第六章 願い、祈って 1
「──と、言うわけで、リルを取り戻しに行きます」
数日実家で過ごし、翔矢は灘市中心部に帰ってきた。隼人に関係者を集めてもらって、近況と今後の計画を決める。
「なにが『と言うわけで』なんだね……」
隼人は困ったように額を抑えた。
実家での事柄をざっくりと説明し終わり、最後に告げた言葉への返事だ。
「まぁ、企業の本社というか灘市にある支社にいると仮定したら、俺単独で侵入はできます。どこにいるかまでは分かんないっすけど、そこは虱潰しで」
翔矢の幻光蟲の使役能力が認識阻害に振り切っている事。
瑠璃は六歳で亡くなっており、翔矢が産まれた時には既に死亡していたこと。
翔矢が瑠璃だと思っていた人間は、幻光蟲による複製体だったこと。その幻光蟲が役目を終えて消滅する際、複製体が自死という行動をとったこと。
瑠璃の記憶が回りの人間から消えたのは、元々いなかった人間が存在していた事実に対する世界の修正力であること。
そして、翔矢が世界の修正を拒み、幻光蟲を使って己と両親に幻光蟲が本物の瑠璃だったと暗示をかけていたこと。
諸々の説明を終えて今後の指針を上げると、真っ先に反対したのは幹久だった。
「あのねぇ、まぁ幻光蟲絡みでいろいろやってるけど、表向きは腐っても医療関係の会社だよ? 当然クリーンルームとかあるわけよ。工場だってあるし、医薬品も作ってる。そんな場所に土足で入り込んだら医療事故に繋がるし、いち社員として容認できないね」
「そりゃてめぇは認めらんねぇだろうよ幹久。元はお前のせいだし、お前のメンツにも関わんだろ?」
「それは承知の上っすよ。入り口だけ、入り口だけちょこっと開けてくれたらいいんす!」
ばちん、と両手を合わせて頼み込むが、当然聞いてくれるはずもない。
彼は会社員だ。そもそも現段階で、機密保持に接触している可能性もある。かなり危ない橋を渡っているが、こうした情報提供がやったことに対する落とし前のつもりらしい。
「入り口ちょこっとだけって……俺のカードキー使ったのバレるじゃん、嫌だよ解雇ものだよ」
「そこを何とか! 入った後は迷惑かけないっすから!」
「入る前から迷惑かけてるっての!」
「なんすか! どうせ研究施設っぽい所にいるに決まってるっしょ⁉ だいたい環奈さんも言ってたけどアンタがリルの情報流したからこんなことになってるんじゃないすか!」
「僕は仕事をしただけなの! こんなことになるとか思ってないじゃん!」
幹久の言葉も最もだ。彼は上司から頼まれた仕事の一つを果たしただけに過ぎない。
その時は裏世界から出てきたとしか聞いていなかったし、まさか翔矢の親族を真似た幻光蟲だと思わなかったのだ──翔矢にとって、因縁があったことも。今彼が、奪還しようと画策していることも。
全てが想定外だ。参った、と幹久はあれから頭を抱えてばかりである。
「ってか、池添さんたちが関係あるって知ってたら情報出さなかったからね⁉ 僕は嫌だよ君たち敵に回すの!」
「ほほう? どうしてだね」
「どうしてもこうしても! レジェンド呼ばわりされてる元機動隊隊長に、その元部下で今は幻光蟲案件専門の刑事に、突然現れたエース級の篭鐘使いっすよ⁉ こんなん相手にしたくないに決まってんでしょう!」
喚く幹久に、彼を覗く三人は距離を詰めた。
「なら、今取るべき行動は分かるね?」
「別に片棒担げっつってるわけじゃねぇんだよ。俺も乗りかかった船だから付き合ってるだけでな?」
「場所! 場所さえ教えてもらえれば、後は迷惑かけないっすから!」
「うそだぁ! 後で詰められるのこっちなんだよ⁉」
押して押して、押しまくる。なんだかんだ幹久は面倒見のいい男だ。とにかくやれるだけ説得してみよう。
「幹久さんからしたら俺らってお得意様じゃないっすか。最近臓器提供のための臓器の入手先、ほとんどこっち……ってか、俺に回してるっすよね。評判いいんだって言ってましたよね?」
「そ、れは、うん。そうだけど──」
