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異譚蒐集録 縁迎えの村  作者: 鶴喜


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7/9

7、白無垢

 緋織の部屋は、智史や安倍に用意された部屋とは反対側、屋敷の裏手に位置していた。つまり蔵は、二人の部屋からは見えないようになっているのだ。


 智史達は足早に庭を突っ切ると、ぐるりと屋敷を回り込んだ。智史はそこに裏庭が広がるのを想像していたが、それは覆される。

 縁側を回り込み辿り着く屋敷の裏手は、藪が生い茂っていた。智史や安倍の背丈を優に超えるそれらが、敷地の奥にある山と繋がり壁になっている。数歩後ずさって見上げれば、藪の向こうに緋織の部屋——二階の窓が見える。


「これは……」


 それだけ言って、口を閉じた。

 まるで敢えて雑草を生い茂らせているようだった。この先には何も無いと。女嶺家の敷地ですらなく、ただ手入れのされていない藪が続くだけだと。

 安倍が藪の中へ手を突っ込んだ。がさりと掻き分け、先へ進む。

 智史も後へ続いた。


 長いこと掻き分けねばならぬのではとやや憂慮していたが、それは杞憂に終わった。踏み込んですぐ、数歩進むと藪を抜け、開けた庭へ出たからだ。

 屋敷の壁を見上げれば、二階に窓がある。先程藪の外から見た緋織の部屋だ。一階部分に窓は無い。奥に建つ蔵の向こう側も藪に覆われ、反対側からこの裏庭を見ることも出来なくなっている。

 この空間は、緋織の部屋からしか見れぬようになっているのだ。


 安倍と並び、蔵の前へ立つ。黒い瓦屋根に白い土壁。荒れ果ててはいないが、手入れされている訳でも無さそうだ。鉄扉は硬く閉ざされており、見ただけでその重みが感じられる。屋根に程近い所に小さな窓があったが、中を覗き込めるような位置には無かった。

 扉に手を掛けたのは安倍だった。環状の引手をぐっと引っ張ると、それが錆びた音を立ててゆっくり開いていく。太陽光が中へ射し込むと、宙を舞う埃が見えた。

 安倍に続いて智史も中へ踏み入れる。定期的な人の出入りは無いのだろう。蔵の中は黴の匂いが充満していた。


 室内を照らせるような物は無く、鉄扉を通って射し込む外光と、屋根近くの小窓から落ちてくる光だけが辛うじて内部を照らしている。明るい所から急に暗がりへと入り込んだので、智史は目が慣れるまで暫くそこでじっとしていなければならなかった。

 漸く目が慣れ、ひと息呼吸を整える。微かに重たい湿気と埃が鼻腔を抜け、思わず軽く咳き込む。足元に目を落とすと、薄っすら灰色の埃が積もっているのが分かった。暫く人が入っていないのだ。

 そのままぐるりと室内を見渡した。四方の壁際には古い木箱や陶器の壺が並び、そのうちの幾つかには、傷が付かないようにと布が掛けられている。所々へ乱雑に積み上げられた道具のその多くは農具のようだったが、中には漆器や小ぶりな燭台も混じっていた。

 木で出来た長持が幾つか重なって保管され、その近くには古い箪笥が幾つかある。埃を被った屏風や掛け軸も壁へ無造作に立てかけられており、一体この蔵にどれ程の値打ちが付くのだろうと思い身震いする。


 特に目立つのは、蔵の中央に置かれた几帳だった。白地の布に赤いラインで縦に幾つか分割され、所々へ植物のような文様が描かれている。

 家紋だろうか。

 よく見ようとそこへ近付き、ぐるりと回りこんで、息を呑んだ。

 几帳とほぼ同じ幅で、黒い衣桁へ、白無垢が掛けられていた。分厚い上等な絹に、同じく白い糸で鶴や鳳凰が刺繍されている。小さな集落の権力者にしてはかなり上等な着物だ。この村での女嶺家の立ち位置が伺える。

 ただ長いこと使われてはいないのか、白無垢にも、他と同じように埃が積もっていた。


「新藤」


 呼びかけられ、はっとしてそちらへ顔を向ける。安倍は奥に立ち、一枚の古い紙を持っていた。近くには肩程の背丈の書棚が並んでおり、紙や文書の幾つかはその書棚の上に乱雑に積み上げられている。

 智史が近付くと、安倍は手にしていた紙をこちらへ寄越した。端は茶色く変色しており、長年湿気を吸い続けて波打つそれは、触ると乾いた嫌な音がする。

 破けないよう丁寧に広げて見てみれば、それは木の根をなぞるような線の群れだった。

 ——家系図だ。それも、かなり古い。

 墨で綴られたそれは所々が滲み、全てを判読するのは難しい。ゆっくり丁寧に文字をなぞった。

 一番上にあるのは——『嘉兵衛』、だろうか。その横に、読み辛いが『きぬ』と書いてある。その二人を起点として、そこから、脈々と紡がれていく。名前の特徴を見るに、江戸時代頃から続く家系なのだろう。

 現代に至るまで長く続いていくのだろうと思い目を滑らせたそれが、存外短く終わっていたので拍子抜けした。長男の元へ嫁が来、生まれた長男の元へまた嫁が来る。然程長くは無いが、代々長男が継いでいる極めて一般的な家系図だ。


 ——代々、長男が継いでいる?


