第15話:湖が枯れた日
翌朝。
教会の最上階。
教皇の執務室に、五枚の紙が叩きつけられた。
「……これは何だ」
教皇の声は震えていた。
目の前に立っているのは、大天使の聖歌隊。
昨日まで純白の衣装をまとい、笑顔で祈りを歌っていた教会の看板アイドルたち。
だが今の彼らは違った。
白い衣装は泥だらけ。
羽根飾りは折れ。
髪は乱れ。
それでも、妙にすっきりした顔をしていた。
リーダーが言った。
「辞表です」
「じ、辞表?」
教皇は目を見開く。
「何を言っている。お前たちは教会の象徴だぞ!」
「だから、やめます」
リーダーは静かに笑った。
「俺たちは、もっと自由に音楽をやりたい」
教皇の口がぱくぱく動いた。
「お、音楽? お前たちの歌は祈りだ!」
「昨日、気づいたんです」
別の少年が言った。
「祈りでも、歌でも、ロックでも」
もう一人が続ける。
「魂が鳴ってなきゃ、届かない」
教皇のこめかみが震える。
「墓守に毒されたか……!」
リーダーは首を横に振った。
「違います」
そして、初めて完璧ではない笑顔を見せた。
「やっと、自分たちの声を聞いたんです」
教皇は机を叩いた。
「ふざけるな! 大天使の聖歌隊が抜けたら、教会の興行収入が――」
側近の神官が咳払いする。
「教皇様、本音が」
「浄化収入が下がるだろうが!」
「言い直しても同じです」
リーダーは深く頭を下げた。
「今までありがとうございました」
五人は背を向ける。
教皇が叫ぶ。
「待て! ではこれから何をするつもりだ!」
リーダーは振り返った。
「対バンです」
「は?」
「まずは、自分たちの曲を作ります」
「は?」
「あと、白タイツは廃止します」
教皇は白目をむいた。
「そこが一番重要なのか!?」
五人は清々しい顔で去っていった。
扉が閉まる。
教皇は頭を抱えた。
「聖女は赤くなる。勇者の聖剣はベースになる。王子は客席に飛ぶ。聖歌隊は辞める……」
震える手で、胃薬を掴む。
「この国は、どうなっておるのだ……」
その時だった。
バンッ!
扉が開いた。
泥だらけの神官が転がり込んでくる。
「教皇様!」
「今度は何だ!」
神官は真っ青な顔で叫んだ。
「東の湖が、枯れました!」
教皇の手から胃薬が落ちた。
「……は?」
「一夜にして、水が消えました!」
「湖が?」
「はい!」
「枯れた?」
「はい!」
「東の湖といえば、王都の水源ではないか!」
神官は震えながら頷く。
「このままでは、王都中が干上がります!」
教皇は椅子に崩れ落ちた。
聖歌隊は辞めた。
聖女は墓地ロック側。
勇者も墓地ロック側。
王子も墓地ロック側。
そして今、湖が枯れた。
教皇は天井を見上げた。
「……神よ」
祈りの言葉は、途中で止まった。
なぜなら。
頼れる者が、もう一組しか残っていなかったからだ。
⸻
同じ頃。
第4墓地。
ヒデは棺桶の上で寝転がっていた。
昨夜のフェスの後片付けで、墓地はまだ少しだけ散らかっている。
セシリアは売上袋を数えていた。
「バンド活動費、かなり増えたわ」
ヒデが片目を開ける。
「お前、完全に物販担当だな」
「ボーカルよ」
レオンは白いドラムを磨いていた。
「昨日のダイブは、なかなか良い経験だった」
ジャスティスが即座に言う。
「次からは事前申請してください」
「王子にも申請が必要か?」
「全員必要です」
その時。
墓地の入口から、神官が走ってきた。
「聖女様! 勇者様! 王子殿下!」
ヒデが起き上がる。
「俺は?」
神官は一瞬ためらった。
「……墓守様も!」
「今ためらったな」
神官は息を切らしながら叫んだ。
「東の湖が枯れました!」
セシリアの手が止まる。
レオンの目が細くなる。
ジャスティスがベースケースを背負い直す。
ヒデは、ゆっくりとギターを掴んだ。
「湖が枯れた?」
神官は頷く。
「水が一滴もありません。湖底には、古い墓標のようなものが無数に現れています」
墓地が静まり返った。
セシリアが低く言う。
「墓標?」
ジャスティスの白銀ベースが、かすかに震えた。
ズン……。
レオンがスティックを握る。
「ただの干ばつではなさそうだ」
ヒデは笑った。
だが、その目は笑っていなかった。
「フェスの次は湖底ライブかよ」
セシリアが何か言おうとして、ふと黙る。
東の空を見つめるその瞳が、かすかに揺れた。
ヒデはその横顔を見て鼻で笑う。
「おまえ、いてもたってもいられねぇって顔してるぞ!」
セシリアは一瞬だけ目を見開き、それから小さく笑った。
「……そうかもしれないわね」
ヒデはギターを肩にかける。
「じゃ、行くか!」
ジャスティスが即座にベースを担ぐ。
「現地確認を開始します!」
レオンも立ち上がった。
「面白くなってきたな」
セシリアはマイクを握り直し、力強く頷く。
四人は並んで墓地の出口へ向かった。
東の空は、妙に灰色だった。
乾いた風が、墓地を抜ける。
その風の奥で。
かすかに、誰かの声が聞こえた。
――たすけて。
ヒデの足が止まる。
セシリアも振り返った。
レオンの表情が消える。
ジャスティスのベースが、低く唸る。
ヒデは小さく舌打ちした。
「……鳴ってやがる」
東の湖で。
何かの魂が、助けを求めていた。




