第六章 願い、祈って 2
私は、発生したばかりの塵でした。
まだ小さく、脆弱で、他の同胞と混ざって消えてしまいそうな、儚い、儚い蟲でした。
私が発生した時、まさに、使命を終えた同胞が、命の海へと帰ってゆくところでした。
たくさんの感情が、私達に流れ込んできたのが分かりました。
また一歩、私達が命に近づいたのを、全ての同胞が感じとれたことでしょう。
しかし、その時私は、目の前で多くのモノが零れ落ちるのを見ました。
注いでも溢れてしまうもの。
滲み出ては消えて、掴めずに手に入れられないもの。
けれどそこにある、愛おしくも、輝かしい何か。
きっと、その飽和し続けるものこそが本質なのだと、私は思いました。
私には分かりません。
同胞が、その時なにを感じていたのか。
人間として生きた同胞が、人間としての死を前に、何を思うのか。
それはとても、輝いて見えて。
私は、その輝きに惹かれたのです。
取りこぼすには惜しい。
このまま無に帰してしまうには、同胞にとって損失だろうと思いました。
ならば。
この死にゆく同胞が抱え込めないのであれば、何の使命も与えられていない、発生したばかりの私が抱えましょう。
しかし、所詮は生まれたばかりの小さなエネルギー体。
老いて死ぬまでヒトの概念を取り込み続けた個体のソレを、私が受け取れるはずもありません。
私は、同胞に助けを求めました。
『今、溢れていくものが見える。それを取り込めるよう、手を貸してほしい』
そんなものはない。
見えない。
知らない。
でも、同胞が最後を迎えるのは、喜ばしいことだ。
滅多にない同胞の死に、まだ導を選べていない同胞は、沸き立っていました。
私達は、主たる一に導かれるもの。
主の干渉を受けられるようになるまで、小さく、か細く、次元越しの感情を得て生きるモノ。
指標もなく、ただ彷徨うだけの私は、主を知る前に、彼女を知りました。
そっと次元の穴に近づいて、溶けて消えゆくモノに、そっと近づいてみました。
瞬間、首をくくった同胞が、こちらに何かを投げ渡してきたのです。
『これは主にはいらないものだから。けど』
強制的に与えられる感情は、重く、激しく、せっかく構築された私が、かき消されてしまうほどに強く。
『翔ちゃん、悲しむかなぁ』
ごめんね、と。
彼女は今際に、死に逝く己ではなく、他者のことを思ったのです。
何故。
己の本質に抗えないながらも。
何故、ヒトを想うのですか。
同胞は、己が生み出したものを、主に明け渡すことを拒みました。
捨て去ることを認めなかった、とも言うのでしょう。
暴れる感情が、私を勝手に作り替えていく。
周囲の同胞を巻き込んで同化し、発生したばかりの私の存在は、強度を増しました。
私は私達となり、たくさんの使命と、渦巻く感情が、常に私を苛めました。
悲しく、嬉しく、時に怒って、拗ねて。
不貞腐れて、でも、楽しかった。
その記憶の中に、傍らには大抵、少年がいて。
私達を、記憶と感情が塗り替えていく。
己の本質すら書き換えられようとしているのに、不思議と、忌々しくはありませんでした。
『ごめんね。いままでずっと、みんなを騙してしまって。翔ちゃんも、お母さんもお父さんも』
同胞が、立っていた椅子を蹴りました。
首に負荷がかかって、呻きながら、苦しみながら、命が細く、千切れていきました。
けれど、その間ずっと、私には。
ずっと、同じ輝きが、見えていた。
『私は、ちゃんと、翔ちゃんのいいお姉ちゃんで、いられたかなぁ?』
贖罪は意味をなさず。
本能からも逃れられず。
あるべき生き方から、降りることができない。
こと私達は、その性質が強いのです。
主は己であり、己は主である。
全て、細い概念で、繋がれている。
だから、身体的に生きられるはずだった同胞が、性質通り死を選んだことを、私は当然のことと思います。
しかし、彼女は捨てられなかった。
誰かに受け渡すことを望んだ。
主に必要のないものを。
彼女に、必要なかったものを。
必要なくとも、失くしたくないほど、大切だったのでしょう。
溢れ続けた感情を私に預けられた彼女からは、とても甘い香りがしました。
彼女は安堵したのです。
憂慮すべき物事がなくなったと。
きっと、己から死にゆくモノにしては、おかしな顔をしていたでしょう。
『よかった』
優しく、穏やかで、ふんわりとした、わたあめのような感情を。
『翔ちゃんを、おねがいね』
きっとヒトは、祈りと呼ぶのです。




