4、兆し
本日より、完結まで毎週土曜日21時の週一回のペースで投稿していきます。
お楽しみいただけたら幸いです!
決して豪華では無いが手の込んだ夕食の後、宛てがわれた部屋に戻ろうとする智史を男が呼び止めた。振り返ると、男は同じように用意された部屋の襖に手を掛け、こちらを見ている。
「きみ、少し良いかい」
正直に言えば、智史はこれを断りたかった。客間でのやり取りが尾を引いていたためだ。しかし生憎と智史には拒否する勇気は無い。誰に対しても不快にならない程度の態度を取るのが染みついているのだ。なのでこれに対しても小さく是と答えると、智史はそのまま男の部屋へと招かれたのであった。
小さな文机と布団が敷かれてあるだけの部屋で、二人は向かい合わせに座り込んだ。男が智史を見て尋ねる。
「きみ、ここへは祭りや伝承について調べに来たと言ったね」
「……はい」
「それはどこで聞いた?」
威圧的、という訳では無かった。けれど決して優しい訳でも無く、例えるなら日本刀の刃のような、触れたらすっぱり切れてしまいそうな鋭い声だった。
智史はそれに直ぐには答えなかった。果たしてこの男に自分の知り得る情報を与えてしまって良いのだろうかという不信感を抱いていたからだ。
——それに、先程の客間でのやり取りを、まだ少し、ほんのちょっと、根に持っていたので。
「……何故、名前も素性も知らない貴方にそんなことを言わなくてはならないんでしょうか」
元来人に対して攻撃的な態度を取るような性質ではない智史は、これを言うだけでも心臓が痛いぐらいに跳ねるのであった。幾ら相手が得体の知れない、どちらかと言うといけ好かない男であったとしても、誰かに強く当たるのは勇気がいる。
緊張でやや湿った手をぎゅっと握り、智史は男を見つめた。
男は小首を傾げた。同時に、右側の目と眉だけを同時に持ち上げる。
「安倍清貴」
「エッ?」
「僕の名前だよ。安倍清貴」
てっきりまた刃のような言葉が返ってくるだろうと思っていたので、智史は一瞬反応出来なかった。
安倍清貴。
あべのきよたか。
あべきよたか、ではいけなかったのだろうか。なぜ<の>が入っているのだろう。<の>が入るだけで、随分と古風な名前に聞こえる。——ア、そうか。安倍晴明がいるから、古風に聞こえるのだ。
「職業は——そうだな、陰陽師というやつだ」
丁度安倍晴明を思い浮かべたところであったので、智史はまた反応が遅れた。
陰陽師。
かつては暦作りや天体観測、風水などを主な仕事とし、物語上では妖や怨霊を祓うことも出来たという。色々出来る占い師——のような認識である。聞くと思い浮かぶのはやはり安倍晴明や蘆屋道満だが、彼らが活躍したのは平安時代。気が遠くなる程昔の話である。現代では霊媒師が良く聞くところであり、陰陽師というのは終ぞ聞かない。
「あの、陰陽師……? 霊媒師、ではなく……?」
安倍は胡坐をかいた膝の上に肘をつき、面倒臭そうに答えた。
「マア、怨霊という奴なら祓うこともあるけどね。妖も専門だし、呪いも扱う。霊媒師は確かに僕達から派生した職業だが——別物だね」
恐らくは今まで何度も尋ねられてきたのだろう。詰まらなさそうな表情を浮かべた安倍が「他に聞きたいことは?」と尋ねるので、智史は少し考えて言った。
「あの、そしたらこの村には、その……妖怪がいると?」
安倍は姿勢を正して智史を見た。
「警察からの依頼でね。この辺りで定期的に行方不明者が出ているから見て欲しいと。間隔はそう頻繁ではないが——きな臭い。直近では様子を見に来た若い警官が消息を絶ったらしい」
「エ、そ、そしたら……警察と一緒に捜査を?」
「いいや? 僕には僕のやり方がある。彼らに邪魔はされたく無いからね」
安倍はそう答えると、ぱん、と軽く両手を打ち鳴らした。
「それじゃあ、次は僕の番だ。きみ、新藤……と言ったね。先程の質問に答えてもらおう」
智史の中に、先程までの不信感は無かった。
「ええと、僕の元教え子から。関東の山間部にある村に、花婿を選ぶ祭りがあるという話を聞きまして。ただ、その子も高校の同級生から噂話程度に聞いただけのようでした」
安倍が軽く首を傾け、「ンン……」と思案するように斜め上を見上げる。
「……マ、その程度なら放置しても問題ないか。それで、ここへはどうやって? 場所もその子が?」
「あ、いえ。その子は場所までは知らなかったので、僕が一人で調べました」