 独り言ちて、その矛盾に首を振る。

 それはあり得ない。何故なら初日に緋織に尋ねた時、彼女は確かに「女嶺家は代々女が継いでいる」と言っていたはずだからだ。

 緋織の勘違いか? いやまさか。

 ひょっとして、緋織の言う「代々」とは近年ということだったのだろうか? 当初は男が継いでいたが、女児しか生まれなくなり、女が継ぐようになった。その可能性は、無理はあるが、無いとは言い切れない。

 智史は再び家系図に目を落とした。途中で女当主へ移り変わったとして、いつからだったのかを確かめるためだ。


 男、男、男、男、男、そして——。

 家系図の一番下。そこへ、ぽつりとたった一つだけ、墨が滲んでいた。


 緋織、と。

 茶色く色褪せた古い紙に、もう墨の匂いすら感じられない字で。


「これは、一体……」


 呆然と呟く。

 緋織という名の女性がかつて存在していた? ならば何故家系図が更新されていないのだろう。——否、これはかなり古い紙だ。どこかに新しく家系図を作り直した可能性の方が高い。先祖の名を貰ってそのまま子に名付けることは世界的にもよくあることだ。幾ら緋織がどこか異様な雰囲気を纏っているからといって、まさかこの、いつ書かれたかも分からぬような古い家系図のこの名前が、彼女な訳があるまい。

 この村に来て——否、安倍という男に出会ってから、己の理解の範疇を越える出来事が起きすぎて、頭の螺子が外れてしまったのだ。

 そんなことはあり得ない。だって、もしこれが緋織なのだとしたら、一体彼女は、女嶺緋織は、いつから生きているというのだ——。


 そこまで考えて、空想を掻き消すように頭を振った。余計なことを考えすぎている。一度頭を空にしようと、側にあった机へ家系図を置いた。かさりと乾いた音がし、何気なく机を見る。

 適当に置いた家系図の下に、数枚の写真が裏返して重なっていた。十枚程はあるだろうか。何とはなしに手に取り表へ向けて、固まった。


 写真はどれも、夫婦と思しき男女の写真であった。モノクロからカラーに至るまで、時を経て何枚も撮影されている。被写体も着物から洋服へ、時代の移り変わりと共に変わっていく。

 けれど写真に写るその女が、どれも同一だった。

 捲っても捲っても、男は変わるのに、その横で女だけが変わらない。

 時代と男が移り変わる中で、女だけが、時が止まったように微笑んでいるのだ。


 そして智史は、その女を知っている。


 固まった智史を動かしたのは安倍だった。短く「新藤」と呼びかけると、腕を引いて蔵を出る。どうしたのかと見上げれば、ちらっとこちらへ目線を寄越して、すぐに戻す。


「あの女が帰ってきた」

「あの女って……緋織さんが? 何故分かるんです?」

「門に少し細工をね。マそれはどうだって良い。すぐにここを離れるぞ」


 急いで藪を抜ける。衣服に着いた枝や葉を払い落とし縁側へと回り込む。本当は屋敷正面から屋内へ戻りたかったが、縁側で緋織と鉢合わせ、二人は足を止めた。


「アラ、お二人さんお揃いで」


 相変わらず美しい笑みを浮かべて緋織が言う。小首を傾げたのに合わせて、纏めていた髪から後れ毛が一本首筋へ垂れ、それがまた、女の何とも言えぬ妖艶さを演出している。


「お二人で何をしてらしたンです?」


 何でも無い質問のはずだが、蔵に忍び込んだ疚しさのせいでぎくりとする。分かっていて聞いているのでは、敢えて泳がされているのでは、などと勘繰ってしまい、どうにも居心地が悪い。答えない——というより答えられないが正しいのだが——智史に代わり、安倍が口を開いた。


「何も? 庭の散策さ」


 黒い着流しの袖に腕を突っ込んで、口の端だけで笑う。緋織の真似をするように、こちらも小首を傾げた。緋織と似た、けれど確実に違う濡羽色の髪がさらりと顎付近で揺れる。

 緋織は動かない。


「そうでしたの。古いだけの家ですから、面白い物なんて無かったでしょう」

「古いってだけで、歴史的価値があるものさ。ねえ先生」

「エッ!?」


 急に会話に引っ張り出され、思わず智史の口から素っ頓狂な声が上がる。緋織がじっとこちらを見るのが分かったので、意味も無く眼鏡の位置を直し、「も、勿論」と慌てて口を開く。


「何年ごろ建てられた建造物なのかが分かれば、時代が分かります。同年代の他の建物と比べればその時代の流行りの建築様式も分かりますし、他の年代と比べれば、その年代の建物が持つ特徴も分かる。古いものはつまり、それだけ貴重ということなんです」


