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第五章 偽物と本物と、どちらでもないもの 4

 瑠璃の自室の惨状を見るのは、初めてではなかった。


 確かにあったはずのポスターに、学習机にベッド。姿見以外なくなった部屋に、かつて入ったことがあった。


 その時、瑠璃を忘れてしまうかもしれないと悟ったことが酷く怖かった。そんな時、カバーを外しっぱなしだった姿見から、声がしたのだ。


『そんなに怖いなら、忘れないようにできるよ』


 鏡の向こうの自分から言われて、まだ幼かった翔矢は蜘蛛の糸に縋る様な気持ちで姿見に近づいた。


『できるの?』


『うん、できる。でも一つだけ、お願いがある』


 自分と瓜二つの子供は、願いを叶える代償として、こう言ったのだ。


『疑わないようにしてね。姉ちゃんのこと』


 ──忘れていた。否、それすらなかったことにしたのだろう。


 今思えば、それが幻光蟲との契約だった。




『俺はお前の恐怖に惹かれたんだ。全く意味が分からねぇ。姉ちゃんは俺が産まれた頃には死んでたんだぞ? 元々いなかった、一緒に育ってすらいない、俺は一人っ子も同然だった。気づかなけりゃ死に別れた姉がいる程度で収まってただろうに、どうして記憶から消えることを恐れた?』


 幻光蟲との契約はトレードオフ。こちらが幻光蟲の力を行使できる代わりに、人間側から幻光蟲に対して、契約する個体が望む〝心〟を示す必要がある。


 翔矢の場合は恐怖だった。姉が本当はいなかった現実を拒絶した。


 自分に暗示をかけるならともかく、他人の認知を長期間にわたって改竄するなど無理に等しい。対象を両親に絞り、自身にかけた暗示を縛りにして、やっと行使ができた。


 そして、奈緒との一見で暗示にほころびが生じ、両親にかけた記憶の錯覚が解けた。こんなところだろう。


 だが、〝翔矢〟がほしい心が恐怖であるなら、今だって変わらないはず。


 共に九年間を過ごした瑠璃が、いなかったどころか模造品だったなんて。


 それは、翔矢の人生の大半が、嘘にまみれたものだった証だ。


 怖くないなんて、嘘になる。


 これ以上、食わせてやれる感情なんて、ない


「……お前、これ以上、何が欲しいんだよ」

『欲しい? なんだ、検討つかねぇのか? 簡単な事だろ』


 大鎌を肩に担ぎ、〝翔矢〟が歩み寄ってくる。


 力の象徴は錆びて輝きを無くした。最早縋るものなどどこにもない。


 〝翔矢〟は大鎌の切っ先を地面に突き立てると、翔矢の前髪を掴んで無理矢理持ち上げた。


 至近距離で同じ顔がぶつかり合う。〝翔矢〟は相変わらずにやけたままで、俺はこういうあくどい顔はしないようにしてたんだけどな、と翔矢は思う。


『なぁ、少し頭を冷やしてろよ。大丈夫だって、お前が引きこもってる間、俺がうまくやっといてやるから』


 ──あぁ、つまり。お前の場所を寄越せと。そう言っているのか。


 すっかり忘れていた。憑いた相手の感情と記憶を十分に取得した幻光蟲は、己自身が本物だと思い込む節がある。


 こいつも所詮は幻光蟲か。思わず鼻で笑うと、顔面を殴られた。


 頬の内側が切れたらしく、口内が血の味で満たされる。


「……無理だな」

『あぁ?』

「お前、俺のバイトがなんだか知ってんだろ」


 だから、無理だ。そんなことも気づかないのか。


 幻光蟲は思考ができない。或いは、できても物事を連結させて考えることができない。


 根底にある、魂がないからだ。感情は思考から生まれた副産物であり、記憶と感情を一致させて取り込んだとしても、それはうわべだけだ。


「隼人さんならすぐ気づく。始末されるのがオチだぞ」

『そいつすら欺けると言ったら? 何年お前も、お前の親も騙してきたと思ってる。できないとでも思うか?』

「思うさ」


 仮に翔矢と〝翔矢〟が入れ替わったとして、隼人がすぐに気づくだろうことは事実。彼なら穏便に事を済ませられるだろうから、後の心配はしていないけれど。


 問題は、そこではない。


 今、〝翔矢〟は翔矢の地雷を踏んだ。


 忘れていないか?