「へえ! すごい執念だ。地図には載って無かっただろう」
——執念。執念なのだろうか。最後は何だか意地になっていたような気もするが。民俗学者として容易に諦める訳にはいくまいと、そう思っていたのは確かだ。
安倍は薄いくちびるの片側をきゅっと上げて、「良いことを思いついた」というような顔をした。
「その執念、ぜひこの村の謎を解き明かすのに使って貰おう。明日からは、きみの調査に同行するよ」
智史の「は、はあ……?」という相槌とも返事ともつかない頷きに、安倍はぐいとその顔を近づけた。
「『こちら側』のことを聞きたがったのはきみだ。それが例えほんの僅か、たった半歩だったとしても。きみは『こちら側』に近づいた。……少なくとも、ここにいる間はね」
安倍の細い目が、一瞬金色に光ったような気がした。光の加減だろうか。
「『乗り掛かった舟』という奴さ。最後まで付き合って貰おう」
***
智史は小さな村のしがない家に生まれた後継ぎであった。
ここ数年、都の方では様々なことが巻き起こっていたと聞く。
将軍では無く天皇というのが国の頭になったのだとか、江戸城が無血開城したのだとか、決して多くはない訪問者がこの村へ訪れる度、父を含めた村の男達はこぞって都で何が起きているのかを聞きたがった。これからは外国とのやり取りが盛んになるはずだと聞いて、それを喜んでみたり、憂いてみたり、様々だ。
無論智史とて、ゆくゆくは家督を継ぐ身として、無関心でいる訳にもいくまいとは思っていた。けれど一方で、こんなチンケな村に、都が変わったからと何か影響が出る訳でも無かろうという、慢心とも嘲りともつかぬ感情が巻き起こっているのも正直なところであった。
後継ぎといっても、大層なものでは無い。ただ米を作るだけの家だ。
それでも、この家を守っていくのは他ならぬ自分であるという責任感は強く、智史は米作りにおける様々なことを、父親から熱心に教わった。
弟妹は二人。それぞれ一人ずついる。三つ下の弟と、六つ下の妹。弟は智史と一緒に父に教えを乞いながら米を作り、妹は名主の家へ奉公に出ている。
智史はこの妹の迎えに行くのが日課であった。妹の帰りが遅いのを心配してというのが勿論大きな理由だが、それだけでは無かった。
妹の奉公先には、智史と年の頃を同じとする娘がいた。大層美しい娘で、村中の評判であった。余り家から出ないために直接話をしたことがあるという者は少なく、智史も妹が奉公へ出るまでは、この娘と喋ったことなど無かった。
智史は、初めて娘と話した時のことを覚えている。
妹と手を繋ぎ、立派なお屋敷から出てきた娘は、智史を見て
「ご苦労様です」
と声を掛けたのだ。
智史は最初、自分に声が掛けられていると分からなかった。別世界に住む人間だと思っていたので、娘が自分を認識出来るとも、自分の声が娘に届くとも思わなかったのだ。
なのでその娘が見つめるのが自分であると分かった時、智史は余りにも吃驚して碌に返事をすることが出来なかった。「ハア」だか「ヘエ」だか、そんな気の抜けたような返事をして、折角のチャンスをみすみす逃してしまったのだ。
それを後悔した翌日、再び妹の手を引いて現れた娘に、智史はここで話しかけなければ男じゃ無い、と勇気を振り絞って、「何時も娘がお世話になっとります」と声を掛けたのだった。
娘は見かけに寄らずよく笑う女子であった。智史が何を話しても、楽しそうに聞いてくれる。妹の迎えの際はいつも手を引いて現れて、少しばかり会話をして、「それじゃあ」と別れるのだ。
その会話が数秒から数分、数分から数十分になる頃には、智史はスッカリこの娘のことが好きになっていた。
妹の迎えの時に一寸喋るくらいでは物足りない。初めての恋に浮かれる智史がそう思うのは仕方の無いことであった。
だから、勇気を振り絞って逢瀬に誘った時。真白い頬をピンク色に染めて頷く娘に、智史は天にも昇る心地になったのだ。
何度目かの逢瀬の時、智史は娘に結婚の約束をした。
向こう見ずな若者の、向こう見ずなプロポーズであった。
娘は良家のお嬢様。片や自分はただの農家の長男。娶ろうとも、娘の親が許すはずが無かった。
けれど、智史はそんなことはどうでも良かった。ただ愛し合う二人が共に居られれば良いのだと信じて疑わなかったし、娘もまた、感動したように潤んだ目で智史を見つめるのだった。
「もうすぐ、俺は家を継ぐ。そしたらずっと一緒にいよう……緋織」
