「だが、天魔を接触させるわけにはいかないよな。死骸を用意するか。アン執行としてはそれでも嫌だろうが……ここは柔軟な判断をしてほしい」
「例え死骸でも聖なる霊廟に天魔を入れるのは避けたいですが……」
ババリンダスの指摘通り渋い顔でしばらく考え込むと、「解体して一部を使いましょう。私が責任を取ります」と言い切った。
けれど、結局この作戦は実行しなかった。
「お客人、あんた何かしたか?!」
部屋の扉をノックするや否や珍しく慌てたババリンダス部隊長が入ってきた。
「何って……ななな何も」
アレの事か?言えるわけない!
「とにかく来てくれ!」
霊廟には既に騒ぎを聞きつけたらしい人々でごった返している。アンが最上段の椅子の背に手を置いて、真剣なまなざしで石像を見つめている。
「あっ」
灰色の石像に鮮やかな色がついていく!
小さな点から氷が溶けるように、徐々に広がっていく。固唾を飲んで見守っていたが、ババリンダスの舌打ちが聞こえた。同じ黒制服の隊員から何か聞いたようだ。
「チッ、このタイミングでか!」
人をかき分け霊廟を飛び出した彼の背中を俺も追いかける。
「天魔の大群がくる……! 勇者はもう目覚めている! 両者はぶつかるぞ……今日! これからだ!」
俺は城から出られないが出入り口から、あの巨大カメムシもどきが目に入った。目抜き通りの向こうから互いにぶつかり合いながら、真っすぐに城前の広場へ向かって押し寄せてくる。
「う゛!」
「勇者復活に感づいたとでも……? あんたは仕事を果たした。できることはもう無えから戻ってろ!」
ババリンダスは、広場をずんずん歩いていく。彼はいつも大声でぶっきらぼうだが、話す内容は理不尽じゃない。
「ここからは、俺たちの仕事だ」
「……頑張って!」
そう言うのが精一杯だったが、口の端だけでニヤリと笑って応じた。
「隊員たち、集まって陣形を組め! 奴らを食い止める! 一匹残さず駆除だッ!!」
「応ッ!!」
「進めーーッッ!!!」
隊員たちと天魔はちょうど通りと広場の境の辺りで激突した。各々が抜き放った刃が煌めき、次々と天魔を突き刺す。無駄のない連携で撃破していくが、新手が湧いてくる。
「キリがない……!」
通りへ押し戻せない。もしも奴らが広場へなだれ込んできたら数で押し負ける。
だが、城の上から誰かが叫んだ。
「国を食い荒らす漆黒のしもべども!僕が相手だ!!」
さっとひと跳びで広場を越えると瞬く間に天魔を斬り伏せた。動いたと思った次の瞬間に奴らは破片と化す。速すぎて見えない。
あの人こそ勇者に違いない。
明らかに天魔たちの注意が隊員から勇者に向いた。依然、数では有利な奴らはうぞうぞと取り囲んでしまった! 潰される!と思った瞬間、バシッと鋭い音がし、全ての天魔が仰向けに吹き飛んでいた。もがいている隙にトドメを刺す。
「寝起きの相手にしては刺激的じゃないか。この僕が戦うからには、これ以上勝手はさせない」
いつの間にかアンが隣に立っていて、うっとりと呟く。
「さすが、伝説通りの戦いぶり……どうしました?」
現実離れした身体能力、それに想像よりも低音域の声、『僕』という一人称。
「勇者って……お、おと……?いや、おん……な?」
「あら、勇者様は天の御方、そんなの些末なことですよ! ウフフフ!」
「些末かなぁ〜?!」
ああ、でも。
「勇者が目覚めてよかったですね。屋上で話してた事だけど……俺の方こそ、信じてくれてありがとう」
「……はい! 見事、私を賭けに勝たせてくれましたね!」
俺は思った。アン、褒め上手って言われない?




