謎の超越者 盲目のシノン
「そんなことで、納得がいくわけないだろう……! シェリー……ッ!」
壁のクレーターに埋まり、ボロボロになりながらも、ティン・ガロは執念深く顔を上げ、空中のシェリーを睨みつけた。その瞳には、敗北の屈辱を超えた、狂気じみた執念が宿っている。
「せっかく……せっかく暗殺魔王を喰らい、最強の力を手に入れたんだ! 私はもう、お前の風下に立つ四天王ではない! 並び立ち、追い越すべき『魔王』なのだぞ!」
「残念だがね、ティン・ガロ。お前がどんなに水面で大きく跳ねようとも、大海ではその飛沫すら見えやしない。
器のない者が力を得ても、それはただの『重荷』さ。それが今の、お前の限界だよ」
シェリーが冷たく突き放した、その瞬間だった。
グラーーーーンッ!!
世界が、まるで巨大な船が荒波に飲まれたかのように、大きく、深く揺らいだ。物理的な振動ではない。
空間そのものが、あるいは「存在の定義」そのものが書き換えられるような、悍ましい違和感。
「なっ……!? 何これ、時がズレるみたいな……超気持ち悪い感覚……っ! 三半規管がバグるんだけどー!」
サヤカが頭を押さえてよろめき、キーラも花魁下駄を踏みしめてバランスを取る。鉄壁を誇るガン・シールダーでさえ、膝を突かんばかりに顔を歪めた。
唯一、シェリーだけが、何かが来るのを予見していたかのように、不機嫌そうな顔で虚空を睨みつける。
「よろしいではないですか、シェリーさん。この方たち闇の者を、正式な選出に参加させても……。多様性は、今の流行りでしょう?」
バリバリバリッ……ッ!!
雷鳴のような音が空間を物理的に裂いた。鏡が割れるように空間が崩落し、そこから、当たり前のように一人の女性が歩み出てくる。
長い銀髪を夜風になびかせ、その両目は漆黒の布で固く目隠しされている。怪しくも、神々しいほどの「格」の圧を放つその姿に、場が凍りついた。
「何しに来たんだい。……盲目のシノン」
シェリーの声に、隠しきれない苛立ちと、微かな警戒が混じる。
「ふふ……。せっかくこのティン・ガロ様が、何千年という時をかけて準備をしてきたのです。ここらで少しは報いてあげませんと。あの方の『未練』があまりに不憫ではありませんか?」
シノンと呼ばれた女性は、袖で口元を覆い、くすくすと上品に、しかし心に刺さるような声で笑う。
「……だからって、古の法を曲げるっていうのかい? 秩序の天秤を司るあんたが、随分な言い草だね。管理不足を認めるつもりかい?」
「それなら、彼に期待を持たせずに……なぜ今まで放置したのです? 芽を摘む機会はいくらでもあったはず。その責任は、慈悲深く見守りすぎたあなたにもありますよ、シェリーさん」
シノンの言葉に、シェリーが微かに眉を寄せる。シノンはさらに、目隠し越しに、盲目のはずの瞳を魔王たちの方へ向けた。
「それに……大魔王様の選び方も、そろそろ変えた方が良いと思っていたところですから。退屈な『正当性』よりも、時代は常に、美しき『混沌』を求めているのです」
「あちきのセンサーが、目の前の女を『存在しない』と判定しているよ……。サヤカ、こいつ、幽霊か何かかい?」
キーラが震える声で囁くと、サヤカはゴクリと唾を呑み込んだ。
「違うよ、キーラちゃん……。この人、幽霊なんかじゃない。……もっと、ずっとヤバいもの。世界のルールそのものを喋ってるみたいな……」
目隠しの奥から、射抜くような、すべてを見透かすような視線を感じ、サヤカは背筋に氷を押し当てられたような感覚に陥った。この場にいる誰よりも、このシノンという女性の言葉には「逆らえない重み」があった。
「さあ、皆さん。ミレニアムイヤーの舞台は整いました。闇も光も、機巧も砂漠も……すべて同じ土俵で踊りなさい。それが、私たちが用意した『最高の茶番』なのですから」
シノンの宣言と共に、アイアン・ハーツの空に、見たこともない色の星が瞬き始めた。