——智史は目を開けた。障子の隙間から明るい陽の光が射し込んで、庭の木に留まる小鳥がぴちちと鳴く。昨夜枕元に置いた眼鏡を掛け、布団から抜け出した。小鳥の声に誘われ障子を開くと、美しく整えられた庭が広がる。急に現れた人間に驚いたのか、小鳥が飛び去った。
妙な夢だった。
妙にリアルで、でもあり得ない夢。
寝起きというのもあるのか、何だかぼうっとして、地に足が着かないような、ふわふわした心地がする。頭を振ってもその感覚が無くならないので、智史はぺったぺったと裸足で廊下を歩き、洗面所で顔を洗った。冷たい水で顔を洗うと、漸く少しだけすっきりした。
そのまま客間へ向かうと、既に安倍がいた。胡坐を組み、着物の袖口に両腕を突っ込んで、緋織がせっせと目の前へ白米や味噌汁を用意するのを静かに見ている。まるでこの家の主のような貫禄でそこへ座っているので、思わず智史は「ここは誰の家だったか」と思ってしまう程であった。
智史が安倍の向かい側へ座ると、それに気づいた緋織が「あら学者先生。お目覚めね」と声を掛ける。
「良く眠れたかしら? お布団も久しぶりにお客様用のを出したから、黴臭く無いか心配してたンです」
昨日と同じ、艶やかな紅い唇がそう紡ぐ。
「ア——いえ、快適でした。急にも関わらず、有難うございます」
「それなら良かった。安心しました」
緋織は安倍の前へ食事を並べ終えると立ち上がった。
「すぐに先生のもご用意しますから」
そう言って客間を出る直前、智史と緋織の視線が一瞬だけ交わった。夢の中で見た緋織の姿と重なり、何だかそわそわしてしまう。安倍が妙な顔でこちらを見るので、はっとして姿勢を正した。
安倍は箸を持つと静かに食べ始めた。その所作が余りにも綺麗だったために、智史は安倍に容易に話しかけてはいけないような心地になり——特に話す内容も無かったが——、緋織が智史の食事を用意して再び客間へ現れるまでの凡そ十分間、智史は無言でただじっと安倍が食べるのを見守らなくてはならなかった。
緋織が用意したのは、焼き鮭と味噌汁、ほうれん草のお浸しに胡瓜の糠漬け、最後に白米と、かなり一般的な朝食だった。食事を並べると緋織はこちらに気を遣ってか客間を去り、智史は再び安倍と二人きりになる。気まずい空気も食事をすれば気が紛れるだろうと思ったが、目の前で黙ってお茶を啜りながら縁側を眺める安倍にどうしても襟を正したくなるような空気を感じ、やっぱり気まずい心地で食事をする羽目になった。
白米の最後の一口を咀嚼し終える頃、黙っていた安倍が口を開いた。
「終わったらすぐに出られるかい」
「あ、はい」
お茶を飲みそう答えると、安倍は一つ頷いて立ち上がった。客間を出るのを慌てて追いかけながら、口を開く。
「あの、僕は一体何をすれば……?」
「きみはいつも通り調査とやらをすれば良い。必要な情報は手に入れば分かるさ」
上がり框を下り、安倍は草履を、智史はスニーカーを履いて外へ出る。飄々と軽く言ってのけた安倍に「そんな行き当たりばったりな」と言いかけたが、口を噤んだ。智史の前を歩くその姿が妙に自信満々だったからだ。
女嶺家の表門を抜け、村の中心広場を目指す道中、昨日は見なかった村人達が何人か見えた。大抵が家の敷地内で何か作業をしている様子で、稀に隣人と喋っている者もいたが、安倍と智史、二人が通りかかると黙り込んでこちらを見る。敵意という程鋭いものでは無かったが、警戒心が滲み出ていた。
広場へ辿り着くと、妙齢の女性が集まって井戸端会議をしていたり、子供達が輪になって遊んでいたりなどする。こちらも智史らが近づくと一様に黙り込み、居心地が悪い。緋織から話が通ってはいるのか、何人かは会釈をした。
子供達がこちらを見て何事かをひそひそ喋っている。きゃらきゃら笑い声が響き、決まり悪く頭を掻くと、それを見てまた笑い声が上がった。
子供達は暫くそんな様子で物珍しげにこちらを見ていたが、すぐに飽きてしまったのか、固まって少し離れると遊び出す。歌いながら手を繋いでぐるぐる回っているのを横目に、智史は広場の入り口付近で固まる老齢の女性達の輪の中に入った。
「こんにちは。この村について少しお話を伺いたいのですが……」
老婆達は何も言わない。智史は胸ポケットから小さなメモ帳を取り出すと、出来るだけ愛想良く話しかけた。
「僕は民俗学者でして。この村に伝わるという『緋縁様伝承』について知りたくて、ここまで来た訳なんです」
