カオス
「楽しい前哨戦も、もうおしまいだよ」
静寂を切り裂く、低くもよく響くその一言。テラスにいた四人の魔王——サヤカ、キーラ、ガン・シールダー、そしてフードの男が、一斉に上空を見上げた。そこには、月を背負い、退屈そうに空中に腰掛けるシェリーの姿があった。
「師匠……いくらなんでも、このメンツの前でその態度はまずいですよ。超ピリピリしてるんですから。空気読んでくださいよぉ!」
サヤカが冷や汗をかきながら、気まずそうにフォローを入れる。だが、フードを脱ぎ去った男は、忌々しげに上空の女を睨みつけた。
「フン、誰かと思えば。元・魔王軍四天王のシェリーさんではないか。わざわざ砂漠から出張ってくるとはねぇ」
「そうだね。たかが四天王の、ティン・ガロさん」
シェリーは腕を組んだまま、小馬鹿にしたように名前を呼び返す。その瞬間、サヤカの心臓が跳ね上がった。
(えっ……あいつ、ティン・ガロだったの!? 元・魔王軍人事部長の!? ビジュアル変わりすぎてアルくんだと思ってた……。あぶなーい! 告白まがいのこと言わなくて良かったぁ、恥ず死ぬとこだったぁ!!)
「……それは、つい先までの話だ。今の私は暗殺魔王の力を継承した、真なる魔王だ。四天王ごときが、この私を見下ろすな!」
ティン・ガロが殺気を込めてシェリーを見上げた時、彼女は不敵に、そして憐れむように笑った。
「面白いことを言うねぇ。一体、誰が『闇の魔王』を正式な魔王だと決めたんだい?」
「何……?」
「いいかい。ミレニアムイヤーの選出権限があるのは、古来より正当に選ばれた六魔王のみ。そして、その魔王を倒して力を継承した者だけだ。つまり、闇の勢力が参加できるのは、正規の魔王を一人でも食らった者のみ。ティン・ガロ、お前が倒したのは、所詮『闇の魔王』という名の手駒の一人でしかない。……お前には、大魔王になる権限なんて初めから無いんだよ」
シェリーの冷徹な宣告に、ティン・ガロの顔が屈辱で赤黒く染まる。
「……魔王の法に詳しいようだが。ならば、この場にいるキーラかサヤカを今ここで食らえば、文句はないわけだな……?」
「その通りだ。……だが、お前には無理だね。なぜなら、今日この時を以て、ミレニアムイヤー本戦まで魔王同士の直接闘争は一切禁止されるからさ。これは『理』に刻まれた絶対の法だよ」
「シェリー……貴様こそ分をわきまえろ! 四天王崩れの分際で、この私に口出しできる立場にあると——」
ティン・ガロが激昂し、影の刃を向けようとしたその瞬間。シェリーが、ただ静かに人差し指を彼の方へ向けた。
ドォォォォォォンッ!!!!!
「がはっ……ぁぁああッ!?」
衝撃波ですらない。ただの「意志」の奔流のような何かが、ティン・ガロの身体を紙屑のように吹き飛ばした。彼は抵抗する間もなくアイアン・ハーツの堅牢な外壁に激突し、深いクレーターを作って埋め込まれた。
最強を自負していたキーラも、鉄壁を誇ったガン・シールダーも、その異次元の力に息を呑む。
「……ちょ、師匠。やりすぎだって。街の修理代、ウチら持ちになっちゃうじゃん!」
「……貴様、何者だ……。四天王なわけがあるまい。まさか……お前が、先代の『大魔王』とでも言うのか……!?」
壁にめり込み、血を吐きながらティン・ガロが絞り出すように問う。
「ふっ……。あたしが大魔王なら、あんたらは今の一指しでとっくに消えてるさ。不愉快だね、買い被るんじゃないよ」
シェリーは妖艶に口角を上げて笑った。その瞳の奥には、居並ぶ魔王たちが逆立ちしても届かない、深淵のような魔力が渦巻いている。
「さあ、おしゃべりは終わりだ。大人しく自分の国へ帰りな。本戦の鐘が鳴るまで、あたしの目の届くところで勝手な真似はさせないよ……!」
キーラが、そっとキセルを鞘に収め、サヤカに視線を送った。
「……サヤカ、あんたの師匠、とんでもない化け物だね。あちきの魔導センサーが、さっきから『計測不能』を吐き出しっぱなしだよ」
「あはは……。まあ、うちの師匠、キレると怖いから。キーラちゃんも今日はこれくらいにしとこ? ほら、アイアン・ハーツの夜景も、もうすぐ夜明けで台無しになっちゃうし!」
サヤカの言葉通り、地平線の彼方から微かな光が差し込み始めていた。
「フン……。盾持ちの男、命拾いしたね。あちきも今日は疲れたよ。……サヤカ、今度は戦場じゃなく、お茶屋で会いなよ。あんたの砂漠の菓子、少し興味があるからね」
「やった! キーラちゃんと女子会! 超アガる~!」
静かに、しかし決定的な力の差を見せつけたシェリーによって、アイアン・ハーツの激闘は幕を下ろした。だが、これはミレニアムイヤー本戦という名の「本当の地獄」への、単なる合図に過ぎなかった。




