⑱ きゅうへん!
「うるせえ!オバン!」
夢が覚めかけてると分かっていても、ユウキは続きを見たかった。外の雨の音を直に聞くのが嫌だったからだ。でも都合よく止んではくれない。自分で動かないと、状況は変わらないんだ。
ここ毎日、帰るのが深夜0時は当たり前。いろいろしてるうちに2時頃。アパートは、引っ越してきてほとんど手をつけてない。解体待ちのダンボールがいくつもの。
「起きるか・・ふああい!」朝の7時。日曜日、今日はお休みさせてもらおう。そのため、コン詰めて作業した。イレウスの患者は症状が落ち着き、教授の根回しで消化器科病棟へ移る方針となった。果たして消化器科にいつ伝わるかは不安だが、とりあえず肩の荷が降りそうだ。やはり専門分野で診てもらうのがいい。別に、苦手分野の患者を毛嫌いしてるわけではない。
大人になると、心でも言い訳するようになるんだな・・・
チリンチリン、と自転車。ポケベルは院内のみで使えるもので、この頃は病院を離れると自宅電話しか連絡方法がない。したがって、家から離れると定期的に公衆電話に駆け込む。留守番電話を聞くためだ。だんだん暑くなってくると、電話ボックスは蒸し風呂地獄となる。
引っ越して、目をつけていた喫茶店へ。客は・・大学に近いせいか、学生っぽいのが多い。1人で来てるのは彼くらい。
「・・・」
「はいーメニュー!学生さん?」ヒゲおやじ風の気さくなマスター。
「ま、そんなとこです。じゃ、これ」
「はいよ!」
その頃、大学病院のカンファレンスルームでは・・注射当番は研修医、ではなかった。せめて休日の日は、ということで宿直明け医師が担当することになっていた。しかし、当然か・・この時間になっても、宿直医は出てこない。それはカンファレンスルームの隣にある。
詰所の横の処置室で、間宮は淡々とトレイに点滴などを載せていた。
「おはようございます!」キンキン声だ。しかし、清々しい。彼女はとにかく不透明なことは嫌いだ。そういう性格も、大学病院のカラーに合っていた。確実な答えを、即答。強気で他を追随させない。勉強し続けてそのまま医者になっても勉強一途なら、まず責める人はいない。医学の知識は「正義」だからだ。その証明の場は現場にあるから、最強の医師は現場の中でこそ輝き続ける。
ただ、彼女はメンタルが少しやられていたようだ。ここ数日のテンションが少し・・落ちてる。もちろん業務に差し支えるものではない。
「オバン・・」久しぶりに言われた。陰のあだ名だが、ユウキ以外はこの意味を知っている。せめて、彼には知られたくないと思っていたのだが・・なぜか?知られたところでどうなる。あたしの臨床経験のどこに、落ち度が?
点滴業務が終わり、宿直室をノック。
「先生!松田せんせー!」
「むにゃむにゅ・・」わずかに聞こえる寝言。
「点滴終わりましたー!」
宿直用の間食なども、研修医らが手配していた(費用は後払い。保証なし)。ドアノブにつってある。
「むにゃ。おれスッポンポン。見たい?」
「興味ないでーす!」
間宮はカンファレンスルームへ。
誰も来ていない。どこか優越感。
彼女は病棟から持ってきた何冊かのカルテを閲覧中。
「ふむふむ・・・」
各医師の記録を、自分のノートにサマライズしているのだ。今だと問題になりそうだが・・・。
「つーぎは、ハタケっちー!」誰もいないため、幼稚だろうと何だろうと。彼女は、いろんな症例をためこむ疾患別ノートなども作成している。ワープロは・・・突然消去されてしまうのを恐れて使用してないという。
各医師の名前はイニシャル、患者名も。主訴や病歴をさらに要約し、自分の考えや指摘は赤ペン。暗記すべきは蛍光ペン。クマのシールをあちこち貼る。まるで学習参考書のような、食欲そそるほどのカラフルなページが出来上がる。
「んしょ!次!」
先日の狡猾そうなイメージはそこにはなく、ただ楽しく勉学する眼鏡少女?の姿だった。
「・・・!」
何か気配に気づいた。廊下の声がさわがしい。間宮はペンを机に置き、廊下へ出た。カラカラ~、と台車が走る音がする。
「な、何かありましたかー!」間宮はナースに追いついた。
「呼吸器の患者さんが、不整脈で」
「モニターついてる、福田さんですね?」
「そうです!」
息切れしつつ、個室へ。しばらく落ち着いていたが、呼吸器がピーピー鳴っているのがすでにいつもと違う。この患者さんは以前、脳塞栓でマヒになり呼吸不全、その後人工呼吸管理。
間宮は入るなり、モニターを見た。患者は震えている。
「ぶぶ、ブイエフですよね?」思わずナースに聞く。
「え?え?」
「呼吸器はあたし、はじめてで。う、上の先生呼んでください!」
「松田先生、もう帰ったかな・・・!」
ナースは出て行った。間宮は心臓マッサージすべく、両腕を胸部中央に置いた。ところが、ブウンと患者に腕で飛ばされた。
「ぎゃっ!」
両腕をベタンとついて起き上がると、モニターはまだ大きく揺れている。しかしどうも、自分の腕のべタン、で大きく揺れたような・・
よく見ると、モニターの電極が下に落ちている。
「は?」
患者は確かに揺れてはいるが・・・脈は正常に触れてる。急いでモニターをつけなおす。
「なんだ。頻脈か、ただの」
「ただのじゃねーんだよ、ジャン!」
松田がもげそうな髪型で頭を掻いていた。
「松田先生!」
「呼吸器それ、アラーム鳴ってんぞ」
「モニターは外れただけで」
「じゃあなんで。呼吸器鳴ってんだよ。SOSだぞ?」
間宮は、まだよく習得してない呼吸器の多数のダイヤルを見入った。まだ電子表示ではない。
「どれが、どれか・・」
「あほ。患者をまず診ろや。見てもどーせわからんだろが」
「はい・・・」
「聴診して、何を聞きよるんや。何をうたがっとんや?」
「き、気胸とか」
「あほ。呼吸器つけて気胸やったら死んどるやろ今頃」
松田はとりあえず、アラームを止めた。病室が静かに。
「頻脈は高熱によるもんやろ。モニターは払いのけで。意識なくても、そういうことはあるで」
「鎮静剤が効きにくくなったとか」
「あほ。そこから考えんなアホが」
「・・・・・」
「急変があったら、まず脈とれるか見ないかんやろ」
「か、看護婦さんが急変したと言ってて。それで・・・」
「ウソ言うな、バカ。お前が勝手に走ってきたってナース言ってたぞ」
ひどい言い方・・・。ま、間宮も間宮だが。
「ゼプシスやろ。菌がまわって。何調べるんや?」
「白血球、CRP・・」
「わかっとるわいボケ。培養やろバイヨウ!」
「カテーテル感染・・」
「へー。主治医に言いつけたろ。これは臨床実地問題じゃねえっつーの。いつまでも解答付きのルパン問題じゃなえっての」
「るぱん?」
「あーしんど」
松田は廊下に出た。間宮は、すべきことをメモに列挙した。いろいろ処置するにしても、手助けがいるし報告先のドクターも必要だ。松田は・・追いかけたがもういない。
研修医があとで誰かは来るだろうから、協力はそれに要請するとして・・・そうだ、日直はたしか・・・宮川先生だ。
あたし、やっぱりついてる!




