⑯ 総回診②
よりによって、こんな時に・・しかし、最悪の事態は絶妙なタイミングでやってくる。
「主治医でしょう、あなた?」じいさん教授は冷静。
「ブ、ブスコパンはイレウスをあ、悪化させると思うので、ペ、ペンタジンを」
「たしかに動きは弱い様ですが・・麻痺性とか、あるんですよな。わしは専門じゃないから。宮川くんは?宮川くん!」
医局員らが1人1人、バケツリレーのごとく顔を向けていく。
「宮川先生は!」「実験室?」「かけろすぐ!」「内線電話だよ!」「ポケベル!」
助教授は貧乏ゆすり。
「宮川ぁ〜あいつ・・くく」松田の巨体にもたれかかる。松田はビクともしない。
「宮川は、動物実験室ですよ」
「ほう。ビボの実験か。論文の完成も近いか。おい、もういいぞ!」
教授はすでに別室に移動した。
ユウキは、院生らと協力してペンタジンの筋肉注射を行う。
「こ、これで待ちます」
「タイタイタイ!」待てといっても、痛みに余裕はない。
間宮が聴診する。
「ここですか?ユウキ先生、飲酒歴は?」
「え?ああ、飲むことは飲むと」
「あ、知らないの」
「大事?」
「ちゃんと問診してんの?」
こいつ・・ユウキも穏やかではない。しかし、人のアドバイスはまず噛まないと。
トントン、と小川が叩く。
「ユウキ先生。動脈硬化に関することを彼女は聞いてるんだ」
「虚血性腸炎?」
「それか?間宮くん?」
間宮が教授に何となく近いと察した小川は、これまでとうって変わって下手だった。相手を油断させないためには、教授の近くにいることだ。
「違います。動脈性でなく腸間膜静脈、というならまだしも」
「なっ・・」
「あたしが言ってるのは代謝系です。ビタミンB1などの欠乏です」
「そっちのほうか。ふんふん。どうなんだ、ユウキ!」
ユウキはカルテにメモしている。小川が今度は大きく叩く。
「俺の名前は書くなよ!杉さんが戻ってきて、これを見たら困るんだよ!」
そこらの数人が驚いて振り向いた。廊下から走って戻る者も。
「杉さん、帰ってきたんですか?」誰かの声。
「い、いや。杉さんは。ユウキのオーベンは・・ニューヨークだったかな。地球の裏側」
「そーでしょーか?」
余裕の笑みで、間宮は去った。
彼女は廊下に出るなり、立てかけてあった細いダンボールから、分厚い資料を抜き取った。脇のカルテの間にも資料が挟まっており、片手で左ポケットの小冊子をパサパサ、と扇子のように振った。何かのおまじないか。で、何やらブツブツ言っている。
そのまま彼女は自分の患者のところで待機した。もちろん、他の患者の回診も聞いている。手元はメモ書き。見ずに速記している。そう、文字ではない。速記術が汚い字かのどっちかだ。あとで後者と判明したが。
ユウキはぎょっとした表情で廊下から見ていた。
「・・・」
「おい。ペンタジンは聞いたか?」ハタケが出現。
「いま、マシだと」
「おい。オーベンの俺に言わないとは、けしからんな」
「すみません。表情は穏やかになりました」
「素人みたいだな。お前・・」
松田がやってきた。眠そうな顔はもともとだ。
「おいユウキ。呼吸抑制で呼吸止まったぞ」
「えっ!」
「というのはホラー」
「・・・」
「でもよ。呼吸抑制になってないか、観察しろこのトンマ」
「は、はい!」
笑っていたハタケだが・・
「いけねえ!」
突然、病室へ。
指導される側のコベンは、ユウキだけではなかった。
「・・・でして、その場合はステロイドパルスを試みることも!今は著効という例が少なく・・」間宮は中断。教授の視線を見ての反応だ。
「む?君・・」教授は、呆れた口調。
「はぁ、はぁ。すみません、ユウキ先生の対応で」
「ああ、さきほどのイレウスは・・腹痛は改善したかね」
「は、はい!」
「消化器内科の教授には、早めに転科するよう私が伝えておくから」
「ありがとうございます!」
「礼を言う場面かなあ・・ほっほっほ」
みなの表情が、一瞬にして和らぐ。
間宮はすべて終わったようで、カルテをパタン、とたたんだ。資料も大きなバッグにつめなおす。
なんと、カエルの大きな絵が貼ってある。そこには<りん>と平仮名が。
「おいおい、りんって何だよりんって」教授が去ったのをいいことに、ハタケは突っ込んだ。
「教授から、気管支鏡の組織を分けてほしいとのことでした」
「ちっ・・で。なんか質問されたか?」
「はい。なんの合併を一番気を付けますか?」
「ほう。え?俺に聞いてんのか?」
間宮はマジだった。いちおう、ハタケは呼吸器の認定医くらいはもってたと思うが。
「そ、そりゃおめえ・・感染だろうが。肺炎とか結核とか」
「ふうん?」ナめた表情だ。今ならありえないが・・・ここは実話に即している。
他の医者らも6人ほど見守っている。
「ん?」間宮はなんと、台車の上で顎を両手の上にのせ・・・まるで赤ちゃんを見るように。でも目はぎらついている。
「むむ、無数だろがっ。合併症なんて」
「えるけーでーす!」
ユウキは気のせいか、間宮のその患者がぴくっと反応したように思えた。
「間宮さん。そのう間宮先生」
「なーに?」
「あっち行こうよ」
「んで?」
「ちょっと。声、大きいよ」
「そーかな?ユウキ君は、声小さくて蚊が鳴いてるみたいって噂だよ」
「それ、誰が!ちょっと!」
みな廊下へ出て行った。
(前奏)
松田とハタケが取り残された。まるでノッポとチビの漫才コンビだ。
ようやく松田が口を開けた。何かしゃべってやらんと、友人に悪い。
「教えてあげないよ・・・」
「・・・・じゃん・・・・」
ハタケはカクっと、うなだれた。
総回診はこうして終わった・・・。
(以下、夏が来る)
夏が来る きっと夏は来る
真っ白な馬に乗った王子様が
磨きをかけて 今年こそ
妥協しない アセらない 淋しさに負けない
「何が足りない…。どこが良くない…。」
どんなに努力し続けても
残されるのは あぁ結局
何でも知ってる女王様
それでも夏はきっと来る!
私の夏はあああきっと、来るうううう!