 リルのことを。瑠璃の模造品が残した、得体の知れない、けれど姉の生きた証になる存在を。


「俺が俺じゃなくなったら、誰が姉ちゃんが居たってことを証明するんだ」


 ──ずっと、考えてた。


 共に過ごした瑠璃がコピーであって、魂の伴わない模造品だったとしたら。


 ならば、過ごした時も嘘になるのか、と。


 ──理解はできても、納得はできなかったけれど。


 本物と過ごしていないから嘘になるのか。


 嘘と重ねた年月は、果たして真実と言えるのか。


 ──でも、世界を騙してまで、忘れたくなかったのは。


 そう問うことが欺瞞に過ぎない。いくら言葉を尽くしたところで、虚か真か、決めるのは己自身だ。


 仮に翔矢が知る瑠璃が、共に生きている間に幻光蟲とすり替わっていたら、偽物と過ごしていたことを認めざるを得ないだろう。


 しかし、初めから幻光蟲だった。それも、自我が発達しきっていない幼児の頃から瑠璃のフリをしてきた、精密な模倣品が、だ。


「俺だけでいい。俺だけ覚えていれば、姉ちゃんが生きてたって、証明できる」


 なら、世界にとって嘘で在ったとしても、翔矢にとっては本物だ。


 嘘なんかじゃない。ましてや偽物なんかでも、ない。


 世界すら欺いた。まだ、記憶は残っている。ただ、このままだと世界に姉と過ごした記憶を消されてしまうのは目に見えている。


『……お前、その味はなんだ?』

「なぁ、お前、ちょっと悪だくみに付き合えよ」


 口内に溜まった血を青い地面に吐き捨てて、殴られ赤く火照った頬を擦りながら翔矢は言った。


 表情が反転する。翔矢は芝居がかった作り笑いを。〝翔矢〟は突然雰囲気が変わった翔矢に対して不機嫌な真顔を。


「世界が姉ちゃんを消したかろうが、成長した姉ちゃんの模倣品があるなら、そいつを消さなきゃ完全に消し切れねぇよな」


 まだ、瑠璃とのつながりはある。翔矢の記憶以外に、姉のコピーが存在していた証は示せる。


 自分の記憶が消えるとしたら、恐らく。新しくできた、リルの消滅を待ってからだ。


 忘れたくないなら、リルに死んでもらうわけにはいかない。彼女がどうなろうがどうでもいい──とまでは、もう言えなかった。


 唯一無二の、翔矢の姉である瑠璃が十六歳まで存在していた証だ。


 なら、助ける。居場所がないなら自分が引き取るし、ダメなら戸籍を作ってもらおう。


 問題はない。人間の認知を狂わせることには、きっと慣れている。


「リルを助けてどうする、って言ったよな、お前」

「……理解できねぇ。どうしてそこまで固執する? ただの記憶にだぞ」

「分かってねぇな」


 困惑したままの〝翔矢〟を殴り飛ばし、支えがなくなったことで尻もちをついた翔矢はふらふらと立ち上がった。


 まだ、目の前の幻光蟲を使役できる。再契約は可能だと翔矢は確信していた。


「ヒトはな、記憶を積み重ねて生きていくからだよ」


 幻光蟲が狼狽えているならば、その個体に理解できない状況が起こっている事を示している。そして、幻光蟲は己の理解が及ばない現象に対して貪欲だ。


 これを餌にすれば、もう一度可能性はある。


「嫌だぞ、俺は。姉ちゃんが居なかったら、姉ちゃんと一緒に過ごした俺自身を否定することになる。それは無理だ。あり得ないし、認められない。事実だったとしてもな」


 血が出るほど拳を握りしめた後、翔矢は折れた錆鎌の柄を手に取った。


 錆を落とし研ぎ直せば、刃は再び使えるようになる。二本の柄を繋ぎ合わせ、流れた血で接着するイメージを送る。赤錆が自然と剥がれてきて、脆かった柄は艶やかな黒鋼に戻っていった。最後に錆を落とすよう、慣れた動作で大鎌を振り払えば、手元に得物が戻ってくる。