 どきどきしながらそこまで答えて、横目に安倍を見た。安倍は微動だにせぬまま、緋織を見つめている。


「——そうでしたか」


 緋織がそう言って頬に手を当てた。張りつめていた空気が漸く緩んだ気がして、智史は大きく息を吸う。


「一般人の私なんかじゃあ、分からなくッて当然よね。先生、楽しめました?」

「あ、ええ、勿論です! ありがとうございました」

「ウフフ、良かった。——ア、でもそうだわ」


 頬に当てていた手を下ろして、緋織がまたこちらを見た。深い笑みに目が捕らわれる。


「うちの庭、裏手に藪があるでしょう。そこまで行かれました?」


 呼吸が一瞬止まった。

 緋織を見る。美しい笑みの奥でこちらを見つめる瞳が、智史を見ているのか、安倍を見ているのか、分からない。


「藪? ——否、気付かなかったからそこまでは行ってないと思うが。先生、気づいた?」


 安倍がこちらを見る。咄嗟に「い、いいえ」と喉から絞り出した。


「そう。ならいいンです。あの奥はずうっと藪が続いてて、手を入れてないの。危ないから入らないでくださいましね」


 美しい声がそう紡いで、また小首を傾げる。安倍が「ああ、肝に銘じるよ」と答えたのに合わせて、智史も首を縦に振った。緋織はそれを見ると、「それから、」と嬉しそうに笑う。


「お二人とも、明日の縁迎えの儀は最後まで参加してくださるンでしょ? 一番始めは夕方の六時から始まるのよ。良ければお出でなすって」


 緋織はそこまで言うと二人に背を向けた。智史や清貴の返事は求めていないようで、淑やかに歩いて家の中へ消えていく。ふわりと、その背中から甘い香りが微かに漂う。何だか分からないが、指先が僅かに痺れたような心地がする。


 ——言わなくては。検討違いだろうと、役に立たなかろうと、己の見たことを、持っている情報を、この男に。


 隣に立つ安倍を見る。

 安倍もまた、光る目で智史を見つめていた。


 二人は安倍の部屋へ集まった。安倍、智史の順で部屋へ入ると、安倍が襖を閉め、その前で小さく何事かを呟く。口元に二本の指を立てていたので、きっとまた何かしらの術を施したのだろう。

 安倍はこちらを振り返ると、畳の上に胡坐をかいて座った。


「それで、僕に何を伝えたいんだ?」


 智史が切り出すまでもなくそう促す安倍に一つ唾を呑み込む。智史も胡坐をかくと、恐る恐る口を開いた。


「今から僕が話す内容が、安倍さんの役に立つかは分かりません。でも伝えないよりは良いだろうと、そう思うのでお話します」


 安倍が何も言わず見つめるので、智史はそのまま続けることにした。


「ここに来た日、妙な夢を見ました。夢の中で僕はこの村に住む農家の息子でした。妹がいて、妹の奉公先の娘と恋に落ちました。それが、女嶺緋織だった」


 どくどくと心臓が強く脈打っている。興奮して僅かに早口になる智史とは対照的に、話を聞く安倍は落ち着いていて、智史の話を聞いても微動だにしない。


「この村も奇妙だったし、女嶺緋織も類を見ない美人だった。だから妙な夢を見たのだろうと、そう思っていました。そしてそれは、昨日も続いた。初日に見た夢の続きのようでした。夢の中の僕と緋織はもう恋人になっていて、ずっと一緒にいようと、そう約束した」


 <約束>。その言葉に少しだけ安倍の表情が変わった気がした。だがそれは瞬きの間に消えていたので、気のせいだったかもしれない。


「ひょっとしたらただ僕が舞い上がっているだけで、貴方には何の役にも立たないただの夢かもしれません。でも、さっき蔵で写真を見たら——」

「明らかに昔のものと思われる写真に女嶺緋織が写っていた」


 続けたのは安倍だった。窓の外から射し込む西日のせいか、その瞳が艶めかしく光っていて、思わずじっと見つめてしまう。この男も、緋織と似た妙な存在感がある。目を逸らしたくなるような、けれどすぐに見たくなってしまうような、妙な存在感。


「……そうです。だから、何か変なことが起きているのではと。あの夢は、夢なんかではなくて、げ、現実だったんじゃないかと——」


 安倍は「ふうん」と鼻で相槌を打つと、唇の端を吊り上げた。


「つまりきみは、女嶺緋織と婚姻の約束をしたのかい? 夢の中で」


 婚姻。

 蔵で見た、煤けた婚礼衣装が脳裏に浮かぶ。


「……はい」


 夢の中で掬い上げた女の白い手。


 開けた窓。網戸の向こうから吹く風。揺れるカーテン。氷の音。しなだれかかる女の黒い髪と、肩の細さ。


 ぐっと胎の底から何かがせり上がり、膝の上に置いた拳に震えとなって伝わった。恐怖か、興奮か、若しくはどちらでも無い何かか。

 安倍は智史のその様子を見つめると、ゆっくり口を開いた。


「新藤——」


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