「別に人殺そうってんじゃないんすよ俺だって。俺は姉ちゃんを忘れないために、姉ちゃんの模倣品の記憶を持ってるリルがいる。そっちが何考えてるかわかんねぇっすけど、また現れるかもしれない実験道具と、今後縁が切れるかもしれない好都合な存在、どっちが重いんすか?」
「それは僕に聞かないでよぉー! 決めるの僕じゃないし! なに、そんなに僕を追い詰めたいの⁉」
「じゃあ、幹久さんが詰められないくらい大事にしてみるとか?」
物は試しで提案すると、翔矢以外の三人がぎょっとして翔矢を見た。
「……具体的に、何をするつもりなんだね……?」
「えっ。えっと、この間みたいな失敗作がまだいるだろうし、それを社内に脱走させてみるとか」
「駄目だよダメダメ駄目だからね⁉ 一般社員は何も関係ないでしょ⁉ けが人出たらどうするんだい⁉」
「それを研究所にいる人に責任擦り付ければいいじゃないっすか。隠れるのはほぼ完ぺきにできるし、大丈夫っすよ」
「……民間人を巻き込もうとするテメェの思考にドン引きだわ俺は……」
幹久は慌て、環奈は天を仰いだ。
幹久は責任から逃れられるし、翔矢も騒動に紛れて動きやすくなる。そんなに変な提案だったかなと首をかしげていると、隼人だけが険しい顔を向けていた。
「最悪死人が出るがね。肉体が異形化するほど偏った記憶や感情を得た幻光蟲が危険な事は百も承知だろう。多くの人命と、君の記憶と。君は後者を選ぶのかな?」
「勿論」
翔矢は即答した。テーブルに置いていた篭鐘が、僅かに反射して問いを投げかける。再契約してから、籠の形状がメカニカルに変化している。
鏡写しの自分から、『お前本当に正気か?』なんて聞かれているようだった。
正気も何も。
──元から正気じゃないっての。
「受け入れがたいな。君は一応、私の事務所で働いている。部下の不始末は上司の責任だ、被害が大きくなりそうな事はさせられない」
「別に俺がやりたいからやるだけっすよ、隼人さんには関係が──」
「社会と言うものはそうとも限らないのだよ。人間は責任に所在を求めたがる。君はまだ大学生だ、人生を棒に振るべきではないよ」
「なんすか、止めてるんすか隼人さん」
「そうだ。ここはもう少し幹久が社内を探るのを待って、私が──」
「それこそ、隼人さんには関係ないっすよ」
少し突き放し気味に言った台詞に、隼人は眉間の皺を深くした。
まだ人生先の長い翔矢を案じているのは分かる。まだ就職もしていない大学生の身で、前科持ちになってしまうのはあまりに酷だ。
けれど、待ってもいられない。そもそも、リルが脱走を選んだのなら、そうしなければならなかった理由があることになる。
待って控えて、今のリルが彼女でなくなってしまえば本末転倒だ。
「……今は、自分に暗示かけてないんすよ。全部覚えてる。忘れてない。でもそれは、多分リルが俺の中で姉ちゃんと結びついてるからで……あいつの存在が少しでも揺らいだら、多分一気になくなるんす。世界に消されてなくなる。それは嫌なんすよ。それに……」
「──それに?」
「あいつが元々企業に飼われてたなら、なんで脱走してまで俺に会いに来たのか、聞かないと」
リルは出会った時、翔矢に『やっと会えた』と言った。
どうやって肉体を十六歳当時のまま維持していたのかは分からない。セーラー服がそのままだったのも、十二年の間、どこで何をしていたのかも、本人から聞いていない。
仮に、翔矢に会うためだけに今まで存在を維持していたのだというのなら。
きっとそれは、翔矢が聞いておかなければならないことだ。
御剣瑠璃という人間を模倣した幻光蟲が、成り変わってから死を選ぶまで、翔矢の事を、どう思っていたのか。
本物だとか偽物だとか関係なく、今はただ純粋に、気になるだけだ。
「聞いてどうする?」
「どうするも、何もしません。ただ」
──ただ。
翔矢は一度言い淀む。
姉ちゃんじゃないと否定しながら、心は姉だと感じていた。
もしかして、本当に、姉だったのではないか?
