⑩ 閉塞(感)
ユウキは、患者のベッド柵の横で、やや形式的に会話する。
「おはようございます」
「あ・・いたた」
鼻からチューブの入っている諭吉、という60代患者は身寄りがない独身。腸閉塞で入院して3日になる。絶食・点滴中。ただ・・・
「ここは胸部内科だというのに・・・」口にはしないが、ユウキは思ってた。その他全員もそう。それだけに、つまり専門外・苦手分野ということで本能的に主治医になることを恐れた。主治医になるのを避けるのは・・なるべく現場から離れるか、誰かにそれをもっていくことだ。
腹部の診察。膨隆かな。蠕動は・・弱い。かな。尿道から出ているバルーンの色、尿量を見る。ふつう、かな。
研修医は、この無数の「かな」によって試される。
「かな」と思って、そのまま放置か。調べるか次に進むか。無数の選択肢をたどり、いい医者かそうでないかに分かれる。
「す、すみません。起こしてしまって」
「先生。わしは、いつ退院できますか」
「たい・・」
「食事はいつ食べられますか。病名は」
「えっ・・・あ、病名はイレウ・・いやいや、腸閉塞といって」
「ちょうへいせい?」
「ではなくて」
隣の患者はグオ~・・と高らかに寝ている。カーテンを引っ張り仕切った。
「腸が、その、詰まって」
「つまって・・・悪いものですか」
「まあ、よくは・・」
「だ、だったら、はよそれを取り出してくださいや!いたた!」
ここにきて、腹痛が増強。熱は出てない。腹膜炎ではないと思う。
ふと廊下を見ると、ガスマスク・・いや、先日の放射線技師。
「伝票」
「えっ?」
「撮影伝票」サッと、小さい紙きれを差し出す。
「伝票は、コンピューターで入力しましたけど・・・」
「体位がぬけてる」
「たいい・・」
「もう。体位の指示。臥位とか座位とか」
腸閉塞のガスを見るのは・・・
「臥位、じゃなくて座位で!」
「で?」
「は?」
機械が、押し車的にウィ~ンと入ってくる。
「お願いします、でしょうが」淡々としゃべるガスマスク。でも根は悪くなさそうだ。
フィルムの板を、ガチャンと取り出す。いっしょに、背中に敷く。
「この前の、救急外来で」
「は、はい」
「胸部の指示はおかしいでしょ。腹部で指示しなきゃ」
「あの指示は僕じゃ・・」
「人のせいに、しなーい」
「・・・・」
「ま、わざと腹部も映るようにしてたんだけどさ。たぶんイレウスだと思って」
「はい」
「はい、って・・・」
ユウキが廊下に出ると、ガスマスクはボタンを押した。
「発射」
妙な掛け声だなあ・・・
朝9時過ぎ。廊下の向こうのカンファレンスルームでは、研修医らが何やら賑やかだ。ナースらは詰所で輪になって立っている。
ユウキが朝8時に来たときは、間宮はもうすでに来ていた。まだあのことを引きずっている。おとなしいのが、一段と暗い。
「イレウス、どうねんや?」
反対側の廊下から、ハタケ先生がゆっくり近づいてくる。不良学生のように睨みながら。
「いま、レントゲン撮りましたんで」
「撮ったって。お前が撮ったんちゃうやろ。ケケ」
オーベンは素通りし、カンファレンスルームへ向かった。
「あ~あ、ユウキの本オーベン。はよ帰ってこんかな~・・・杉ちゃん」
自分が研修医を2人面倒見るのは、よほどお荷物なんだろう。間宮だからなあ・・・。この何日かで、彼女のうわさは聞いた。ユウキは他の大学から来たから知らなかったが、とにかく彼女は首席で卒業。完全主義で、少しでも至らないと号泣したりメンタルが不安定になる。ときに攻撃的らしい。
カンファルームに出向くと、その間宮はうなだれたままハタケの話を聞いていた。
「症例は、選べんのだって!」
「・・・・・」
「そんな不満か?循環器志望なのはわかったよ?じゃあ俺の立場、なに?」ハタケは呼吸器の院生だ。
「狭心症の患者さんを希望出してたので」
希望なんか、出してたのかよ・・・
「だれに?」
「教授です」
「きょ、きょきょ、教授って・・・おれ、いちおう君のオーベンなんだけど」
「知ってます」
「とにかくこれ診ろ。間質性肺炎」
サッと、外来カルテを差し出した。
「病歴は長くねえし、歩行もできて会話もできる。初回ならいい症例だろ?」
「・・・・・」
「ユウキを見ろよかわいそうに。いきなり消化器内科の患者だぜ。うちで本来診ない患者だから、いちいち消化器へコンサルトせにゃいかん。よりによって俺がオーベンだろ?とっとと転科の手続きしろって思ったら医局長が出張」で、うわああああ!」
今更、近くのユウキに気づいた。
「お前。いたら言えっての!」
「え」ユウキの後ろの松田が答えた。
「こいつ。何かしたん?」
「いや、なんでもねえ。宮川はまだ?」
「実験室だろ」
「野中が、コベンがはやく来い、って言ってたぞ!」
「言ってません言ってません!」
赤面した野中が、隅で座っている。
「僕、言ってません」
ハタケはケッ、と一蹴した。
「おいユウ。レントゲンは自分で取りに行けよ」
「行きます!」
ユウキは重い空気から逃れたく、すぐ出た。
間宮はまだ、うなだれて・・・
ガスマスクは、そこにいた。フィルムを面倒くさそうに差し出し
「はーい、でなおしー」
「う・・・」
近くの掃除の婆さんがニンマリする。
「ひひ。悪かった?ねえ悪かった」
「さあ」
ユウキは不機嫌に、カンファレンス室へ戻った。
「はええよ、おい!」ハタケはレントゲンをフワッペランと奪った。
「あ~、小腸ガス二ボー、いっしょか。しゃあないなあ。こりゃ待ってても」
「・・・・・」
「どうするよ?」
「・・・・・」
「お前、国家試験で消化器勉強したんだろ?最近は、どうなのよ?俺ら、呼吸器疾患ばかり診てもう長いから・・・むしろお前らのほうが詳しいだろ」
「わ、わかりません」
「考えや!」
一瞬、みなブルッた。しかし松田が制した。
「ハタケ。やめといたれ」
「おっとそやな。へへ。とりあえず痛みは・・・ブスコでも射つ?」
「ブスコパン・・・この片、不整脈が」
ガタン、とみな立ち上がった。
「不整脈っておめえ、素人か。どの不整脈かって聞いてんだよ?」
「本人の話からですが」
「ほう。患者さんが不整脈言うたら不整脈なんかい。それでお前は、はいそうですかと?」
「それ以上は分かりませんでした」
「どこで診断されたんや?」
「どこかというのは・・」
「聞かんかいちゃんと。臨床実地問題とちゃうんやで?」
ユウキは思わず野中と目があった。
「な、なに?僕はなにも」
またキーを打ち続ける。
松田は、川口・田宮の患者紹介にとりかかる。野中はワープロをパタンとたたみ、廊下へ出ようとした。
「宮川のとこか?」と松田。
「どこか、ご存じですか」
「いや、知らんけど。でもあいつの机・・」
(前奏)
みな振り向いた。
「ポリンキー、置いてた。食いかけの」
場が固まった。ハタケはククク、と笑いをこらえたのち天井を見上げた。
「おせーてあげないよ、ジャン!」
(以下、夏が来る)
私の夏は~~~~~~きっと来る!