これに対して智史が得られたのは、老婆達の気まずげな目配せのみであった。
「……悪いことは言わん。祭りが始まるまでに帰った方がええ」
一人がそう言って、他が口を噤む。場に落ちた重苦しい沈黙に、どうしたものかと、右手に持つボールペンでこつこつ米神を叩いた。
「新藤」
安倍に呼ばれたので振り返る。顎でツイと他を指すので見てみれば、中央で年頃の少女達が集まっていた。皆手に扇を持ち、立ち位置や振り付けの確認をしている。舞の練習をしているのだ。
智史は未だに沈黙したままの老婆達に会釈すると、安倍と連れたって中央へ向かった。年若い少女達の方が口が軽いだろうと思ったのだ。
「こんにちは」
呼びかけると、少女達が振り返った。その内の数人がわっとこちらへ走って来て、智史の周りを取り囲むと、口々に言う。
「こんにちは!」
「緋織様が言ってた外の人?」
「ウワア、本当に外の人がいる!」
「初めて見た!」
先程の老婆達とは全く違う様子に安心し、智史は今度こそと、緋縁様伝承について尋ねてみた。少女達は自分達の住む村が注目されて嬉しいのか、「え! 知らないの?」などと言いながら、嬉々として答えてくれる。
「緋縁様はね、災害を止めるために悪い神様に嫁いだんだって。緋縁神社は緋縁様を祀ってるんだよ」
「でもねでもね、緋縁様には、本当は恋人がいたの。その人は緋縁様がいなくなって悲しくて、緋縁様にすごくすごく会いたくて、神社に会いたいですってお願いしに行ったんだって」
「そしたら、緋縁様が出てきたんだって!」
少女達はそう言って、西の方を指さした。ここからは見えないが、少女達の指を辿ると、確かに神社がある。
緋織と出会ったあの神社だ。
少女達によれば、緋縁様と婚姻の約束をしていた村の男は、緋縁様が姿を現した夜、そのまま神社で一夜を明かしたという。その後も社に通い続けたが、やがて男は死んでしまう。
緋縁様は愛する男に先立たれ、酷く嘆き悲しんだ。悲しむだけで済めば良かったが、神に嫁いだことで既に人間でなくなってしまっていた緋縁様の悲しみは、村に恐ろしい災害となって降り掛かった。
緋縁様が悲しめば悲しむだけ、それは嵐となって村へ襲い掛かる。雨風で木々が倒れれば土砂崩れとなり、降り止まない雨のせいで田畑ばかりか家々まで浸水し、災害に巻き込まれ死人まで出た。
何とかこれを止めねば。村人達は必死に考えた。
同じ男は差し出せない。死んでしまったのだから当たり前だ。なので村人達は、別の若い男を社へ向かわせた。身代わりを作ったのだ。
男は社の中で眠りに就いた。すると夢の中で、美しい娘と出会う。緋縁様だ。緋縁様は恋人が戻って来たと大層喜び、そのまま男と婚姻の契りを交わした。
するとどうだろう。災害はぱたりと止み、村は平穏を取り戻したのだ。
男は社へ通い続けたが、一年が経ったある日のこと。いつものように社で眠りに就くと、夢の中に鬼の姿をした緋縁様が現れた。緋縁様は、男が別人であると気が付いてしまったのだ。
「よくも妾を騙したな」
「あの方を返せ」
「さもなくば、村に災いが訪れよう」
そう告げて消えた緋縁様に男は大層恐ろしくなり、村へ逃げ帰ると事の次第を話した。
しかし当然ながら、緋縁様の本当の恋人は既に死んでいる。どうすることも出来ず、村人達は仕方なく、別の男を社へ連れて行くことにした。
男が社で眠ると、夢の中に大層美しい娘が現れた。緋縁様だ。緋縁様は今度こそ恋人が戻って来たと大喜びで、男と婚姻の儀を結んだ。
しかし一年後、緋縁様は再び鬼となり男の夢に現れる。
「よくも妾を騙したな」
「あの方はどこじゃ」
「村に恐ろしい呪いが降りかかるぞ」
村人達は仕方なく、別の男を社へ連れて行った。……そうして繰り返していくうちに、村人達はきっかり一年であれば、緋縁様を騙せることに気が付いた。
それ以降、一年に一度、緋縁様へ捧げる花婿が選ばれるようになった。
しかし、花婿は一年で変わってしまう。そうしなければ、緋縁様にそれが本当の花婿では無いと気付かれてしまうから。
智史は少女達に礼を告げると、安倍を伴いその場を離れた。後ろでは少女達が舞の練習を再開しており、その顔は一様に誇らしげだ。
「よくある伝承だな」
安倍が言った。
「そうですね……特に隠すような内容でも無い」
何故老婆達はあれ程にも頑なであったのか。
伝承を告げる少女達の表情とは真逆のそれが、智史の胸の裏側に、頑固な染みのように小さく残り続けたのだった。