「本当の事が知りたい。俺が姉ちゃんだって慕ってたのが、一体なんだったのか──まぁ、どんな結果であれ俺の姉ちゃんなのは変わりないんでしょうけど」
「……真実が、望むものだとは限らないぞ」
「そんなの今更っすよ。俺が姉ちゃんだって思ってたのが幻光蟲だった時点で、そんなのクソほど思い知ってます」
「……それもそうか」
「だって、自分の中にあったものがごっそりなくなって、亡くしたことにも気づかずに平然と生きるとか、怖いでしょう? 怖いんすよ。そんなの俺じゃない気がして」
恐怖は、刃の形をしている。
だからきっと、翔矢の中から恐怖は消えない。
忘れる怖さ。
忘れ去られてしまう恐ろしさ。
忘却の彼方に消えたモノを、何もなかったかのように振る舞う虚しさ。
自分だけでも覚えていたいと、エゴを振りまくことの何が悪いのか。
恐れを越え、絶望にもがき、足掻いて尚、背中合わせの希望に縋りたいのだ。
それしか縁がないから?
否。断じて否。
己が己である、証明のためだ。
「隼人さんたちはリルしか知らないから忘れることもないんでしょうけど、俺はきっと忘れちまう。一度かけた暗示を、もう一度かけることはできねぇっすから」
真っ直ぐに隼人を見つめ返す。しばらく睨み合いが続いた後、折れたのは隼人の方だった。
「……私達は、企業の研究を邪魔したいわけではない。敵対行動は最低限に。突入するのは君だけだ。一応、私達は近くで待機しておくことにしよう。社内で実験体が脱走したなら向こうの問題だが、外部にまで漏れてしまうと対処ができない。念のため、そちらに回ろう」
「えっ、隼人さん? ちょっと?」
「と、言うわけだ幹久。極力、ピンポイントの位置を彼に教えてくれたまえよ」
「えっ? えっ? 僕が内通する前提なの?」
問題なのは企業の研究内容ではなくて、その検体としてリルが使用される可能性が大きいことだ。仮に別の検体がいたとすれば、尚の事リルを使わせるわけにはいかない。
別に、翔矢としては死者蘇生自体に否定的なわけではない。気持ちは十分に分かる。
ほぼ同じ形に同じ記憶を入れてしまえば、本人と見間違えようがない。
死者の模倣品を使い、死んだという事実を生きていたという事実で上書きしてしまえば。
──本当は死んでいなかった。そう世界に思わせることも可能かもしれない。
幻光蟲か人間かの違いはあれど、実際翔矢が無意識にやってのけたことだ。不可能だとは言い難い。
けれど、それは欺瞞だ。翔矢のケースと違うのは、術者が本物の記憶を持っているかいないかだろう。
他人の大事な人間の存在を、捻じ曲げようとするのなら尚更。
「諦めなさい、幹久。どう考えても君に分がある」
「センパイたちに任せてお前は保身に走っときゃいいんだ。先輩と御剣少年がどうにかするさ」
──リルのこと、やっぱ姉ちゃんと同じくらい大事に思ってたんだな。
幹久を言いくるめようとする大人二人を尻目に、翔矢は思った。
もう否定しようがない。あの無機質で、しかし人間味が増してきた少女がいなくなるなど、到底認められない。
「だぁー、分かった! 分かりましたよ、その代わりなんかあったら徹底的にそっちのせいにするからね⁉ できる限り会社に損失出さないでよ⁉」
「それは翔矢君の暴れ方次第だ」
「まぁ、俺斬ることしかできないし、建物燃えるとか再起不能になるとかはないと思うんで……」
取り戻した後はその時に考えればいい。今度は頼むぞと言わんばかりに、翔矢は己の篭鐘を小突いた。