 以前のものと形状が少し違うが、間違いなく翔矢の魂そのものだ。


 恐怖は、刃の形をしている。


 やはりまだ怖いのだろう。


 リルが企業にどう使われるか分からないからだ。


 忘れたくない。


 己だけのエゴだったとしても、絶対に、覚えていたい。


『……お前を長らく見てきたが、いつもそうだな。常に自分の理想以外を否定する。受け入れない』

「そっちが受け入れるかどうかは問題じゃねぇ。もう一回戻って来いよ、面白いもん見せてやるから」

『なら示してみせろ。俺にとってまだ、お前が有用であるかどうかをな──ッ!』


 飛び退いて距離をとった〝翔矢〟が大鎌の切っ先を振るう。翔矢は先ほどと同じようにノコギリ状の峰で刃を受けた。


 今度はちゃんと止まった。心許なく震える様子もない。絡めとるように刃をいなして、翔矢は〝翔矢〟の胴体に蹴りを入れる。


 大鎌を構え直し、吹き飛んでいった〝翔矢〟の出方を窺う。


 大鎌はお世辞にも使いやすいとは言えない、トリッキーな武器だ。刃が真横についているから、振ってから引く動作を入れなければ斬ることができない。リーチを確保するために柄も刃も大型化しているが、そのぶん重量が増え、先端に重心が偏ってしまう。自分が振り回されることもある武器種だ。間合いの中に潜り込まれてしまえば、尚の事対処がしにくい。


 この点を踏まえて、基本的にはヒット&アウェイで動く。常に動き回り、先端の重心移動によって生まれた速度を合わせて刃を叩きこむ。


 至近距離で斬り合うことはしない。高速移動と一撃必殺。これが一番、馴染んだ動きだ。翔矢が慣れているのだから、当然〝翔矢〟も。


 そして、強襲以外の手は、必ずカウンターになる。


 互いの位置を入れ替えながら、強襲を仕掛け、受け流してからの反撃を食らって仕切り直し。しかし一撃食らえばそれが致命傷になるため、息つく暇がない。激しいやり取りに、〝翔矢〟の指示通り大人しくしていた幻光蟲たちが小刻みに動いて沸き立っているが、オーディエンス気取りに感じて腹が立ってくる。


  〝翔矢〟が体を反転させ、捻りを加えながら横薙ぎを振るってくる。これは読み通りで、跳躍して間合いから逃れた翔矢は、真上から重力落下も加えた回転斬りを繰り出した。


 切っ先は小さい。円弧を描く、線の攻撃になる。横に重心をずらして避けた〝翔矢〟が、体を掠めた大鎌の柄を己の大鎌で跳ね上げた。


 上空で背中を見せる形になった翔矢に、〝翔矢〟の返す刃が叩き込まれ、体を捻って無理矢理かわす。無理な動きに関節が悲鳴を上げるが仕方ない。明らかにこちらの手を読んでの動きだった。


「──っだあ、やりにくいなクソッ!」


 翔矢はまだ上空にいる。跳ね上げられた大鎌を手放さないよう、石突のすぐ近くを握っていて攻撃に移れる状態にないと判断した。


「これでどうだァっ!」


 新しい大鎌は、刃の付け根が篭鐘を取り込んだ機械仕掛けのものになっていた。何か意味があるとするなら、変形して槍になりはしないかと、直感で思ったのだ。


 翔矢の考えは的中した。柄を強く握って頭の中で槍を思い浮かべると、変形機構が作動して刃の向きが横から縦に切り替わる。


 これなら、間合いはこちらが広い。そして変形機構を持たない以前の大鎌を持つ〝翔矢〟の虚を突ける。


 体重を真下にかける。槍の切っ先を〝翔矢〟に向け、真上から落下した。


 穂先が〝翔矢〟の黒衣を引き千切り、地面に叩きつける。着弾点は左肩で、骨を切断し皮一枚で繋がっていた。


 相変わらず、血は出ていない。一度定まった能力は、変わらないようだ。


「どうだよ、俺」

『……知らないぞ、そんな味』


 狼狽えた〝翔矢〟が問うた。


 味。幻光蟲は、あらゆる感情を味に変換する。恐らくそれは、感情の根源にある意志でさえ。


 そういえば、リルの言う所にうま味がなかったな、と思った。


「どんな味だよ」

『深みがあるのに清々しい。形容しがたいが、旨いな』


 うま味と聞いて思い出すのは出汁だ。カツオ出汁に昆布だし、鶏ガラや豚骨や、全ての味の基礎を支える部分。


 なるほど、ガワだけ整えただけだから、骨組みがないらしい。要は手抜きも手抜き、鉄骨を抜いて立てたハリボテ小屋なのだ。ならば確かにボロも出よう。


「教えてやろうか、その味がなんなのか」

『……分かるのか』

「分かるさ。俺は人間だぞ? お前らみたいに見た目だけ真似た人形じゃない」


 今、この胸に過ぎっているのは。


 恐怖と、高揚と、焦りと望み。全てを纏めて一言で言うなら。


「希望ってやつだよ」


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